第2話 光月 2

 ひかりと出会ったのは1年生の頃。

 クラスが違ったから、単純に、すっごい美人がいるなーと横から眺めていた。

 今みたいに仲良くなるきっかけは2年生で同じクラスになってから。

 たしか、掃除のとき偶然ふたりになって。


「……久遠ってさ、剣道とかやってた?」

「えっ、どうしてわかるの? 刀間さん何者?」

「いや、私も剣術やってるからさ、なんとなく佇まいとかがそうかなーって。……ぷっ、ていうか“何者”って……面白い言い方するんだね」

「そ、それは、不意打ちでびっくりしたから……!」


 あ、こいつ都会育ちの美人だけど素直でかわいい反応するんだなって思った。


「ふーん、じゃあ中学までは剣道やってたんだ」

「うん……大会で結果も残したんだけどね。高校からはそんな遊びはやめなさいって、お父さんに禁止されちゃって」

「遊びって言い方はないなー、かなりムカつく。真剣にやってたの、見ればわかるし」

「ありがとう。わたしなりに真剣なつもりではあったんだけどね。……刀間さんは剣術、今も続けてるの?」

「微妙。実家が古流剣術の家元なんだけどさ、なんか時代じゃないって廃業決めちゃって。それで私も都会に追いやられて、今は腕が鈍らないように自主練だけ続けてる感じ」

「そうなんだ。……やりたいことを続けられないって、つらいよね」


 美人は沈んだ表情も絵になるなー、とか罰当たりなことを思ったっけ。

 意外だったのは、そのあとひかりが言ったこと。


「……ねえ、刀間さんって強い?」

「剣の話? ならかなり強いよ。悪いけど、剣道の有段者でも相手にならないくらい」

「……あの、もし刀間さんが嫌じゃなければ、わたしと立ち合ってくれないかな?」

「いいけど……ほんとに強いよ、私? あとは場所が問題だよね」

「うーん……それじゃあわたし、屋上の鍵が借りられないか先生に聞いてみるよ」

「屋上の? 設備が古いとかで開放禁止っていつも閉まってるけど」

「刀間さんは意識してないみたいだけどね。わたし、お父さんがこの学校の理事長とも仲が良くて、しかも成績優秀なスーパーお嬢様なんだよ」


 お、いい顔するじゃん、お嬢様。悪い顔もサマになってる。すごく、私好みだ。


「へえ……いいね、ワクワクする。あと私のことは呼び捨てでよろしく、ひかり」

「うん。よろしくね、夢月。……あんまり慣れてないから、ちょっと恥ずかしいな」


 そんなこんなで私とひかりは、小さな秘密を共有した共犯者になった。

 クラスメイトは急に仲良くなった私たちに戸惑ってた……というか今も戸惑ってる。

 私たちが毎日ふたりで放課後の屋上にいることを、みんなは知らないままだ。


     ◇


「お待たせ、ひかり。待った?」

「ううん、わたしも今来たところだよ」


 放課後の屋上に行くと、ひかりはすでにそこに立っていた。

 腰まで届く黒髪をポニーテールに結わえ、手には竹刀。立ち合いの時のスタイルだ。すると不思議なことに、深層の令嬢というよりも高貴な女剣士といった風情になる。


「じゃ、いつも通り三本勝負かな。いざ尋常に――ってね」


 給水塔の陰から自分の竹刀を取って、ひかりから適度に間合いをとり、構える。

 ひかりは礼儀正しく一礼して、竹刀を構えた。


 ふたりの構えは対照的だ。


 ひかりはすらりと背筋を伸ばし、切っ先を正面に向けた剣道の構え。

 対する夢月は重心を落とし、切っ先もひかりより低い古流剣術の構え。


 今までの戦績は夢月の全勝。ひかりは夢月から一本を取ることを目標にしている。


「――始め!」


 夢月が開始の合図をする。


 さあ、たのしいたのしい睨み合いの時間だ。

 いつ仕掛けるか、いつ仕掛けてくるか、それを吟味する読み合いの時間。

 いつも通りなら、手堅く構えたひかりへと、夢月がじりじりと距離を詰めて誘いをかける。格上の夢月がフェイントなどで揺さぶりをかけ、ひかりがそれを見破って勝機を掴めるか――というのがいつもの展開だ。


