ぽんこつ殺人鬼の憧れ

縁章次郎

ぽんこつ殺人鬼の憧れ

「かぁっこいいー」

 憧れちゃう。

 あの黒光した刃物に並の人間よりも高い体躯、鋭い眼光に簡単に人間の骨を握り潰してしまう握力。殺し方はスマートかつアグレッシブに、虫が這っても、血飛沫を浴びても、反撃されても動揺一つない表情。 

 画面の向こうで血飛沫が上がる。それはもう素晴らしいほどの勢いで獲物が木っ端微塵になるのを見て、憧れちゃうなぁ、と少女はホラー映画の殺人鬼をきらきらした顔で見つめた。


 

 暗い部屋の中、少女が刃物を振り回せば、重い風音がびゅんびゅんと鳴った。

 本当は、少女からしたら刃物を振り回したくなんてない、と言うのが本音だ。本当はもっと格好良くスマートに切り裂きたいのだ。あの映画の殺人鬼のように紙を切るみたいに獲物を切り裂きたい。えいや、と一撃で切り裂けたのならきっと格好良いだろう。

 けれども現実は大変残酷で、妄想の中だったらすっぱすっぱと切れる獲物も、現実ではするりするりと逃げていくのだ。何故なら少女は大変に不器用だったので。どれだけ振り回したって刃物はすんなりと獲物を切り裂いてはくれなかった。

 料理の肉だってまともに切れたことはないのだ、少女は。押しても引いても、肉はつながったまま、結局そのままで圧力鍋にぶち込むのが少女の料理だった。

 現実では憧れの一刀両断なんて夢のまた夢なのだ。

  

 獲物は悲鳴を上げることもなく、にやにやしながら少女を見ていた。どうせお遊びだと思われている。それか、本当はそんな事出来ないのに、とか思われている。

 獲物が驚いていたのは刃物を取り出した時だけだった。最初は、少しの動揺と、なぜそんなことを、と強張った顔で問われたけれど、少女の不器用さの象徴ーー刃物を取り出した際に自分の指を切って転げたーーを見てからと言うもの、獲物は余裕を取り戻し、どころか少女を舐め腐っている。殺しなんか出来っこない、と何かの催し物を見るように、獲物は楽しんで少女を見ているようだった。

 対して少女は、殺しが出来ないなんてそんな事ないのに、と膨れっ面だ。少女は確かに不器用だし、殺し方はスマートではないけれど、これまでだって様々な獲物を殺してきたのだ。実績はあるのに、と獲物を威嚇する。頭の中ではアリクイの威嚇ポーズを獲物へと披露しているところだ。

「もぉ!」

 少女はむくれて刃物を更に振り回した。感情に流されやすいのは少女の悪い癖だ。憧れのホラー映画の殺人鬼みたいに何の感情も持たないような目でやってみたいとは少女だって思っている。でも生来、少女は感情豊かですくすくと育まれてきたので、どうしたって感情豊かになってしまうのだ。

 憧れの映画の殺人鬼のようにとは思っても、現実はそう上手くいかない。感情のコントロールの練習の成果だって、目の前におやつを出されて呆気なく陥落、と言う結果を残しただけだった。

 上手くいかない現実に更に刃物の振り回しは大袈裟に、不器用になった。それで余計に獲物に笑われる。

 縦に振り回してはするりと避けられ、と言うか少女が避け、横に振り回してはなぜか壁に当たった。獲物は壁や床と言われた方が納得できるような部屋の仕上がりになっている。例えば鋭い爪を持った大きな獣がいたとして、それが部屋の中で暴れ回ったらこうなるだろう有様だ。


「観念なさーい!」

 ぜえはあ。ぜえはあ。感情に任せて振っていたので、少女の息は上がっていた。ああ、あの映画みたいに、どれだけ動いても息ひとつ乱さない人間になりたい、と少女は思う。この、あの映画、とは悪魔崇拝の話なので、殺人鬼は人ではなかったのだけれど、少女にとって殺人鬼は殺人鬼。ゾンビにだって、悪魔にだって、超能力者にだって、殺人鬼と言うのなら少女は憧れるのだ。

「そんなこと言ったって、君が当てられないだけだろう」

 少女に刃物の切先を向けられ宣言されても、獲物はどこ吹く風だ。ちっとも脅威だとは思っていない。完全に舐め腐っている。

 獲物はにやにやと少女を見ていた。その視線の先は少女の下肢だ。あちらはあちらで機を伺っているようだった。

 全く失礼しちゃう、と少女は更にむくれる。

「もう、えい!」

 ぶおん、と重い音を立てて刃物を振り回す。けれどやっぱり獲物には当たらず、力を込めた結果、最終的には刃物は遠くへと飛んでいって天井へと直立で刺さった。

 少女の憧れは黒光した刃物を携え、格好良く立ち去ることだ。だが刃物は一度たりとも赤色に染まったことはないし、何だったら最後まで持っていた事も少ない。峰打ちで肋骨を砕いた事ならあったけれど、少女がしたいのはそう言う事じゃないのだ。

「おやおや、刃物を無くしちゃったみたいだね」

 獲物は余裕の顔で少女に近付いてくる。機が訪れたと歓喜しているようだった。にやにや笑う顔は歪んでいて、何だか虫を連想させる。

 ところで少女は虫が苦手だった。ホラー映画の殺人鬼は虫などものともせず、何だったら虫を食べることさえ出来る者までいるくらいだが、少女はどうしても虫、特にうごうごと動くものが駄目だった。ああ、彼らのように強くなりたいと思っても、憧れは憧れ、すぐにどうこう出来るものでもない。

 だから、獲物の顔を見た時少女は凄まじい勢いで鳥肌を立てた。チキンスキンだ。

「いやあっ!」

 少女は思わず悲鳴をあげた。うごうごとする虫を想像してしまったのだ。そうしてそれが獲物のにやにやした笑い顔と重なる。

 少女の目に怯えの色が宿ったのを気がついたのだろう。獲物はますます調子に乗ったような様子で、ついには少女に手を伸ばしてきた。


 少女は獲物を突き飛ばそうとした。遠ざけたかったのだ。来ないで、の意を載せて、両手を前に突っぱねて突き飛ばしたつもりだった。けれども。


 少女はおっちょこちょいだった。それもうひどいおっちょこちょいだ。そう少女は思っている。

 首を切って殺す筈が、キャメルクラッチを喰らわせる体勢にいつの間にかなっていたくらいのおっちょこちょいだった。ビンタはアイアンクローに、組み付きは背負い投げになった。だから。

  

 突き飛ばしたつもりだった少女は、何故か獲物にパイルドライバーを仕掛けて勝利を納めていた。閉じていた目を開いた時には既にパイルドライバーが決まった姿勢で、獲物はごっきり折れてお亡くなりになっていた。



「うう、こうなりたぁい」

 ホラー映画の殺人鬼が鉤爪を鳴らして獲物を追い詰めている。指をセクシーに這わせる姿は、何とも言えず格好良く、かの殺人鬼はウィンクまで決めてくる。

「スマートになりたぁい」

 怨霊のように少女は管を巻いた。現在の少女は、本日の失敗にリンゴジュースで酔っ払っている。


 憧れる少女は、けれど未だ理想の殺人鬼になるには到底遠かった。

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ぽんこつ殺人鬼の憧れ 縁章次郎 @chimaira

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