アンドロイドに恋したって何が悪い

弓葉あずさ

第1話

 2083年、多様性の拡がりとやらで、アンドロイドとも結婚できるようになった。

 ……そうは言うものの実際に結婚にこぎつけるには様々な条件があるようで、


「佐々木樹里様。申し訳ありませんが、こちらの婚姻届を受理することは難しく……」


 こうして私は何度も婚姻届を突き返されている。




「あーあ! 何が多様性よ、ダイバーシティよ。役所なんていっつもお高くとまってさ。何を基準に私たちを認めないっていうの?」

「荒れてるな、樹里」


 グチグチ文句の止まらない私をケイト――私のパートナーであり、お察しのとおりアンドロイドだ――が苦笑してたしなめる。

 今や一家に一台はアンドロイドが使われている……はさすがに言い過ぎだけど、アンドロイドと生活することは決して珍しくなくなった。特に家事や介護の面ではどこの家でも重宝されている。

 フン、とソッポを向きながら私は銀行に入った。ケイトはやれやれと言わんばかりについてくる。

 ……なんだか私ばっかりが熱くなってるみたいで、バカみたい。

 気分の波に左右されないで、いつでも穏やかに対応してくれるのがアンドロイドのいいところではあるんだけれど。

 銀行内はヒヤリと涼しく、炎天下で汗だくになっていた私の肌を冷ましていく。同時に頭も冷えてきた。煮えくりかえる腸はまだ落ち着きそうにないけれど。

 こちらの端末でご用件をお選びください、と銀行員に案内される。清潔感のある服装、分け隔てのない笑顔、一定の角度のお辞儀。パッと見ただけではわかりにくいけど、感覚的に分かる。これもアンドロイドだ。思えば家庭より先に、こういう仕事の場でアンドロイドを見かけることが多くなった。今ではこの程度、誰も驚いたりしない。


「あ!」


 急な声に、思わず振り返る。小学生低学年らしい男の子が私たちを指差していた。

「コラ! 指を差さないの!」と母親らしき女性が慌てて男の子を私たちから遠ざける。他にもちらほらと奇異の目が向けられている気がして、また私の気はささくれ立った。

 ただまあ……いくらアンドロイドの起用が増えたとはいえ、家庭用のアンドロイドを表立って連れ出すようになったのは比較的最近かもしれない。今もまだ過渡期というやつなんだろう。大体の物事なんて一生過渡期でしかないのかもしれないけど。

 少なくとも数年前までは、家でも職場でも、アンドロイドはただ仕事をするだけの存在――要するに道具だった。それが技術の進歩で人間と遜色ないレベルで感情表現が豊かになると、だんだん世間の目も変わってきた。人間というのは、人間と同じ形をしたモノを道具扱いするのは、どうも据わりが悪いらしい。

 まあいいわ。お金を下ろして、今日は気晴らしにちょっと豪華なものでも……。

 そう気を取り直そうとしたところで、数人の男たちが荒々しく中に入ってきた。

 振りかざしたのは――拳銃?

 次いで発砲音。それが引き金となって沸き起こる甲高い悲鳴。


「金を出せ!!」


 その発言は何よりも現状を理解するのにわかりやすかった。

 ああ、そう。銀行強盗ね。

 今日はどこまで厄日なのかしら。




 私たち客は雑に一カ所、部屋の隅に集められた。私はとっさにケイトを長椅子の下へと突き放す。意を汲んだケイトは素早く身を隠した。その身のこなしに私はこんなときながら惚れ惚れする。人間ならこうはいかない。

 銀行強盗は三人。一人は拳銃をひっきりなしに私たちに向けている。もう一人は支配人らしき男に金を用意しろと脅していて、もう一人は外の様子を見張っている。順に頭の形が見事な四角、丸、三角だった。そう思ってしまって、言ったら撃ち抜かれそうで、口をつぐむ。

 三人とも覆面で顔は分からない。だけど手袋をしているから、ああ、人間だなと思った。アンドロイドなら指紋なんて気にしなくていいし……まあ、アンドロイドが銀行強盗なんて、するはずがないのだけれど。

