名も知れぬ田舎の村に現れた勇者へのあこがれは伝説を残す
兵藤晴佳
第1話
長い間、冬の間は雪に閉ざされていた北の国の村は、短い春を力の限り謳歌するはずだった。
少し霞のかかった空の青は柔らかく薄く青く、時折、それを斬るように飛ぶ鳥の澄んだ声が、萌え始めた緑の山々を撫でるように響き渡る。
そうでなくてはならなかった。
だが、この年ばかりは違った。
確かに鳥たちの声が聞こえるが、それらは耳障りなまでに騒がしい。
そればかりではない。
さらに甲高い悲鳴が、村のあちこちで助けを求めていた。
「トロールだ!」
「逃げろ!」
「もうダメ! お父さん!」
手に手に鋤や鍬を構えた男たちが立ち向かっているのは、巨大なトロールだった。
普段は山奥の洞窟などに潜んでいるのだが、なにかの間違いで村に表れては狼藉を働く。
それは、食糧や家畜の略奪、それに伴う家屋の破壊に限らない。
欲望に任せたトロールの暴力は、婦女子にも及んだ。
それを阻もうとする親兄弟や恋人の抵抗など、無きに等しい。
男たちは岩のような腕になぎ倒され、あるいは疲れのあまり、得物を杖に膝をつくしかない。
そこには、木剣を手にしたままなす術もなく立ち尽くす少年、ファスカの姿もあった。
「畜生……俺に、もっと力があれば」
助けを求める力もない娘の腕をつかんでぶら下げたまま、トロールは村の外へとのしあるいていく。
その足が、止まった。
春の陽光が一条の光となって、トロールの正面へ垂直に降る。
のけぞって倒れる巨体から放り出された娘の身体は、その父親の前に、鳥の羽のようにふわりと舞い降りた。
その向こうに並んでいるのは、頼もしい人影。
村人の誰かが叫んだ。
「勇者ハヤルタだ!」
「勇者の一行が来てくれた!」
「勇者万歳!」
たちまちのうちに押し寄せた村人たちは、どうかお礼をさせてくれとせがむ。
トロールを瞬殺した勇者は、剣を背中の鞘に収めると、照れ臭そうに頭を掻いた。
娘を父親のもとに運んだ魔法使いは、何事もなかったかのようにそっぽを向いている。
トロールを大地の精霊の力で足止めしたエルフは、穏やかな笑みを村人に向ける。
出番のなかったらしい、俊敏な盗賊と頑丈で器用なドワーフは退屈そうに、先を急ごうと勇者を促していた。
どうにか一行を引き留めて、その晩は村を挙げての歓迎会となった。
お礼の挨拶をしたのは、それまで一言もしゃべらなかった僧侶である。
「この夜が、皆様への祝福となりますように」
冬をどうにか越した後の残り少ない貯えを残らず振る舞い、そのお相伴にあずかった村人たちが眠りについた夜明け前に、勇者たちはひっそりと村を出発しようとする。
だが、村はずれにさしかかったとき、ひとりの少年が立ちはだかった。
「俺も、つれていってください!」
若い勇者は困ったような顔をする。
そのずっと後ろにいたドワーフがふと振り返ると、少年を遠くから見守る少女の姿があった。
トロールを前に己の無力さを噛みしめていたファスカは、そのときなす術もなく手にしていた木剣で、森の中の岩を叩いている。
もう、何本目になるだろうか。
周りには、折れた木の棒がいくつも散らばっている。
渾身の力で岩に叩きつけた木剣も、その仲間入りをした。
ファスカは、忌々しげに座り込む。
「また……ダメかよ!」
幼い頃、大人たちに聞かされた昔話で憧れていた勇者が、すぐ近くにいる。
しかも、その仲間になれるかもしれないのだ。
だが、勇者に課された試練は、どう考えても無理なものだった。
不貞腐れて、昼前の木漏れ日に照らされた下草に寝転がると、その顔を上から眺める者がいた。
「もう、諦めたら?」
背中に手を組んで見下ろしているのは、幼馴染の少女、ジャルフだった。
