第29話 同期
「【ルリ】から連絡してくるなんて、珍しいじゃない」
騒動が起きてから五日後。
私は、とある人物に電話をかけていた。
「それは……、今回の件で二人には迷惑をかけているし。あと事務所の先輩や後輩たちにも」
「あまり気にしてないと思うよ」
「まあ、そっか……」
炎上というか、放火は大手事務所じゃぼちぼち起きる。
いちいち構っていたら、それこそきりがない。
かといって、迷惑をかけていることには変わりないんだけど。
あと、そういうのに慣れていない【
「ところで、私が数ヶ月前に書いたスリーブのサインどうしたの?」
「あれは……、知り合いにあげた」
「例のあの子に?」
「まあ……、そうかな」
歯切れが悪いのは、それを偽物だと言って、彼女に渡したから。
スマホ越しの相手は、私の同期の【
例のあの子は当然、【ひまり】が推しの【
私はツバメちゃんと会う前に、実は【ひまり】にサインを頼んでいた。
スリーブのサインは本物である。
ところが、本当は捨ててもらっても構わないのに、ツバメちゃんはなぜかあれからずっと、サインの書かれたスリーブを持っているらしい。
そういえば、初めから本物にそっくりだと言っていた。私が書いたと言ったのに、本物だと疑っていた。
さすが熱心なファンだ。真贋を見抜く力は本物ってことかな。
あるいは、別の理由で持っているのかもしれない。私が書いたからという理由で。
これでも私も【トライア】の一員。私が書いた【ひまり】のサイン、それはそれで、ある意味価値がある。
いずれにしても、本人に理由を聞いてみないと、真意は分からないけどね。
「ところでさ」
こっちから電話しといてなんだけど、【ひまり】の意地悪な声が聞こえてくる。
「どうして、【ルリ】は、スズメちゃんに惹かれたの?」
「それは……」
この気持ちを伝えるのは恥ずかしい。
防音室の中で電話しているので、【ひまり】以外には聞かれていない。
それでもだ。
私は少しだけ間を置き、頭の中で考えをまとめてから答えた。
「昔の私を見ているみたいだった」
「ほう?」
「不器用でがむしゃらで、でも、配信だけは楽しそうで」
「そうだねー」
「性格とか全然違うのに」
「そうかな?」
しかし、【ひまり】はそうは思っていなかったみたいで……。
「最初の頃の【ルリ】は、あんな感じだったと思うけど」
昔の私なんて、自分では覚えていないよ。
だって、とにかく毎日生きることに精一杯で、必死だった。
辛いことが多かった気がする。事務所も今より遙かに小さい。
スタッフも数人しかいなかった。同接も三桁いかないときが続いた。
上手くVTuberブームに乗れて、運良く生き残れただけだ。
だけど……、楽しいことも多かった。
当時のことは、はっきりとは覚えていない。
しかし、頑張って思い出そうとすると、鮮明に蘇るのは楽しい思い出のみ。
そう、楽しい思い出だけ……。
いつからだろう、配信が『楽しい』から『仕事』に変わってしまったのは。
同接とチャンネル登録者の増加と共に、人の目を気にしだしてしまった。
義務感にかられるようになってしまった。
急に配信が楽しくなくなってしまった。
何の配信をすればファンは喜んでくれるのだろうか?
そんなことばかり、考えるようになってしまった。
その考え自体悪いことじゃないのは分かっている。
だけど、自分の意思決定が希薄になっていった。
どうすれば、無難に生きられるのか。
個性がなくなる。特徴がなくなる。
それは配信者の死。
大きくなった事務所に恥じない配信者でいられるのか。
先輩に迷惑をかけないように。
後輩に示しが付くように。
事務所が、【ルリヒメ】が大きくなればなるほどに、私は何の為に配信をしていたのか分からなくなる。
きっと忙しさでストレスも溜まっていたんだと思う。
仕事があるのは、案件がくるのはありがたいこと。
そして、昔に戻りたいと思えない自分が辛い。
今の私は、【月影ルリヒメ】という立場を捨てられない。
先輩がいる。後輩がいる。同期がいる。
たくさんのファンがいる。イベントを主催してくる人もいる。こんな私にも案件を投げてくれる企業様もいる。
今まで、【ルリヒメ】でもらった物は多い。
それこそ、ツバメちゃんが言っていたように、私は他の人からすればうらやむ存在で、なりたくてもなれない人は大勢いる。
馬鹿らしいよね。
昔みたいに楽しく配信がしたいと言いつつ、今の立場を捨てたくないなんて。
その矛盾に、私はずっと苦しんでいた。
暗闇の中、目指すべき光を失っていた。
だけど……。
「良い機会だと思うよ」
【ひまり】は悲観する私とは違い、いつも通りの調子で答えてくる。
そんな声を聞くだけで、すごく安心する。
「だから、ちゃんと私から言ってあげる」
それは、今も昔も変わらない、同期の声。
「戻ってきなよ。席はいつでも空けているよ」
私は何も答えない。
きっと小さな吐息だけが、向こうに漏れていることだろう。
スマホをミュートにすることに、私は慣れていない。
「今日、電話してきたのも、背中を押してほしかったんでしょ」
別に隠していたつもりはない。
だって誰よりも私のことを分かっているのは、同期の【ひまり】と【もみじ】だから。
「【ルリ】が引っ張ってくれたから、私たちは頑張れたんだよ」
「それは……、私も二人が隣にいてくれたから、頑張れたわけで……」
「じゃあ、またいてあげる」
「うっ……」
ずるい……。
誘導されて、言わされた気がする。
私は今でも……。
配信が好きだ。
VTuberが好きだ。
それこそ、隣の女の子にお節介を焼いてしまうほどに。
「もう切る……。また今度連絡する……」
「あっ、逃げた」
私は通話終了のボタンを押した。
いつも逃げるのは私の悪い癖だ。
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