 けれど、この日は違った。


「やああっ――!」


 合図とほぼ同時のタイミングで、ひかりが全力で飛び込んだのだ。

 いつもの手堅さはどこへやら。特攻めいて初太刀しょだちに己の全てを懸ける。


「うそ、やば――」


 しまった、と思ったときには手遅れだった。


 何度も立ち合っているだけにひかりの先手はないと思い込んでいた。

 結果、夢月は致命的な過ちを犯した。


 ――加減を忘れてしまったのだ。


 からだに叩き込んだ刀間流の剣が、無意識と言っていいほど自然に繰り出される。


 腰を落とし、膝を曲げ、弾力性を帯びた下肢の筋肉を爆発させる。

 脚を起点とした巨大なちからのうねりを剣に乗せると同時、振り上げる竹刀の柄を掌中でくるりと回し、振り下ろされるひかりの剣を迎え撃つ。


 威力の差は歴然だった。


 ひかりのスタイルは剣道。竹刀を有効部位に当てることを目的とする。ゆえに脚は相手との距離を詰めるために使い、腕のちからで剣を振る。

 一方、夢月の古流剣術は、真剣で敵を斬ることを目的とした技術だ。腕のちからではなく脚のちからで剣を振る。それゆえ相手を叩き斬るだけの威力を発揮できる。


 打ち合った瞬間に、巻き上げられたひかりの竹刀が弾け飛ぶ。

 その衝撃に引っ張られ、姿勢を崩したひかりが尻もちをつく。

 呆然としたひかりの眼前に、夢月の竹刀の切っ先が突きつけられていた。


「――すごい。これが、夢月の本気……」

「悪い、うっかり本気出しちまった。……立てる?」


 夢月が手を差し出すと、ひかりは自分の肩を抱きながら俯いて、小声で呟いた。


「こんなの……もう、我慢できない……っ」

「ひかり? どこか怪我でも――」


 言い終えるより速く、差し出した手を掴まれる。と同時にひかりが飛び込んできた。


「ちょっ、急に……っ⁉」


 立ち上がらせるつもりが押し倒される。

 ひかりは夢月に馬乗りになって、全身でべったりと抱きついていた。あとなんか夢月のウルフカットに顔を埋めてすーはーしていた。


「ああ、最高……ずっとこうして夢月と触れ合いたかった……!」

「触れ合うっていうか吸われてるんだけど! 私の何かが吸われてるんだけど⁉」


 やわらかい。あたたかい。いい匂いがする。髪が当たってくすぐったい。

 ゼロ距離で触れ合う学校一の美少女に、同性だというのにくらくらする。


「ちょっと、ひかり、どうしちゃったの……立ち合いは⁉」

「ふふっ、そんなの口実だよ。わたしはただ夢月を独り占めしたかっただけ……」


 ひかりの手が夢月の手に絡みつく。

 まずい、このままでは恋人繋ぎで拘束されてしまう。


「ああもう! 正気に、戻れって……っ!」


 ひかりの手を払いのけ、腹筋でわずかに体を浮かせ、そして両手で肩を突き飛ばす。


「きゃっ」と悲鳴をあげたひかりが尻もちをつく。


 その隙に夢月は立ち上がり、ひかりから距離をとった。


「はあ、はあ、どうしたんだよおまえ、今日、なんかおかしいぞ……!」


 ひかりはといえば、突き飛ばされたことが信じられないようにキョトンとして、そしてゆっくりと、幽鬼のごとくゆらりと立ち上がった。


「……どうして? どうしてわたしを拒絶するの……? わたしはこんなに、夢月のことが好きなのに……っ!」


 その表情に狂気が混じる。

 夢月の知る彼女ではなくなっていく。


「ああ、そっか。ここのことは誰も知らないんだった。だったらいっそ、力づくで奪っちゃえばいいんだ……!」


 怖気の走るような笑み。そして致命的な変化が起きた。

 髪だ。ポニーテールに結わえていたひかりの髪が、ほどけて風に広がっていく。


 ……いや、そうではない。今は風など吹いていない。


 濡烏ぬれがらすのように美しい彼女の黒髪が、物理法則に反して妖しく揺らめいている。それはまるで独自の意志をもった蛇のように、ゆらゆらと宙空を漂っている。

 この異常を前にして、ようやく夢月にも合点がいった。


「おまえ、ひかりじゃないな……! クソ、この私が今まで気づかないなんて……!」


 あれは、ひかりの姿をした化け物だ。


「ごめんね夢月。事情は後で話すから、今は大人しく――黙ってわたしのものになって」


 ひかりの髪が夢月へ伸びる。否、もう髪とは呼べない。例えるなら金属で出来たイカの触腕のような、生物的で機械的な名状しがたい触手が夢月に襲いかかる。


「んな簡単に――やられるかよっ!」


 咄嗟に竹刀を拾って、迫る触手に打ち込んだ。

 夢月の反応は素晴らしかったが、手にした得物が脆すぎた。


 砕け散る竹刀。わずかに触手の軌道を逸らしただけ。――それで十分だった。


「三十六計逃げるに如かずってなぁ!」


 一目散に逃走する。

 ひかりもスクールバッグも置き去りにして、夢月は扉を蹴破って校舎内に逃走した。


――」という声を背に受けながら、階段の手すりを足で滑り降りていく。


 目的地に向かって校庭を横切りながら、夢月の脳裏にはある考えが浮かんでいた。


 ――あれがひかりじゃない化け物なら、私が斬ってもいいんじゃないか?

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