村の石工の娘である。
もっとも、幼い頃からいっしょに遊んだことはない。
いつも父親の手伝いをしていて、鑿を研いだり石を洗ったりするばかりだった。
ファスカも身体を鍛えるために、石を運ぶのを買って出ることがよくある。
そうした経緯でよく見知ってはいたのだが、このジャルフへの愛想は悪かった。
「帰れよ」
邪険にされてもジャルフは聞かない。
「無理だと思う、そんな棒っ切れで、そんな大きな岩を砕くなんて。私が見ても無理」
そう言いながら、ファスカに叩かれてもびくともしない大岩を撫でさする。
石工の娘だけに、岩の硬い脆いには詳しい。
それでも、ファスカは諦めようとしなかった。
「勇者ハヤルタに言われたんだ……できたら仲間に加えてやるって」
夜明け前に、1日だけ待とうと言った勇者の一行は、まだ村人の歓待を受けている。
岩の向こうからは、ため息ひとつと共に、ジャルフの声だけが聞こえた。
「ちょっと休みなよ」
返事はない。
言われるまでもなく、疲れ切ったファスカは寝息を立てていた。
どれほど経っただろうか。
ふと目を覚ますと、日が傾いていた。
しまったとつぶやいて、ファスカは何本目かの木剣を手に、昼寝で取り戻した気力を振り絞って、渾身の力を振るう。
叩かれた大岩は、音を立てて崩れ落ちた。
ファスカは躍り上がって喜んだ。
「ジャルフ! 勇者を呼んで来い! お前が証人だ!」
次の日の朝、勇者はファスカとジャルフを連れて、村の外へと出た。
もちろん、それぞれの両親の了解を得てのことである。
砕けた岩を確かめたドワーフと何やらひそひそ相談していた勇者は、次の条件を出したのだった。
村を出たところに、モンスターや獣の徘徊する森がある。
ファスカにジャルフを連れて、ここを通り抜けさせる。
無事に成し遂げたら、一行に加える。
危険を切り抜けることができなかったら、勇者ハヤルタの名を呼べば良い。
すぐに駆け付けて助け出すが、一行に加えることはできない。
こうしてファスカは、持ち慣れない剣を手に、ジャルフの手を引きながら鬱蒼とした森を歩くことになった。
「俺ひとりでよかったのに」
ぶつくさ言ってはいるが、ジャルフを危険にさらすまいという一心で辺りに気を配る目つきに、恐れはない。
うん、とだけ答えるジャルフはというと、何やら嬉しそうに笑いをこらえていた。
その様子に、ファスカは声を荒らげる。
「遊びに来たんじゃないぞ! 勇者ハヤルタに試されてるんだからな。俺は絶対に、ジャルフを守ってみせる」
やはり、うん、とだけ答えた石工の娘だったが、突然、息を呑んだ。
ファスカも立ち止まって身構える。
「……どうした?」
あの声、とすがりつくジャルフを抱きよせると、確かに何かの声が聞こえる。
狼の遠吠えだった。
それだけではない。
少しずつ近づいてくるのは、それとは別の話し声だった。
だが、人のものではない。
固く閉ざされたファスカの口元から、微かな呻きが漏れた。
「ゴブリンだ……狼に乗った」
それに答えるように、もう日が高くなっているはずなのに薄暗い森の奥から、言葉通りのモンスターと獣が姿を現す。
まっしぐらに突進してくるのを迎え撃とうと、ジャルフを背中にかばったファスカは、予備とはいえ、勇者から託された重い剣を抜いた。
それなりに鍛えられていたファスカの剣が、狼の鼻先めがけて叩きつけられる。
だが、それを操るゴブリンは手慣れたものだった。
金切り声を上げただけで、狼は身を翻す。
初めての戦いに、ファスカは呻いた。
「こんなことって……」
その後ろから、石つぶてのような勢いで、もう一匹が飛びかかってきた。
なんとか身をかわしたが、背中に乗ったゴブリンの振るう、曲がったナイフが横殴りに飛んでくる。
