あこがれて、三途

蝉川夏哉

あこがれて、三途

 ある朝、西之倉かなえが幸せな極まりない夢から目を覚ますと、自分が三途の川で一個の霊魂になっていることに気が付いた。


「え、いやいやいやいや。まだ早過ぎるでしょ。ピッチピチとは言い難いけど三十一歳よ」


 賽の河原、金銀で出来た橋、六文銭を取って亡者を渡す舟、脱衣婆だつえばあ懸衣翁けんえおう。むかし、何かの漫画で読んだ通りだ。違うところと言えば、順番待ちのチケット発券機と窓口があることくらいか。

 訳も分からぬままに流れで列に並び、チケットを取って霊光掲示板に表示された窓口へ進むと、如何にも公務員然とした男性の鬼が応対してくれる。


「この度はご愁傷さまです」

「あ、いや、実はまだ死んでなくて」

「皆さん、そう仰います」


 そう言うと鬼は掌紋認証装置のようなものを取り出した。


「こちらに手を乗せてください。これで生前の罪の重さを計ります」

「えっ、奪衣婆に剥ぎ取られた服の重さで……」


 かなえが質問すると、鬼は薄く鼻で嗤う。


「二十一世紀ですからね。衣服を剥ぎ取るのは、まぁ、ね?」


 そういうものかと思い、しぶしぶ掌を乗せた。まだ死んだつもりはないのだが、こうも粛々と進められると本当は死んだのかもしれないと不安になりはじめる。


 ビーッ

 けたたましいエラー音が鳴った。


「あれぇ?」


 鬼がバリバリと頭を掻く。後ろから主任格らしい眼鏡美人の鬼が出てきた。


「あー、これ、“憧れ”ですね」


 ハスキーでかっこいい声で美人鬼が呟く。


「憧れ?」

「ええ。憧れ」


 憧れというのは元々「あるべきところにあるものがそこを離れてしまう」という意味だったらしい。次第に意味が変遷し、憧憬や敬慕という意味を含むようになったのだ、という。

 確かに何かに憧れた時、「心、ここにあらず」という状態になるではないか。

 そこまで聞いて、西倉かなえは気が付いてしまった。


「あーーーーー!!!! そうか、獄門リンネちゃんだ!!!!!」


 現在人気絶不調の超不人気カルト系Vtuber、獄門りんね。西之倉かなえが今、ゾッコンの相手である。憧れて憬れて、ついに夢にまで見たのが昨日の晩。

 彼女へのあこがれが昂じて、今こうなっているのか。

 しかし、どうして美人鬼は獄門リンネの名前が出た時に、一瞬びくりとしたのだろう?


「ああ、じゃあそのVtuberに憧れて、魂が肉体を離れちゃったんですね」

「えっ、そういうことってあるんですか?」

「稀に。まぁ、そこまで推しに夢中になるリスも珍しいんですけどね」


 推しだのリスだの、鬼も二十一世紀になるとVtuberに詳しくなるのか。学びが深い。

 その時、美人鬼が右手の小指で耳にかかった髪を掻き上げた。

 瞬間、かなえの中で何かが短絡する。


「……獄門リンネ、さん?」


 問いかけると、ほんの刹那、美人鬼の視線が泳いだ。


「な、何のことでしょう?」

「ホラー映画とスプラッタ映画とサメ映画が好きなのに怖いシーンになると目が開けてられなくて指の間からチラチラとしか観られないことでごく限られた界隈に有名な、獄門リンネさん? 私、自分で裁縫はじめて、ぬいぐるみまで作りました!」


 美人鬼の乳白色の肌が朱に染まる。尖った耳なんてRGBで(255,0,0)くらい真っ赤だ。

 突如、ツカツカとヒールの音も高く窓口から離れたかと思うと、美人鬼はこちらに回ってきた。


「ちょっと、ツラ貸しなさい」

「はい!」


 この凄み方、間違いない。獄門リンネだ。




「職場バレしたくないんだからやめてよ」

「そもそもあの世からV活動ってできたんですね」

「いや、三途の川は特別。だからここに配属希望出したんだけど」


 コメダ珈琲三途の川店でバカでかいシロノワールを食べながら、憧れの相手と話す。こんなことが有り得ていいのだろうか。いや、だめだろう。


「で、満足した?」

「満足、とは?」

「憧れて魂が離れたんだから、満足したなら還りなさいよ」

「いやいや。私としては不満ですよ」


 西之倉かなえは空中でろくろを回しはじめる。


「Vの者とリスは画面を通した接触不可能な存在であるべきなんです。そこには虚構と現実の“あわい”があり、直接顔を合わせるというのはリスの求める本来の希望とは異なるものであって……」

「じゃあ、直接会えたことは嬉しくないってこと?」

「嬉しいけど嬉しくないですね。むしろファンとしては会わない方が幸せまであります」


 自分は憧れの相手の前でどうして自説を打っているのだろう。謎だ。謎極まりない。


「なるほど。奥が深いのねぇ……」


 そう言うと獄門リンネはポケットから、何かを取り出した。昔、ファンミーティングでしか配られなかった伝説のキーホルダーだ。かなえは地方在住だったのでどうしても行くことが出来ず、血の涙とその他にも諸々の流してはいけないものを流して諦めた一品だった。


「これ、あげる」

「い、いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいんですか?」

「ここまで“憧れ”られるなんて、V冥利に尽きるじゃない?」


 そう言って嫣然と微笑む獄門リンネの表情は、現実なのに画面越しの彼女のものとピッタリ重なった。

 リンネの細い指先がかなえの瞼に触れる。


「さ、おやすみなさい。ここに来るのは、まだ早いんだから」


 かなえを急に猛烈な睡魔が襲う。


「あ、でも、まだ……」


 煮崩れる意識の中で、かなえは、遠く「またホラー映画でも見ましょう」という声を聴いた気がした。




 ある朝、西之倉かなえが何らかの夢から目を覚ますと、いつもと代わり映えのしない1Kの自宅が、妙に輝いて見えることに気が付いた。昨日までと何も変わらないのに、何かが違う。


「……なんか、夢を見ていた気がする」


 掌に違和感を覚えて広げてみると、いつの間にか獄門リンネのキーホルダーを握り込んでいた。


「え、私これ持ってなかったよね? なんで? こわ……」


 喜びよりも先に、恐怖が来る。オタク特有の反応だ。




 その様子を、獄門リンネの“ぬい”は微笑ましそうに見つめているのであった。

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あこがれて、三途 蝉川夏哉 @osaka_seventeen

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