雨を唄えば。

夕藤さわな

第1話

「雨宮の作る歌詞や曲ってさ、なんか……こういう空気ん中で聞くのにぴったりだよな」


「じめじめしとしと鬱陶うっとうしいってことですか」


 高校の音楽室。ピアノを弾く手を止めずに窓の外を見る。灰色の空。雨が細い糸のように降り続く。梅雨らしい天気ではあるけれど多くの人には好まれない天気だ。

 先輩は肯定も否定もせずにケラケラと笑う。その笑顔は五月の晴れた空のようだ。多くの人に好まれる。

 実際、先輩はモテるし老若男女問わず人気がある。今、こうしてピアノの影に隠れているのも、本来なら接点なんてないじめじめしとしと鬱陶しい後輩わたしと喋っているのもひと休みするため。その辺をほっつき歩いていると次々と声をかけられ、あっという間に人の輪に取り囲まれてしまうから。


「そういう曲を作ってみたい、歌ってみたい……とは思うんだけどな」


「先輩には似合わなそうですね」


「だろ?」


 困ったように笑っても先輩のまとう空気は五月の晴れた空のまま。


「似合わないだろうな、みんなにらしくない、どうしたんだって言われんだろうなって思うと一文字も一音も出てこなくなる。だから、ちょっとあこがれる。……かれるって言うのかな、雨宮……の、作る曲に」


 案外、根はじめじめしとしと鬱陶しいヤツなのかもな、俺。

 そう言って笑っていた先輩が渋谷の大型ビジョンに映し出されているのを見て私は目を丸くした。


「おー、先輩だ! これ、デビュー曲のミュージックビデオだよね」


「デビュー曲?」


 大学に入学して以来、久々に遊ぶ高校時代の友人にそう言われて改めて大型ビジョンを見上げる。

 六、七人の男性アイドルグループの、恐らくセンターポジションで踊って歌う先輩はあいかわらず五月の晴れた空のような笑顔を振りまいている。


「思い出しますねぇ、先輩を追っかけてキャーキャー言ってたあの青春の日々を」


 先輩が高校を卒業して二年くらいなのにうん十年経っているかのような調子でしみじみと言う。

 と――。


「ねえねえ! 今度、ライブあるんだけどチケット取れたら行こうよ!」


 友人は手を叩いて目を輝かせた。


「あの青春の日々を思い出してキャーキャー言おうよ! ペンライト振っちゃおうよ! キャーキャーやるキャラじゃなかったけど、あーちゃんも先輩にあこがれてたでしょ?」


 あこがれてはいた。あの雨の日以来、多分、今も。

 でも――。


「そういうんじゃ……ないんだけどな」


 つぶやいて苦笑いする。まあ、伝えてもいなければ叶いもしない想いなら結局は〝あこがれ〟なのかもしれないけれど。

 街の雑踏にかき消されて私のつぶやきは友人の耳には届かなかったようだ。キラキラした目のままで私の答えを待っている。


「やめとくよ、私は」


「えー、なんでー。行こうよー、ねー」


 腕を引っ張る友人に苦笑いしながら大型ビジョンに映る先輩の笑顔に視線を戻す。


 案外、根はじめじめしとしと鬱陶しいヤツなのかもな、俺。

 そう言う先輩にあの日の私は何も言わなかった。気恥ずかしさに負けて言えなかったのだ。


 みんなの期待に応えたいって自分のためじゃなく誰かのために頑張れる先輩に私はあこがれます、と――。


 心に残るしこりから目をそらすように大型ビジョンに映る先輩の五月の晴れた空のような笑顔から目をそらす。

 早く。早く家に帰りたい。家に帰ったら曲を作ろう。じめじめしとしと鬱陶しい感じの曲。先輩に似合わなそうな先輩のための。作ってどうするというわけじゃないけど作ろう。


 ……作り、たいんだ。

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雨を唄えば。 夕藤さわな @sawana

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