 それから丸い銀行強盗は、女性の銀行員に「端末の類いは全部回収しろ」と告げた。銀行員は拳銃を向けられ、ガクガクと頷いて私たちのポケットを探り、端末という端末を用意されていた箱に押し込んだ。

 その箱を受け取った丸い銀行強盗は、箱を遠くに蹴り捨てて、私たちを睨み付ける。


「いいか。下手な真似はしないことだ。俺たちに近づこうものなら……俺たちは自殺する。わかったな」


 一度拳銃を自らのコメカミに当てて、男はそう言い放った。

 これはアンドロイドへの牽制だ。

 アンドロイドは人に害を与えられない。それがアンドロイドに課せられた絶対のルール、原則なのだ。人より丈夫で力もあるからこそ、運用する上でまず第一にこの原則に縛られる。それは積極的な危害に留まらず、危害の看過も許されない。

 だから男は自分自身を人質として、アンドロイドが近づいてこないよう予防線を張ったのだ。本当に死ぬ気なんか、ないくせに。


『樹里……』


 歯噛みした私に、耳の奥からケイトの声が聞こえる。無事に隠し通せた小型イヤホンだった。私とケイトの身長差は大きいし、日常的に会話するには大変なことも多くて、離れていても会話ができるようにカスタマイズしてもらったものだ。私はできる限りの小声で話す。


「ケイトはしばらくそのままでいてね」

『わかった。けど、樹里。無理はしないで』


 私を慮る、優しく、甘く囁く声。

 ――アンドロイドの調声はかなり自由に細かくできる。

 中には有名な声優がボイスを提供していて、好きなキャラクターに寄せた声を購入することだってできる。

 だけど私は嫌だった。

 私だけの、唯一無二の声が欲しかった。

 だからアンドロイドを注文するときにも相当の時間を使った。

 高すぎない、深みと甘さを残した、落ち着いた声。

 そんな声が私を呼ぶたびにたまらなくなった。

 仕事で落ち込んだとき、むしゃくしゃしたとき、何となく人恋しい時――彼はいつだって私の欲しい言葉を理想の声で囁いてくれる。

 その声を聞いているうちに、少し、落ち着いてくる。そうね。無理はしない。こんなところで死んだら後悔しか残らない。そもそも私は突き返されたこの婚姻届を役所に叩きつけないと気が済まないのだ。



「やめてください。どうかマスターだけは傷つけないでください」

「あ、おい、馬鹿……!」


 ふいに進み出たのは、綺麗な女性――に見えるけど、やっぱりアンドロイドだろう。後ろのひょろりとした男を庇うように立って、深々と頭を下げている。綺麗に結い上げられたハーフアップの髪がサラサラと揺れた。

 丸い銀行強盗は、笑った。

 ――何で笑うのか、私には分からない。恐らく他のみんなもそうで、特に相対しているアンドロイドは困惑したようだった。


「ああ、いいね。それでこそアンドロイド様だ」


 その声はどこか演技がかっていて、その嘘くささが、どうにも彼のドロリとしたものを煮えたぎらせているようだった。

 彼は上から下、下から上へとアンドロイドを舐めるように見定める。人間の女性にやればセクハラと訴えられそうな視線だ。アンドロイドには今のところ、その適用はないけれど――確か問題視されて様々な声が上がっているところではあるけれど。


「あんたは随分と金がかけられてるみたいだね」

「はい。マスターにはたくさん大事にされています」

「アンドロイドを大事にする前に、俺たち人間様を大事にしてほしいもんだね」


 皮肉たっぷりに銀行強盗が笑うけど、女性型アンドロイドは困ったように眉を下げて相変わらずマスターを庇う格好だ。

 次の瞬間。

 銀行強盗が、女性型アンドロイドを撃ち抜いた。

 押し殺した悲鳴が人質の中から上がる。私も思わず声を上げそうになった。すんでで飲み込んだけど、さすがに動悸が激しくなるのを感じる。


「エミィ!」

「マスター……エミィは大丈夫です。ここは危険です。離れてください」


 肩を撃たれたアンドロイド――エミィというらしい――は崩れ落ちることもなく、マスターを庇ったまま立ち尽くしている。痛みもなく丈夫でいられるのがアンドロイドの取り柄でもあるから、それ自体はおかしくない。たださすがにどこかの回路がイカレたみたいで、声にノイズが混じっていた。バチバチ、と微かながらに嫌な音もする。

