忘れ物

マルマル

忘れ物

「なあ長澤、何度言ったらこの忘れ物の癖は治るんだ」

高校生の僕は、忘れ物をすることが日常茶飯事だ。

今日もこうして、僕は数学の宿題をやってくるのを忘れて、先生に怒られているところだ。

なんとなく反省しているっぽい顔をして先生が落ち着くのを待って、先生の気が済めば開放される。僕にとってはただそれだけの作業だ。

「社会人になったら忘れ物なんて許されないんだぞ」

そんなことは薄々わかっている。社会人になって大切な資料を忘れるとか、どこかになくすとか、そんなこと想像しただけでやばいのだろうな、ということは用意に想像がつくが、なんとなくまだまだ先のことな気がして、自分には刺さる言葉ではなかった。

「もう反省しているようだし、行ってよし」

先生にはこの僕の顔が反省しているように見えたらしい。特に反省している気はないのだが、反省していなくてもそのように見える生まれつきの顔に感謝する。

職員室の扉を閉め、教室に置きっぱなしにしていた荷物を取りに行く。放課後のこの時間まで教室に残っている人はいないだろう、と扉を開ける。


「職員室でまた怒られてたの?」

同じクラスの子だ。彼女は山崎さん。いつも勉強熱心で放課後も残って教室で勉強している。

「まあ、いつものことだよ」

気だるそうにそう答える僕。教室にある自分の荷物を持って、さっさと帰る支度を済ませた。

「じゃあ、また明日ね」

そう言う山崎さんに、僕は何も言わずに軽く手を振って教室を出る。

彼女とは特別仲が良いのかと言われると、そういうわけではない。ただいつも僕が職員室で怒られ終わったあと帰ってきた教室には彼女がいた。そんなことを何度も繰り返していたら、お互いになんとなく顔を覚えてしまっていた。

彼女は頭が良くてかわいいから、男子からはクラスでも人気者だ。女子の中には嫉妬する人も多くて、クラスには山崎さんの女子友達は数えるくらいしかいない。

まあ、友達がそこまで多くない僕にとっては関係のない話だが。


***

「今日は忘れ物せずに1日を終えられたな~」

今日の授業が終わってから先生にそう言われ、僕は特に何も感じずに家に向かった。僕は部活にも入っていないため、一人で家に帰る日も少なくない。クラスの友達は全員運動部で、今日も夜遅くまで練習に励んでいるんだろうと思うと、自分もなにかしたほうが良いのではないかと不安になるときもあるが、そんなことは大抵家に帰ってダラダラしていると忘れてしまっているものだ。

高校の最寄り駅について、自分のバッグの中をあさる。

あ、忘れた

僕は教室にSuicaを忘れていることに気づいて、面倒だが教室に戻ることにした。僕の忘れグセは自分でも感心するほどだ。



教室に着くと、また山崎さんがいた。いつものように勉強していた。

「今日は怒られてたわけじゃないから」

そうやって誰も聞いていないのに、なんとなく怒られたあとだと思われて接されるのは損だと思って、自己申告することにした。山崎さんからしたらどうでも良いことだろう。

「そっか、怒られてないって珍しいね」

ニコッと笑った顔が気を使われたと感じて少し恥ずかしかった。

自分の机の中にあるSuicaを取って、バッグにしまった。一応忘れ物はないだろうかと、バッグの中を軽くもう一度確認してみることにした。

「あのさ、長澤くん」

名前を呼ばれたのは初めてだったから、少し驚いた表情で彼女のことを見てしまった。

「実は私、引っ越すんだ」


「そ、そうなんだ」

こんな返ししか思いつかなかった。

「いつ引っ越すの?」


「来週にはもういないかな」

突然のことに、僕は驚いた。きっと驚いた表情を隠せていなかっただろうから、彼女にも僕の驚きは伝わっていただろう。

そこからはあまり何を話したのか覚えていない。きっとどこに行くのとか、もう行く学校は決まっているのかとか、他愛もない話だったと思う。うん、そんな気がする。

「もうこれから、長澤くんが怒られて教室帰ってきても、一人だね」


「それはちょっと寂しいね」

沈黙が続いて、なんとも言えない空気感が教室を漂った。そこで僕は、ずっと言えなかった気持ちをここで口にしてみようかと思った。


「あのさ」

勢い任せにいった僕の声は少し裏返った。声量も大きく、彼女は驚いた様子だった。


「どうしたの?急に」


「えっと、いや、なんでもない」

勢いが止まってしまって、言えなかった。

恥ずかしくなった僕は、また明日ね、も言わないで教室を出ていった。

好きだなんて伝えても、もう遅い。いつか彼女と仲良くなって、いつか伝えたいとは思っていたけれど、こんなに別れが早いとは想像もしていなかった。いつもいると思っていた彼女は、もう来週にはいなくなっているんだと思うと、心が苦しい。


今日は金曜日。土日を挟んで来週には、伝えよう。


***

月曜日、彼女が学校に来ることはなかった。引っ越しが早まったことで引っ越しの準備を急いでしなければいけなくなったから、今日は休みだと、先生がみんなに伝えていた。火曜日からは引っ越すから、もう学校には来れないらしい。

早く伝えておけばよかったな。

いつかいつかと思って、また今度すればいいや、と思う甘い自分を嫌いになったのは今回が初めてだ。あれだけ先生に忘れ物を指摘されても何も感じなかった僕が、彼女に伝え忘れたたった一言だけで、強く悲しみを覚えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忘れ物 マルマル @ztyukki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