第9話 鈴村さん

「ねえ、天川さん」


 席替えして二週間くらい経ったある日のこと。前の席の鈴村さんが突然後ろを振り返った。しかも、私に話しかけているらしい。


 私たちはプリントを円滑に後ろの席へ回すだけの仲だと思っていたのだが、何かやらかしてしまったのだろうか。


「天川さんって、八坂さんと仲良いよね? 」


「あ、うん。そ、そうだよ! 」


 そう認識されている。それだけのことが無性に嬉しかった。


 鈴村さんは困ったように手を合わせて言う。


「ちょっと相談があってね、教室じゃ話しづらいから次の休み時間ちょっと付き合ってくれないかな? 」


「わ、わかった」


 あまり話したことのない相手からの突然の呼び出しほど恐ろしいものはない。私はビクビクしながら古典の授業を乗り切る羽目になった。


 授業が終わると、鈴村さんは礼をしながら教科書を机の中に突っ込み、顔を上げた瞬間には教室の後ろのドアの方へ歩き出していた。


 一度振り返ると、早く来いと言わんばかりに私に目配せする。


 私は教科書をしまうのは諦めて、大人しく鈴村さんの後ろへ付いていった。


 私たちの教室があるのは4階。鈴村さんは比較的生徒が使わない階段を使って、下へ下へとひたすら降りていった。


「えーっと、どこに向かってるの? 」


 聞いても答えてくれないし、すごく帰りたいのだが、今更引き返すわけにもいかないので肩を落として歩く。鈴村さんが歩くたび、長い髪がゆらゆら揺れていた。


 結局鈴村さんが止まったのは階段を降りきったところ、1階の色んなところから死角になる、人気の少ないところだった。


「ねえ天川さん、アイツの友達ならさ、ちょっとどうにかしてくれない? 」


 目的地らしきところに着くなり、仁王立ちでいきなり意味の分からないことを言われたので、極力丁寧に聞き返す。


「ええーっと、何かあったの? 」


「は? 何かあったの? じゃなくて。八坂さ、堺くんのことが好きなんでしょ? だから、それをどうにかしてって言ってんの」


「え?? 」


 言われて、余計困惑してしまった。いや、言いたいことは分かる。要は、鈴村さんは堺くんのことが好きだから、堺くんによく話しかける羽瑠も堺くんのことが好きなのだと勘違いして、羽瑠に身を引かさせることを私に要求しているのだろう。


 そもそも羽瑠は堺くんのこと恋愛的に好きじゃないって言ってたし、仮にそうだったとしても、私がそれを止める権利とかは絶対にないと思う。


「あの、何か勘違いしているみたいだけど、羽瑠は堺くんのこと別に好きじゃないよ」


 仮に他人の恋心を意図的に消すことが可能だったとしても、そもそもない恋心を消すことは誰にもできないので、ちゃんとそれを伝えておこうと思った。


 だけど、逆効果だったみたいだ。鈴村さんはバカにされていると感じたのか、顔を赤くして怒り始めた。


「ハア!? そんな嘘が通用するとでも思ったわけ!? 私がそう簡単に騙されるとでも? 冗談も大概にしてよ! 」


「そ、そんなこと言われたって、本当にそうだから……」


「根拠はあんの!? 」


 あるわけないじゃん、と思った。人の心は、他者に見えるように作られていない。


「少なくとも羽瑠はそう言ってたし、私はそれが嘘じゃないって思ったよ」


 鈴村さんの勢いに押されながらも精一杯言い返すと、彼女の顔はさらに真っ赤になった。


 だけど、もうこれ以上どうしようもないだろう。私からはこれだけしか言えない。


 もうなるようになれという思いで俯いていると、大量に怒りを含んだ、でも耳慣れた声が頭上から降ってきた。


「ねえ、何してんの? 」


「……羽瑠! 」


 階段の上の方に羽瑠が立っていた。羽瑠はかけ足で階段を降りてきてくれる。


 私を背中に守るような位置に立って、ゆっくりと低い声で鈴村さんに言った。


「なんか、私に文句あるわけ? 別にあってもいいけどさ、言いたいことあるならハッキリ言いなよ。マカじゃなくて、私に」


 羽瑠の言葉には、一つ一つに重みがあった。その重みは、後ろにいる私にもちゃんと伝わってくる。

 

「文句というか、堺くんから身を引きなよって話で……」


 私に怒鳴っていたときとは打って変わって、鈴村さんはボソボソと喋る。


「え、鈴村さん堺のこと好きなの? 知らなかった! 本人に言っとくね! 」


「は? ちょ、八坂お前バカなの!? 最低! 」


「まあ、私優しいから言わないでやっててもいいけどさ、今後マカに手出さないでね? なんかやった瞬間、堺に鈴村さんが好きって言ってたよって言うから。そのときの堺の反応まで事細かく教えてあげるね〜」


「まじで最低じゃん」

 

「だからマカに手出さなければいいだけの話だって。簡単でしょ? あと、私別に堺のこと恋愛的に好きじゃないからそこだけよろしく。ほら、さっさと行った行った」


 羽瑠がシッシッと虫を追い払うみたいに手を払うと、鈴村さんは為す術なく階段を昇って教室に帰っていった。


 十分にそれを見届けてから、羽瑠は私を振り返る。


「ごめんね。変なことに巻き込んじゃって」


「あ、いや大丈夫……。羽瑠こそ来てくれてありがとう」


「いやいや。急にマカが鈴村さんと一緒に教室出てったからさ、さすがに変だなって思って付いてきたまでだよ」


 小さいけど鈴村さんを追い払ったりと、私よりよっぽど堂々としてる羽瑠は本当にすごい。


 つい、ある興味が湧いてきた。


「羽瑠ってさ、身長何センチなの? 」


「148㎝だけど」


 ああ、私より14㎝ちっちゃい。


「ん? 今もしかしてちっちゃって思った? 」


「……や、全然? 」


「なに今の間! 絶対ちっちゃいって思ったでしょ! 」


「や、思って……ない! 」


「うそだー。絶対うそだー」


 言い合っていたら、いつのまにかチャイムが鳴り出した。


「やっば授業遅れるって! 」


「もう手遅れじゃない? のんびり行こう」


「まだ間に合う余地はあるよっ! 諦めたらそこで試合終了だから! 」


「教室4階なのにー? 」


 ケラケラ笑う羽瑠につられるように私も笑いが零れて、結局二人で歩いて教室に戻った。

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