第13話 魔球と魔剣 7
「鬼ごっこはおしまいですか? それとも誘い込んだつもりなのか……まぁどちらでも構いませんが」
途中にあった『止まれ』の標識をポキっと折って片手に握りながら女が近づいてくる。
その馬鹿力に呆れながら夢月はヒカリに思考を飛ばす。
〈ヒカリ、変身解いて私から離れてくれる?〉
〈……夢月、正気?〉
〈アンタが正気に戻したんでしょ。ここであいつと殺し合ってもメリットがない。それなら私が人間だってことを明かして交渉のテーブルに着かせた方が合理的だし、やりあうのは交渉が決裂してからでも遅くない。別に私、人殺しが趣味とかじゃないし〉
〈夢月がやれって言うならやるけど……危ないと思ったらわたし遠慮しないからね?〉
渋々といった様子でヒカリが離れていく。
黒衣の女の眼前で、漆黒の鴉天狗がふたつの人影に分裂していく。
そして現れたのは、年若いふたりの少女だった。
「……なんの真似ですか? それにその気配、あなたは――」
「そ、私は人間。ここでアンタと潰し合うのは得策じゃないと思ったから、こうして中身を開示したってワケ。ねえ掃除屋さん、今まで裏の世界で生きてきたんだろうけど――“刀間”って名前に聞き覚えはない?」
女が怪訝な表情で夢月を見る。
戦闘体勢を解く様子はないが、会話に応じる気はあるようだ。
「刀間……古くから続く退魔の家系と聞いていますが。あなたがそこの人間だと?」
「そういうコト。この村正とさっき見せた剣技が証拠になるだろ? あんたのマチェット、並みの剣士ならカタナか腕を折られてるだろうし」
「……その日本刀の霊威は認めましょう。ですが私の記憶が正しければ刀間家は一線を退いて久しいはず。それにあなたが退魔を生業とする家系だというなら尚のこと――」
鉄色の瞳がヒカリを射抜く。煮えたぎる溶岩のように憎悪の籠もった目で。
「なぜ人間がそのような化け物と一緒にいるのですか?」
その殺意の鋭さに気圧されたヒカリが思わず一歩後ずさる。
それを庇うように、夢月はごく自然な動作で一歩前に出た。
「だから言ったろ? いろいろ訳アリなんだって。ただアンタに言えるのは、こいつがまだ誰も殺してないってことと、私らがハッカーをひとり始末してるってこと。私はこいつを監視がてらこの街を守りたい、アンタは危険な害虫を駆除したい……私たちの利害は一致してるんじゃない?」
視線だけで人を殺せるような殺意を浴びながら飄々と言う夢月。
だが、女の気配もまた揺らがない。
「いいえ、一致などしていません。そこの害虫も駆除対象です。この街の害虫は私が残らず一掃する。ですから、あなたが街を守る必要もありません」
「融通利かないなーけっこうかわいい顔してるのに。そんなノリ悪いと都会じゃモテないよ? まぁ私個人としてはアンタのそういうキャラは嫌いじゃないけどね。むしろグッとくるみたいな?」
茶化すようにウインクなどしてみせる夢月。
を斜め後ろからジトリとした目で見るヒカリ。
ジトリどころかグサリという視線で今にも襲いかかってきそうな黒衣の女。
「……その虫になにを吹き込まれたか知りませんが。知己と同じ顔をしていたとしても、それは人間ではない。社会を侵蝕し、秩序を乱す害虫です。あなたの前で大人しくしているからといって、リスクがあるのなら駆除しない理由がありません。それを庇うというのなら――」
女が『止まれ』の標識を握りしめる。ギギギ……という音を発して握った箇所が歪んでいく。
「――諸共に、私がこの手で屠りましょう」
メキャ、と交渉の決裂を告げる音と共に、女の手が完全に標識のなかへとめり込んだ。
「はーあ、フラれちまったかぁ。そんな必死になるほど良いもんかね……“復讐”ってのは」
「――――今、なんと?」
死んだ。空気が。一気に氷点下にまで落ち込んだ。
確実に彼女の地雷を踏み抜いた。もはや交渉どころの話ではない。
一触即発。次の動きが互いの死に直結するほどの緊張感が辺り一帯を支配している。