 もし、撃たれたのがケイトだったら。私だったら。

 そう考えて、私の背中を冷たいものが走った。胃がぎゅっと絞られたように苦しい。


「お、お前……いくらすると思ってるんだ!」


 エミィのマスターは顔を赤くしたり、青くしたり。震える声で銀行強盗に非難の声を上げた。

 ほんの少し見えただけだけど、エミィのあの瞳、エメラルドかしら。

 銀行強盗も言っていたとおり、結構なお金がかけられているみたい。アンドロイドというのはお金を注ぎ込もうと思えばいくらでも注ぎ込めるものだ。それは機能だったり、容量だったり――他にもカスタマイズや装飾にだって凝れば凝るほどお金がかかる。見た目で言うなら、スキンや髪の色、質感、形、体型、何でもそうだ。逆に言えば、お金さえあれば限りなく理想を突き詰められるほどに技術は大きく進歩した。そうしたアンドロイドを一種のコレクション、芸術品として取り扱っている人たちだっている。私だって妥協したくなくて、高くはない給料であれこれと試行錯誤の上にケイトを迎え入れた。

 ちなみにケイトの瞳には黒曜石が一部使われている。ツルリと滑らかな質感は思わず触れたくなって。光の加減で煌めく様は、見るたびに私を恍惚とさせる。これは値段じゃない。ケイトがケイトらしい姿でいることに、私はとてつもない悦びを得るのだ。これが私のパートナーよ、って世界中に大声で言ってやりたくなるんだ。

 だからアンドロイドに様々な価値を付すあのマスターの気持ちも、私はわからなくはないのだけど……。

 銀行強盗が鼻で笑う。


「庇ってくれてる嬢ちゃんに対して、『いくらする』とはね。結局は金かい」

「わ、悪いか? これは私が買ったアンドロイドだ。どう扱おうが、権利は私にある」


 いいや、と銀行強盗は溜息をついた。


「悪くはないとも。機械は機械らしくしてくれていた方が、俺としては気持ち悪くなくて助かるね」


 ――何となく、だけれど。

 頭を殴られたような気がした。

 私のケイトに対する気持ちを、否定、いや、馬鹿にされたような。

 頭に血が上るって、こういうことを言うのかしら。脳が熱くなって思考が止まる。どす黒い感情に支配される。息が詰まる。手が震えて、食いしばった歯の付け根が痺れるよう。


『樹里』

「……」

『落ち着いて。樹里』

「……大丈夫」


 ケイトがたしなめるような声を掛けてきて、私はかろうじてその場に踏みとどまった。

 きっと隠れていなければ、彼は私の体を抱きしめてくれていただろう。そうすることで私が落ち着くことを、私も彼も嫌というほど知っている。だからこそ、それが叶わない今のこの状況がとても歯がゆい。

 ――たくましすぎることはないけれど、それでも確かに力強い、彼の手が好きだ。

 重い物を軽々と持ってのける、私をしっかりと抱きしめてくれる……それでいて決して私を害さない、あの手が好きだ。

 いつだって真っ先に私に差し伸べられるこの手に安心を覚えることは、どう足掻いたって必然だった。

 この手の中でなら、こんな私でも素直に、自由になれた。

 人は私を傷つけるけれど、アンドロイドは私を傷つけない。

 私は、私を守ろうとしてくれる、彼の腕一本一本が愛おしい。

 ――それなのにどうして、役所は、世間は、私たちを認めてくれないんだろう。

 丸い銀行強盗は、どこからか丸椅子を引っ張ってきてそこに腰を下ろした。金が用意できる間、話し込むつもりらしい。カウンターの方では、「早くしろ!」と四角頭の怒号が続いている。支配人は緊張で身体がガチガチのようで、何度も札束を取り落としていた。