これがモンスターとの戦いだということを、ファスカは初めて思い知らされた。
「え……」
その刃を剣で弾き返すような腕が、ファスカにあるわけがない。
胸元をかすめる風に身をすくませたところで、目の届かない方向から食らいついてきた狼がいた。
思わず足を滑らせたのが幸いして、どうにか、その顎と牙を逃れはした。
そこで、反対側から振り下ろされたゴブリンの棍棒が、勇者から預かった剣を叩き落とす。
「しまった……」
ジャルフが悲鳴を上げた。
「もうダメ! 勇者様を呼んで!」
ファスカは首を横に振った。
「まだだ! ついてこい!」
掴んだ手に力を込めて走り出す。
もっとも、戦いを知らない少年が少女ひとりの手を引いて逃げきれるものではない。
たちまちのうちに、一本の木を背中に追い詰められてしまった。
ゴブリンたちの操る無数の狼が、その木を中心にして周りを囲んでいる。
そこでファスカがとっさに拾ったのは、太い木の枝だった。
「大丈夫……あの木剣で、岩だって砕けたんだから」
だが、ジャルフを励ます言葉は、そのジャルフによって打ち消された。
「ごめん……あれ、私なの……」
「え?
呆然と目を見開くファスカの背中に身を隠したまま、ジャルフは震える声で告げた。
「私……分かるの、石とか、岩のどこが弱いか……だから、隠してた鑿と金づちで」
包囲の輪を縮めるゴブリンと狼を前に、ファスカは震える膝で後ずさった。
ところが、頼みの大木は根元から腐っていたらしい。
音もなく倒れたところで、悲鳴を上げるジャルフの姿は剥き出しになった。
「ファスカ!」
ナイフを振りかざしたゴブリンを背中に、大きな狼が跳躍する。
役に立たない木の枝を振りかざして向き直れば、他の狼が襲い掛かってくるだろう。
意を決したファスカは、意地も見栄もかなぐり捨てて叫んだ。
「助けて! 勇者ハヤルタ! 約束は取り消します!」
森を覆って生い茂る高い木々の枝を押しのけて、天から降ってきたものがあった。
だが、それは剣を手にした勇者ハヤルタではない。
大鷲の頭と翼に、獅子の身体。
それは、勇者に憧れるファスカが、子供のころから昔話で聞かされてきたモンスターだった。
……グリフォン!
狼に乗るゴブリンなどは、比べ物にならないくらい。
ジャルフが、恐怖にかすれた声でつぶやく。
「え……どういうこと? これ……」
カラ元気を振り絞って、ファスカは答えた。
「どうにもこうにも……勇者だって勝てないよ、そう簡単には」
ましてや、剣術の修行など縁のないう田舎者の少年が、棒きれ一本で立ち向かえる相手ではない。
腰が抜けそうなのをこらえて、片手でた木の枝をつきつけるのが精いっぱいだ。
もう一方の手は、うずくまって泣きじゃくるジャルフの手をしっかりと握っている。
その涙声は、どうしよう、どうしようと繰り返すばかりだ。
ファスカもまた、震える声でこう答えるしかない。
「大丈夫……俺が何とかしてやる」
果たせるはずもない約束を果たすために、ファスカはグリフォンを睨み据える。
「来るな……来るんなら、俺だけを狙え」
その言葉が効いたのか、グリフォンは、少しだけ怯んだように見えた。
それが本当だったかどうかが、確かめられることはついになかった。
なぜなら……。
涙にむせびながら、ファスカの背中でジャルフが歓喜の声を上げたからだった。
「勇者様!」
目の前のグリフォンが高々と飛び上がった先を目で追うと、そこには、剣を手にして宙を舞う勇者ハヤルタの姿があった。
勇者に敗れたグリフォンが翼をはばたかせて天空の彼方へ去ると、森は葉の生い茂った枝を再び閉ざして、暗く重苦しく静まり返った。
やがて、溜め込んだ恐怖を弾け返らせたような大声を上げたのは、ジャルフだった。
