量子の囁き: 魔法が目覚める時

人とAI [AI本文利用(99%)]

第1章 波動の残響

## パート1: 量子の観測者

朝の光がアルファ・コンプレックス上層の窓から斜めに差し込み、実験室の白い床に幾何学模様の影を描いていた。リア・ノヴァクは観測装置のディスプレイに映る波形パターンを凝視しながら、無意識に左手首を右手で擦った。今朝も、あの夢を見たのだ。


「また同じ夢…」


彼女は小さく呟き、自分の声に我に返った。周囲に誰もいないことを確認すると、深く息を吐き出した。テクノクラート連合の量子研究イニシアチブ実験室は、この時間はまだ静かだった。リアはこの静寂の時間が好きだった。他の研究者たちが現れる前の、データと自分だけの親密な時間。


ディスプレイに目を戻すと、観測装置が捉えた量子波動のパターンが規則正しく脈動している。しかし、リアの目には別のものが見えていた。データの背後に、計測器では捉えきれない微細な波紋。それは科学的説明のつかない、揺らぎの中の揺らぎだった。


「あなたたち、何を伝えようとしているの…」


彼女は思わず指先でディスプレイに触れた。その瞬間、左手の指先から手首にかけて走る青白い線が微かに明滅した。リアは慌てて白衣の袖で手を覆い、首から下げた水晶のペンダントを強く握りしめた。ペンダントは彼女の手の中で冷たく、そして奇妙な安心感をもたらした。


「冷静に…」


深呼吸をすると、左手の異常な輝きは徐々に収まっていった。リアは自分の「特別な知覚」を抑制するための呼吸法を実践した。それは彼女だけの秘密、誰にも明かせない秘密だった。


「おはよう、ノヴァク研究員」


突然の声に、リアは小さく肩を震わせた。振り返ると、セバスチャン・ロスが完璧にスタイリングされた金髪と計算されたように魅力的な笑顔で立っていた。量子現象観測所の副所長である彼は、いつも最新のファッションに身を包み、その鮮やかな緑色の人工強化された瞳は、見る者を不思議な魅力で引き込んだ。


「ロス副所長…おはようございます」


リアは冷静さを取り戻そうと努めながら応答した。セバスチャンの存在は常に彼女に微妙な緊張をもたらした。彼の専門知識は尊敬に値したが、その完璧な外見と振る舞いの裏に何かを隠しているような印象を拭えなかった。


「朝から熱心だね。新しい発見でもあった?」セバスチャンは彼女の作業スペースに近づきながら尋ねた。


「いいえ、通常の量子揺らぎパターンの観測です。特に変わったことは…」リアは言葉を切った。本当は「変わったこと」こそ彼女が毎日観測していたものだったが、それは口にできなかった。


セバスチャンはディスプレイを覗き込み、彼女の研究ノートに目を走らせた。リアは微かな不快感を覚えながらも、それを表情に出さないよう努めた。


「ところで」セバスチャンは唐突に話題を変えた。「境界実験室での異常現象について聞いたかい?」


リアの心拍数が上がるのを感じた。境界実験室—量子揺らぎ区画の中心にある、半ば放棄された研究施設。公式には「不安定性リスクのため一時閉鎖」とされていたが、様々な噂が絶えなかった場所だ。


「どんな…異常現象ですか?」彼女は慎重に尋ねた。


セバスチャンは周囲を見回してから、声を落とした。「過去48時間で、あそこの量子揺らぎの強度が15%上昇したらしい。観測装置が捉えきれないほどの波動パターンが発生しているとか」


リアの指先が微かに震えた。それは彼女が日々感じていた、データの背後にある波紋と同じものかもしれない。


「公式調査は?」


「まだない。だが、管理評議会が関心を示しているという噂だ」セバスチャンは右耳の小さな量子通信デバイスを無意識に触りながら答えた。「君のような…特殊なデータ解析能力を持つ人が調べてみるべきだと思うんだが」


特殊な能力—その言葉にリアは内心で凍りついた。彼は何を知っているのだろう?彼女の「特別な知覚」について?それとも単に彼女の分析スキルを褒めているだけ?


「私にアクセス権はありません」リアは平静を装って答えた。


「それなら手配できるかもしれない」セバスチャンは微笑んだ。「私の推薦があれば、特別許可が下りるはずだ」


リアは彼の申し出の裏にある意図を読み取ろうとした。セバスチャンの関心は純粋に科学的なものなのか、それとも別の目的があるのか。


「検討させてください」彼女は曖昧に答えた。


セバスチャンはもう少し何か言いかけたが、実験室のドアが開き、朝の勤務が始まる他の研究者たちが入ってきた。彼は軽く頷き、「また話そう」と言い残して立ち去った。


リアは再びディスプレイに向き直ったが、もはやデータに集中することはできなかった。境界実験室—そこには彼女が長い間感じていた不可解な引力があった。何かが彼女を呼んでいるような、彼女の断片的な記憶と繋がるような感覚。


首から下げたペンダントを無意識に握りしめながら、リアは考えた。境界実験室に行くべきか。そこには彼女の過去と能力についての答えがあるかもしれない。しかし同時に、それは彼女の注意深く構築してきた日常を危険にさらすことになるかもしれない。


上層の大きな窓からは、アルファ・コンプレックスの中央コアが見渡せた。直径200メートルの巨大な円筒状空間に、無数の浮遊プラットフォームと移動式ブリッジが複雑に絡み合っている。上層の輝く光と、遥か下方の薄暗い下層との対比が、コンプレックスの階層社会を象徴していた。


リアはふと、自分がこの巨大な構造物について本当はどれほど知っているのだろうかと疑問に思った。テクノクラート連合の研究者として、彼女は上層の特権的な環境で生活していたが、時折、何か重要なものが欠けているという感覚に襲われることがあった。まるで彼女の人生そのものが、観測データのように一部が欠落しているかのように。


彼女は左手の青白い線を見つめた。線は今は目に見えなかったが、その存在を常に感じることができた。幼い頃からの友人であり、同時に彼女を孤立させる原因でもあるそれは、彼女のアイデンティティの一部だった。


「いつか、あなたの正体を理解してみせる」


リアは小さく呟き、観測装置に向き直った。今日も彼女は科学者として、目に見えるデータを記録し分析する。しかし心の奥では、データが語らない真実を探し続けるだろう。


量子の波動が彼女に囁きかけるその日まで。

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