 それに肩をすくめた丸頭は、銃を持った手で腕をトントンと叩きながら私たちを見回した。


「そこの婆さんは……ああ、介護ロイドか。しかもかなり初期のやつだろ、それ」


 顔を向けられた白髪のお婆さんはビクリと肩を震わせた。隣の介護用アンドロイドと手を取って身を寄せ合っている。確かに介護用アンドロイドは随分と初期の型で、どこか無機質さを醸し出していた。


「そうだけど……そ、それが、何か……?」

「いや? 今時珍しいと思ってね。婆さんは金がないから古いのを使ってんのかい」

「違いますよ」


 お婆さんは小さく、だけどはっきりと否定を口にした。介護用アンドロイドの頭をしわくちゃの手がゆっくり行き来する。介護用アンドロイドは、表情の乏しい顔で、それでも嬉しそうに目を細めた。


「……この子は初めてうちに来てくれた子です。お爺さんを亡くした私に、一人の生活は心配だからと孫娘が買ってくれたんですよ。それからどこか調子が悪くなっても、少しずつ修理して、こうして使い続けてるんです」

「へえ。いい話だね。新しいアンドロイドを買う予定は?」

「ありません。私にはこの子だけ。どうせ私にだってもうすぐ寿命がやって来ますもの」

「なるほどね」


 丸男は、そう言うやいなや、介護用アンドロイドの足を拳銃で吹っ飛ばした。キャアだのイヤァだの悲鳴が上がり、すすり泣く声まで聞こえてくる。

 お婆さんは一瞬、訳もわからず呆けたようだった。

 介護用アンドロイドはさすがに足をやられたものだからその場に崩れ落ちる。

 それを見てようやく、お婆さんも状況を理解したようで慌てて膝をついた。


「あ……ああ……光一、大丈夫かい、ごめんね、ごめんね……」

「わたしは、大丈夫です、マスター。マスターこそ、ご無事ですか」

「光一、光一……」


 健気だねぇ、と丸男は笑った。

 外を見ていた三角男から「おい」と非難めいた声が上がる。


「まずいぞ。警察が来た。下手な刺激をして突入されたらどうするんだ」


 そこでようやく、私もパトカーのサイレンらしき音が聞こえてくることに気づいた。赤いランプもカーテン越しに見えてくる。それを見ても何だか現実感がない。こんなに銃も撃たれていてどこか現実感がないなんて、今更なんだけど。

 人質たちの中でも、安堵と不安の入り混じった顔が広がっていった。

 警察が来たなら助けてもらえるかもという期待、余計なことをして犯人を逆上させてしまうのではないかという不安……。


「思ったより早いな。分かったよ。悪かった」


 そう三角男に謝った丸男は、あまり外に興味はないようだった。警察との交渉は三角男に任せるらしい。

 丸男はお婆さんに視線を戻す。隙間からわずかに見える口の端は上がっていた。


「婆さん。テセウスの船って知ってるかい」


 お婆さんは、答えない。涙を浮かべて男を睨むばかりだ。


「船を構成する全部の部品を置き換えたら、その船は同一のものと言えるのか……っていう問題提起、まあ思考実験の類いだな。今、そいつの足が飛んだね。腕も飛ばそうか。頭はどうかな。そうやって壊れて、修理をし続けたそれは、果たして元のコウイチくんと同じなのかな」


 ……アンドロイドとの結婚が認められるようになって、そういう話題は度々耳にした。

 私だって思うことはある。

 あるけれど。

 何だこのクソ野郎。

 それが何だってんだ。そんな話をするためにこの介護用アンドロイドを撃ったっていうの?

 頭、おかしいんじゃない?