夢月がカタナの柄に手をかけ、
黒衣の女が軋む標識を握りしめ、
ヒカリが冷や汗を流した、その瞬間。
――ゾクリと、粘ついた殺意が空気を塗り替えた。
「「――――っ‼」」
弾かれるように夢月と女が殺意の発生源に視線を向ける。
間髪入れずに『止まれ』の標識が射出され、2秒とおかず20メートルは離れた遮蔽物に突き刺さる。
その時にはもう、粘ついた異質な気配は跡形もなく消え去っていた。
「おい、今の――」
「……どうやら覗き見されていたようですね。迂闊でした。あなたたちの騒ぎに気づいたのが私だけではない可能性を考慮するべきだった」
「そういやアンタ、別の獲物を追ってきたって言ってたね。それが今のやつってこと?」
今しがた感じた気配は異常だった。破裂寸前だった夢月と女の戦意を逸らすほどに。
標識を突き刺した辺りを睨んだままの女を見ながら、そこで夢月はあることに気がついた。
「……行くぞ」
女とヒカリを促して、気配が消えた方向に歩き出す。
「無駄ですよ。もう逃げられている。それを口実に私から逃げるつもりだとしても――」
「まだ気づかない? これ、血の匂いだよ。ここまで匂うってことは現場は相当だね」
夢月の言葉に怪訝な表情を浮かべたものの、女はすぐにその意図を理解する。
うっすらとだが、まぎれもなく血の匂いがした。
先ほどまでは夢月との戦闘に気を取られて気づかなかったらしい。
「……たしかに。今は痕跡の確認を優先すべきですね」
彼女も納得したのだろう、夢月に合わせて血の匂いの元へと歩き出す。
「それに――あなたも見ておいたほうがいいでしょう」
◇
夜の高架下を、血の匂いを辿って歩いていく。
華やかな街の喧騒とは打って変わった静けさ。聴こえるのはときおり通りかかる車の音と、遠くでかんかんと鳴り響く踏み切りの音。
こんなにも光と人の目の届かない場所では、朝に太陽が差し込むまでのあいだ、何が起ころうが文字通り明るみには出ないに違いない。
その現場に辿り着いたとき、刀間夢月は絶句した。
「少しは危機感を共有できましたか? これが害虫を放置する危険性です」
黒衣の女はもう見慣れているのか、表情ひとつ変えず冷徹に現場を観察している。
およそ常識というものから逸脱した、凄惨な殺害現場だった。
「……ああ。正直なめてた。こんなのばっか相手してたらアンタがそうなるのも分かる」
一見して、そこで何人死んでいるのか分からない。
血の海に花が咲いている――それが第一印象だった。
むせ返るほど夥しい量の血痕のなか、巨大な白い薔薇が鎮座している。夢月の見立てが正しければ、その薔薇は大量のガードレールが折り重なって出来ていた。
どんな手段を用いたのか知れないが、辺り一帯のガードレールが剥ぎ取られ、そこにいた人々を巻き込んで血染めの現代アートが形成されている。まるでガードレール自体が意思を持って人を襲ったかのように、巨大な白薔薇の中には、至るところに細切れにされた人体のパーツが散りばめられていた。
都会の陰に突如として咲いた鉄製の食人花。それを作ったやつが、この街にいる。
こんな真似ができるのは、ハッカー以外にはあり得なかった。
「少し前に都内で起きた連続殺人。その殺害現場の情報が徹底的にシャットアウトされていた理由がこれです。こんなもの、世間に説明できるはずがありませんからね」
それはそうだ。こんなものを説明できるわけがない。「ガードレールが人間を巻き込んでミンチにしながらでっかいお花に成長しました」だなんて、言うほうも聞くほうもいかれてしまう。
「警察内部では“スプラッター”と通称されているようです。見ての通り、性格はきわめて残忍で凶暴。現場の痕跡から無機物の形質を自由自在に変化させる能力を有していると推測されています。別の事例では乗車している人間ごとバス1台をペシャンコに圧縮したこともあるのだとか」
