火のない所で湯煙は立つ
夜々予肆
1 神野ナポリ
神野ナポリ 1
「『もう、我慢ができない。俺は、ルイ。お前を愛している』
『ダメですよ、ナポリ。ルイちゃんは誰かひとりのアイドルではなく、みんなのアイドルなんですから』
『そんなのはとっくにわかってるさ。でも、だからってお前を独り占めしたいという思いを捨てる事はできない』
『これはまた随分と情熱的ですね。仕方がありません。こうなったら私も腹をくくりますよ。まずはキス。そして次は――』」
「……勝手に人の上で人の発言を捏造するな」
俺は仰向けになっている俺の腹の上で意味不明な発言を繰り返している、銀色の髪を長く伸ばした眼鏡っ子な幼女を両手で持ち上げて横にどかした。
この外見年齢推定11歳、精神年齢一切判別不能な幼女の名前は
一応俺がわかっていることとしては、こんな身なりでも一応働いていて給料もきっちり貰っている身分であること、シフト制で休日の曜日は毎週変わるということ、銀髪は生まれつきであるということ、若干遠方に住んでいるくせにわざわざ俺に構ってもらえないと気が済まないということ、常識の類は一切通用しないといったことくらいだ。
有り体に言えば、見た目がやたらと可愛いから許されてる顔の周りをブンブン飛んでくるしつこい羽虫。それがこいつ、舞原ルイだ。ちなみに残りの謎を解明しようにもそもそもの謎が多すぎるし正解も意味不明すぎるしでこれ以上解明するのはもう諦めた。
「もっとすごいことをしますよ」
断りもなしに勝手に人の家に入って来るや否やこいつは一体何をやろうとしているんだ。何をやるのか知らんがとりあえず俺はしたくないぞ。
「しなくていいから、何しに来たのかの説明をしろ」
「だってせっかくこんなに可愛らしいルイちゃんがわざわざ家に来てあげたというのに、さっきからずっとダラダラしてるだけじゃないですか」
「休みの日くらい家でダラダラさせてくれ。疲れてんだよ」
「どうしてですか」
「昨日までずっと仕事してたからだよ」
日の出から日没まで毎日身体を酷使し続けてボロボロになっている。そんな中何日ぶりかももうわからないくらいにやってきた休日なのだ。だから絶対にこんな奴に潰される訳にはいかない。こんな奴に、人生を無駄にされる訳にはいかない。
「頼むからもう少し寝かせてくれ」
「寝かせません」
俺の頼みは、呆気なく却下された。ていうか何で却下されなきゃならないんだよ。
「だからお前は何しに来たんだ」
「暇だから来ました」
答えになってないし、俺はお前の暇つぶしの道具じゃないぞと言う気もしなかったので俺は黙って布団を深く被って目を閉じた。
「寝ないで下さい。本当に暇で困っているんです」
「暇ならほら、テレビ見ていいぞ」
俺は寝っ転がったまま枕元にあったリモコンを拾い、ルイに手渡した。
「ニチアサやってるぞ」
「今日は水曜日ですよ」
「……マジか」
曜日の感覚もわからなくなってきたのか俺は。そういや壁に掛けてるカレンダーも3ヶ月前の月から変わってないな。
「どうやらナポリにはリフレッシュが必要なようですね」
「今してるからほっといてくれ」
「職場が今日から1週間リニューアル工事に入って休みになっているんです。だからほっとかないでください」
「そうなのか。けど俺には関係――」
「あります」
らしかった。無いだろと俺が口にしようとした途端、ルイはもぞもぞと俺が寝ている布団の中に潜り込み始め、添い寝の状態から俺に生温かい吐息を掛けながら平然と言葉を続けていく。
「ルイちゃんは海辺育ちなので、一度山奥に行ってみたいんです」
「行けばいいだろ」
唐突に何を言い出すんだと思えば、そうとしか言いようが無いことを言ってきた。
「無責任なこと言わないでください。もしルイちゃんが危険な目にあったらどうするんですか」
「危険な所には行かないようにしろ」
「ですが危険ではないからと言って、絶対安全であるとは限りません。だからついてきてください」
「ついて行かなきゃダメですか」
「ダメです」
らしかった。
「……山奥っつっても、色々あるだろ。どこ行くつもりなんだよ」
このまま話してても埒が開かなさそうなので、仕方なく尋ねる。
「色々考えたんですけど、ここに行ってみたいんです」
ルイはしばらくスマホを操作すると、やがて画面を見せてきた。
そこに映っていたのは――。
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