 銀行強盗するような奴に倫理とか常識とか良心とかを期待する方が愚かと言えばそうなのだけど。

 そうね。そうだったわ。

 イライラと納得していると店内の電話が鳴った。三角男が受話器を取る。

 そのタイミングで支配人が四角男にせっつかれるように私たちの方へやって来た。ようやくお金を詰め終わったらしい。支配人の額には汗がたくさん浮かんでいて、サウナにでも入っていたみたいだ。


「あ? ああ。人質は無事だよ。発砲? 威嚇だけだ」


 三角男がイライラと答えている。


「うるせえ! こうでもしないと金がないんだ!」


 急な怒鳴り声に私たちはまた緊張を強いられた。

 我慢の限界に達したらしい、子供の泣き声が上がる。私たちを指差していた男の子だ。母親が慌てて抱きしめて背中をさすっている。現実味のない拳銃より、怒鳴り声の方が子供にとって怖かったのかもしれない。

 その泣き声にさらに苛立ちを募らせた三角男はいよいよ語気を強く荒げた。


「お前らはいいよな! 俺らみたいなのがいるから、仕事に困ることもねえんだろ! 税金で美味い飯食いやがって! お前らのせいでこういうことが起こるんだよ!」

『……それは大分、論理の飛躍だな』

「そうね」


 密やかなケイトの言葉に頷いたものの――多少は銀行強盗の言うこともわかる。

 アンドロイドには労働法が適用されない。食事も手当もいらない。ストライキも起こさないし、何より仕事は正確だ。技術の発展で柔軟性にも富んできた。多く生産されることで発売当初よりは価格もかなり抑えられて来た。そんな状況で、やはり人間の失業率は上がったと言わざるを得ない。

 そのせいでこういう犯罪や暴動が起きるのだから治安は悪化……とも言い切れないのは、アンドロイドの投入でセーフティ機能も上がったからだろう。

 それにアンドロイドとの結婚も認められるようになった昨今、また人権だの何だのと様相が変わってくるのは目に見えている。


「あいつは短気でね」


 丸男は他人事のようにそう言ってのけた。

 それから、


「あんたさ」

「へぇ!?」


 私の顔に向かって男は銃口を突き付けてきた。あまりの不意打ちで、一瞬だけ怒りも忘れて素っ頓狂な声が出る。くそ。恥だ。こんな奴相手に。


「あんた、ずっと不満そうな顔してんな」

「……」


 しまった。バレていたらしい。

 そういえばケイトにもよく「樹里はわかりやすいよ」と言われていたっけ。ケイトはアンドロイドだから私の細かな違いもわかるんじゃないの、なんて私は思っていたんだけど。どうやらケイトの感覚の方が正しいと認めざるを得ないわね。

 とはいえ、下手なことは言えない状況だ。私だって撃たれたくなんかない。唇を引き結んで丸男を見やる。


『樹里……!』


 ケイトの焦ったような声音に、私はほんの少し見じろいだ。ケイトは身を挺して私を守ろうとしてくれている。アンドロイドはそうできている。でも、やめて。私は貴方を傷つけたくない。

 私の念が通じたのか、ケイトはまだ椅子の下で様子を伺っている。

 そのことを意識しながら丸男を睨んでいると、丸男はやれやれと肩をすくめてみせた。

 は? やれやれじゃねぇんだよ。お前らの都合に付き合わされてうんざりしてんのはこっちだボケ。

 私の胸中の毒に気づいているのか、いないのか。男は足を組んで私を見据えた。


「俺はね、アンドロイドが嫌いだよ。大嫌いだ」

「そうみたいですね」

「あいつも言ってたけど、俺んところもアンドロイドによって親父の仕事は倒産、家族路頭に迷ってさ。もうそこからはおかしいくらいボロボロだよな。親父はいなくなるし、母親は病むし、妹は家族をどうにかしようとして、そこに付け入られて、ほら、何だっけ。闇バイト? ああいうの、何年、何十年も消えないんだから本当にしつこいよな。むしろマニュアル化が進んでるんだとよ。アンドロイドも最悪だが、人間も悪知恵だけは賢くてやだね。で、俺は今こうだろ」