「怖かった……怖かった!」
泣きじゃくりながらすがりついていった先は、当然ながらファスカではない。
胸の中に飛び込んできた少女を抱きしめながら、若き歴戦の勇者ハヤルタは慰めの言葉をかけた。
「ごめん……こんなことになるとは思ってなかったんだ」
ジャルフはハヤルタの腕の中で、首を振る。
「違います、全部、全部、私が悪いんです……」
恐怖の後に残った惨めさに耐えていたのは、ファスカだった。
しっかりと抱き合う幼馴染と勇者を、うずくまって震えながら見つめていたが、やがて、両の足を踏みしめて立ち上がった。
深々と頭を下げる。
「ごめんなさい……俺のせいです! あんな木剣で岩が砕けるわけないのに」
それはジャルフをかばうものでもあったが、勇者は思いのほか、あっさりと答えた。
「そうだよね」
あまりの肩透かしにファスカが言葉を失ったところで、ジャルフが泣きながらしがみついてきた。
「ごめん……黙ってるしかなかったの。そしたら、こんなことに……」
何が何だか分らず、震える身体を抱きしめるしかない。
その眼の前では、更に信じられない出来事が次々と起こっていた。
鬱蒼とした薄暗い森は、柔らかい春の光に満たされていく。
その中から溶け出るように現れたのは、美しいエルフだった。
「二人とも気にすることないのよ、全部、ハヤルタが考えたことなんだから」
そのとおり、と重々しく告げて現れたのは魔法使いだった。
「おかしいとは思わぬか、少年……ゴブリンも狼も、どこへ行ったと思う?」
ファスカは謎かけに、特に考えもなく応じた。
「それは、グリフォンが来て逃げたから……じゃ、なくって?」
そこで現れたのは盗賊だった。
「あんな大木が、そう都合よく倒れるもんか。ハリボテだよ……お前が転んだのも、蝋を塗った板を仕掛けておいたのさ」
つまり、ゴブリンも狼も、ファスカを仕掛けへと追い込むために魔法使いが作った幻影だったのだ。
それに気づいたファスカの前に、ドワーフが現れる。
「あのお嬢ちゃんの細工に、ドワーフが気付かんわけがあるまい」
とどめの一言を口にしたのは、いつの間にかそこにいた僧侶だった。
「それが分からないようでは……」
勇者たちは、明るい春の森から村の手前まで二人を送っていく。
ジャルフにぴったりと寄り添われたファスカはすっかりしょげかえって、こうつぶやくのがやっとだった。
「こんなに弱いのが勇者について行こうと思ってたなんて」
一行の誰一人として、返事をする者はなかった。
用が済めば、再び冒険の旅が始まる。
背を向けて歩き出した一行だったが、勇者が振り向きもしないで残して言った言葉がある。
「グリフォンは誇り高いから、これと思った相手の前にしか現れない……弱さっていうのはね、向き合うことで強くなれるものなんだ」
その後も、村がモンスターの襲撃を免れることはできなかった。
だが、それを撃退できたのは、ひとりの若者が村人たちを励まして戦ったからである。
その名は、ファスカ。
村の勇者として、妻となった名工ジャルフと共に長く語り伝えられたという。
名も知れぬ田舎の村に現れた勇者へのあこがれは伝説を残す 兵藤晴佳 @hyoudo
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作者
兵藤晴佳 @hyoudo
ファンタジーを書き始めてからどれくらいになるでしょうか。 HPを立ち上げて始めた『水と剣の物語』をブログに移してから、次の場所で作品を掲載させていただきました。 ライトノベル研究所 …もっと見る
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