黒衣の女が淡々と言う。その目線は犯人の足跡に繋がるものがないかくまなく探していたが、やがて手がかり無しと断念したようだ。
「アンタ、警察にも知り合いいるの?」
「あなたには関係のないことです。……ただ私は、やつらを根絶するために必要なことならば妥協しない」
夢月が探りを入れる一方、それまで押し黙っていたヒカリが口を開いた。
「…………じゃない」
俯いていて表情は窺えないが、その肩はわなわなと震えている。
「わたしの望みは……こんなのと同じじゃない……!」
普段の彼女らしからぬ切実な声色だった。
どこか、かつての彼女を彷彿とさせるような。
冷めた目でそれを見る掃除屋がなにごとかを言う前に、ヒカリの肩を抱きながら夢月が言う。
「ね、連絡先交換してよ。てかラインやってる?」
「はい?」
想定外の提案だったのか、女が怪訝な顔になる。
「ていうか名前もまだ聞いてなかったね。なんていうの?」
「なぜ、あなたに教える必要が?」
「停戦だよ。こいつ……スプラッターだっけ? こいつを始末するまで協力しようって提案」
「……先ほども言いましたが。この街の掃除は私だけで手が足りますし、そこの虫を見逃す理由も――」
「おまえが優先するのは私怨と人命どっちだよ。少なくともヒカリよりこいつのが危険だろ」
女の言葉をさえぎって夢月が言う。
一瞬で相手の殺意が膨らんだものの、夢月はそれを無視して続けた。
「おまえがなんと言おうが私はやる。殺人鬼がいる街でのんきに暮らせるかっての。でもってヒカリはその役に立つ。だからおまえには殺させない。さっきも言った通り、別に私はおまえと敵対したいわけじゃないから、何か分かれば情報提供だってしたって良いし。今は野放しになってるイカれた殺人鬼を始末するのが最優先……違うか?」
夢月が言い終えると、しばしの気まずい沈黙が続く。
やがて観念したように女がため息をついた。
「……いいでしょう。あなたたちの優先順位を下げます。あくまでスプラッターを始末するまでの間ですが」
「いいよ、とりあえずはそれで。じゃ次は連絡先だけど――っと、」
言い終えるより速く、長方形のカードが飛んでくる。
見ると、それは『駆除代行
「へえ……シオンちゃんか、かわいい名前じゃん。後でメールしとくから、改めてよろしく」
夢月が名刺を受け取ったのを冷ややかな視線で見届けて、紫苑は背を向けて歩き出す。
途中、不意にその歩みが止まる。
「これだけは宣言しておきましょう」
夢月とヒカリへと振り返り、あの憎悪の宿った鉄色の瞳が向けられる。
「人と怪物が共に寄り添う未来などありえない。――あっていい、はずがない」
それだけ言うと、彼女はまた背を向けて歩き去った。
あとには普段の様子に反して押し黙ったままのヒカリと、夢月だけが残された。
◇
「あ、もしもしドクター? ぼくだけど。ちょっと面白いもの見つけちゃってさ」
夢月たちが発見した殺害現場から遠く離れた路地裏で、不自然に陽気な声が響く。
るんるんるんと楽しげにステップを踏む、フード付きのパーカーを着た小柄な人影。
サイズが合っていないのか両手はダボっとした袖のなかに隠れていて、両袖はペンキでもぶちまけたみたいに真っ赤だった。
「うん、うん、そっちはあとでやるから大丈夫。でさ、ドクターに貰ったアレって全部使っちゃってよかったっけ? あ、ほんと? オッケー、ありがとう! そいじゃまたねー!」
ピッ、と通話を切って、その場でくるりと一回転。
まるで夢でも見ているかのように、うっとりとした表情で。
まだ幼さの残る顔立ちは、中学生くらいの少年に見えた。
「あのお姉さんに教えてあげなくちゃ。まだ“そっち側”にいるなんてダメだよって」
くるり、くるりとステップを踏むたびに、びちゃびちゃとパーカーが音を立てる。
天使のような笑みを浮かべた少年は、悪魔のように優しく呟いた。
「――だって、ぼくらの
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