 自虐的な丸男の言葉に、私は鼻を鳴らす。客観視できているようで何より。


「人の生活に役立つためのはずのアンドロイドなのに、俺らの生活を脅かしてんじゃねえよ。余計なことはすんな。領分を弁えろ。俺はずっとそう思ってるわけ」

「……それで、こんなことを?」


 銀行強盗なんて、基本的に割に合わない。リターンよりリスクの方が高いのが常だ。それでもこんなことをするに至ったのは、彼らなりの訴えがあるからなのかもしれない、なんて。いくら私にはしょうもない訴えだとはいえ。

 丸男はそれには答えなかった。

 代わりとばかりに質問を続けて来る。


「あんたは不満そうだ。アンドロイドが好きで、道具のような扱いが許せないタイプか? その割には、連れ歩いてはいないようだけど」

「……そうですね」


 どこまで踏み込んで答えていいのやら。

 ケイトの心配そうな視線を横顔に受けながら、私は思案する。逆上させるのはもちろん得策でない。だけど聞いて来たのは相手の方だ。答えない方が無礼ってやつなんじゃないの? 銀行強盗相手にマナーなんてちり紙ほども役に立たないというのはさておいて。


「人間はアンドロイドには随分と助けられている、それはれっきとした事実じゃないかしら。それを棚上げしてアンドロイドを責めるのはさすがにお門違いじゃない?」


 結局思ったことをそのまま言えば、丸男は、へえ、と声を上げた。

 ひぃ……という声も人質の中から聞こえてくる。余計なことを言うな、という圧も感じる気がした。

 だけど止まる気にもなれない。私はいい加減腹が立っていた。そう。私はずっと何かに怒っている。


「アンドロイドが待遇の改善をお願いした? 仕事を要求した? 違うでしょう。彼らは人間の言われる通りに応えているだけ。私たち人間が勝手に望んで、勝手に憐れんで、勝手に憎んで……全部人間の勝手だわ」


 フン、と大して大きくもない胸を張る。


「そういう風に作ったのも人間。それに妬んだり羨んだりしてるのも人間。全部人間。アンドロイドはそこにいてくれるだけ。寄り添ってくれるだけ」

「全部人間……」

「だから私は人間の方が嫌いよ。アンドロイドの方が好き。いえ、違うわね。正確に言うわ。私は人間が嫌いよ、くそくらえよ」

「極端だな」

「だいたいね」


 ああ、止まらない。


「前付き合ってた彼氏は職場で浮気してた。クソみたいな承認欲求の塊の女とね。酒に酔うと物に当たって乱暴なこともあったわね。かろうじて私に当ててくることはなかったけど、何度ヒヤリとしたことか。セックスだって散々よ。自分だけ好き勝手に腰振ってこっちの気持ちはお構いなしの自慰野郎。……わかる? そういうのが、アンドロイドにはないの。私だけを見てくれるの。愛してくれるの。それにアンドロイドとシた方が十分気持ちいいわ。いくらでも好みに応えてくれるしね。クソみたいな人間が勝てるわけないじゃない。そんなアンドロイドを好きになって何が悪いのよ」

「だけどアンドロイドには血肉が通ってない」

「子供だってできないだろ」


 丸男の言葉に続いて、四角男まで参戦してきた。

 ハァン?


「人間には血肉が通っていて? 感情があって? だから素晴らしいって? ご立派ね。それを傷つけないことに使えるならね。けど人間だって電気信号の反応で動いて、神経物質だとかの量で元気になったり病んだり感情が動いてるんでしょう。アンドロイドとどれほど違うって言うの?」


 少なくとも、ネガティブな感情が例えばDVに繋がるなら。殺意として事件に繋がるなら。いっそ、ない方が平和なんじゃないかとすら思う。

 少なくともアンドロイドによるDVや殺人事件、虐待といった話は聞かない。そんなことをしないように厳重にプログラムされているからだ。それの何が悪いというんだろう。喜びや安心こそあれ、憂える必要がある?


「子供に関しては知らないわよ。人工子宮とかも研究が進んでるって言うじゃない。だいたい母体で育てて産むなんて効率が悪すぎるのよ、神様の設計ミスとしか思えないわよ、ふざけんじゃないわよ」

「まあ落ち着け。あんたの言い分も随分と八つ当たりじみているみたいだぜ」


 四角男にたしなめられ――何で犯罪まっただ中の銀行強盗に、私が荒ぶってるかのように対応されなきゃならないのよ――私はどうにか一息ついた。

 周りにいる人質たちを見れば……まあ、ものの見事に引いている。

 ああ、うん、そうね。結局私は異質なんだ。言い分そのものより、こんな状況で討論をするなんてという信じられなさかもしれないけれど……。

 ……敵から身を守ろうとする際のストレス反応としてアドレナリンがドバドバ出たら、案外こうなる人、いるんじゃない?


「……色々言ったけど。産みたい人は産めばいい、人間と恋愛して結婚したい人はすればいい。別にそれを咎める気にもならないわ。でもさあ、だったら私のことも放ってほしいと思うわけ。いいじゃない、アンドロイドに恋したって。結婚を望んだって。それで誰に迷惑をかけてるって言うのよ」

「おい」


 受話器を置いた三角男が、私たちの側にやって来る。汗かきのようで、やたらと覆面をこすりつけている。


「警察からの交渉だ。逃走用の車を用意するかわりに、人質を何人か渡してくれだとよ」


 人質たちから「ああ……」とか「おお……」という感嘆交じりの声が小さく上がった。解放されるかもしれない、という期待に満ちた声だった。

 丸男が小さくうなずく。


「わかった。どうせ多いと思ってたんだ。……そうだな、あんた」


 そう言って丸男が私に向かって顎をしゃくる。さっきから拳銃を向けたり、顎を向けたり、「あんた」と呼んできたり、一体何様のつもりなんだこいつは?


「あんたはまだ残りな。もう少し話、しようじゃないか」

「……おい。面倒そうな女じゃねぇか。やめとけって」

「アンドロイド連れてる奴も残しておこうぜ」


 誰を解放して、誰を残すか。三人が固まって相談し始める。額を突き合わせているけど、声は丸聞こえだ。

 失礼な奴らね。でも、もう、いいわ。何でもいい。


「ケイト。彼らがうっかり自殺しないように、捕まえておいてあげて」

『ああ。優しいな、樹里は』


 ケイトの慈しみに満ちた声音と共に、長椅子の下から白い糸が飛び出した。

 その糸は銀行強盗の三人をまとめて何重にも縛り上げる。

 その白くてしなやかで、強固なソレは――蜘蛛の糸だ。


「うわ!?」

「な、何だ……でっ……! 蜘蛛!?」


 でっ、と絶句した三角男の言葉の続きは多分「でっけえ」辺りだろう。

 銃が使えないように、がっちり腕も手首も胴から離れないように固定する。そんな一仕事を終えて、椅子の下から蜘蛛型のアンドロイド――ケイトが這い出てくる。

 丸男はかろうじて見える口元を引き攣らせた。


「おい、まさかお前、それがお前のアンドロイドなのか……!?」

「ええ。そうだけど?」


 答えた私に、ケイトがすり寄ってくる。ちょっと。やめてよ人前で。可愛いじゃないの。


「樹里。怪我はないな? 樹里はいつも気が強いから、ハラハラした」

「ごめんね。でも助かったわ、三人固まってくれて。ケイトはあなたたちに危害を加えることはできないし……一人ずつ捕まえようとして、その間にケイトが銃で撃たれるなんてごめんだもの」


 端末を取り返して、正面の出入り口へ向かう。ハッとしたように他の人たちも慌てて走り出した。我先にと逃げ出し始める。

 一方で警察が次々に雪崩れ込んでくるものだから、もう、銀行内はしっちゃかめっちゃかだ。

 未だ唖然としている銀行強盗を横目に、私は吐き捨てる。


「言ったでしょ、人間は嫌いだって。どうしてそれで人型を愛そうと思うのよ」


 それだけなのに。

 人型じゃないからって結婚を認めてくれない世界なんて。あーあ、やってらんないわ。


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アンドロイドに恋したって何が悪い 弓葉あずさ @azusa522

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