虹の橋から微笑んで

西野和歌

精一杯生きた奇跡

 猫の白血病……それは短命を告げる病。治療法もなく、気休めでしか延命を図れない、ウィルス性の病気。成体に固定してしまうと、他の猫に飛沫感染の恐れありとして、昔の海外では保健所処分や安楽死が確定した病気。

 現在においても、感染力の強さから隔離して一匹飼育をしても短命であるとして、貰い手が少ないのが白血病である。

 それは猫エイズより悪質で、優しい猫が仲間を舐めるだけで感染してしまう悲しい病気。

 当時、離婚して母子家庭となったばかりの貧乏な我が家。毎日の食事すら事欠く民家に迷い込んだ子猫。

 その一匹が君だったね。最初は飼う余裕もないから、貰ってもらうつもりだったのに、雑種で毛色もキジトラで、人気のない君は妹と共に我が家でそのまま暮らす事になった。

 離婚して孤独を感じた娘だけでなく、どれだけ私を癒して応援してくれただろう。

 辛い時も苦しい時も、全ては君たちの為に私が頑張らないとと思えたんだよ。

 そんな君の健康診断で、先生が「試しに血液検査をしてみますか?」と聞いたのがすべての始まり。大きな個体で元気一杯の君。我が家にきて三年目にして初めての血液検査。今までの健康診断と健康さから、私は気軽に頼んだ結果は絶望におとされた。

「お母さん、この子は白血病です」

 その病気が何なのかすら知らない私。先生の説明を聞きながら、思考が闇に落ちていく。

「残りの子も検査しましょう。すぐに死ぬという事も治療法もないですが、最後まで可愛がってあげて下さい」

 最後まで……いきなり余命宣告を受け落ち込んでいる暇もなく、妹猫も調べてもらう。先生は暗い顔をして「この子も感染しているのは覚悟して下さい」だが、その言葉とは裏腹に妹猫は感染してはいなかった。

「おかしいな、どうして? 何にせよ妹猫にはワクチンを打ちましょう」

 こうして隔離生活が始まった。突然引き離された君、妹と会いたくて封鎖の扉を一か月毎日ガリガリと鳴いては開けろと訴えた。

 元気だった君がストレスで小さなハゲができて、家族大好きだった君が寂しいと鳴く。娘と交互に家にいる時は傍にいたけど、君が望むのは家族全員と暮らす事。

 私は別の病院の白血病専門医に相談した。すると、あくまで自己責任だが三年間も共にいた兄妹猫の感染がないのなら、既に抗体を持っている可能性も高い。その上でワクチン接種後なら同居でもいいのではないか?

 覚悟を決めて隔離を解除した途端に、君は妹の所に走り愛しいとばかりに毛づくろいをした。それを見て以前とは違い感染が怖くてアタフタする私。

 その日から彼を長生きさせる為に、必死で色々な努力をした。毎日の空気清浄や温度管理のエアコン稼働、免疫をあげるサプリや質の良い餌。その費用の為に必死で私は働いた。そんな彼が発覚してから一年目にして奇跡を起こした。年に一度の健康診断で、彼は白血病に打ち勝った。待合室にいた私の前に飛び出した先生が叫んだ。

「お母さん奇跡です! ウィルスが消えました!」

君は凄い、本当に凄い! 当時、君の記録を残せたらと書いたブログの皆も大喜びしてくれた。

 そして、私たちの穏やかな日々が続いていく。君を中心とした温かい我が家。細やかにブログを通して、私は他の白血病の子たちへの支援も始めた。

 そんな君との幸せの詰まった生活は6年目にして終わりを迎えた。

 いつもの健康診断。私は勘というのだろうが、なぜか君のお腹が張っている気がして調べて貰った。すると小さな黒い影が見つかった。それはCTでも見えるか程度の小さな影。

 コロナの時期で地元では対応できず、他府県まで精密検査に行った結果は「癌」と告知された。

 やっと君は奇跡を起こしたのに、どうして? なぜ?

 リンパ腫の君への選択肢、私は抗がん剤治療を選んだ。それが延命だけでなく、苦しみの緩和だと説明されたから。ただし、費用は毎月数万円かかった。

 職場が潰れたばかりの私は、新しい職場で虐めを受けても、必死でしがみついて働いた。手取り15万程度から、君の医療がかかっても、もう君は我が子と同じだったから奇跡を信じたかった。

 震えながら、おしっこをちびっても、君は爪もたてず注射や治療を頑張ってくれた。背中がハゲても、下痢でフラフラになっても、私の傍で寝てくれた。けれど奇跡はもう起こらなかった。7キロあった体重が3キロを切った時点で、私はもう君に頑張りを求めるのはやめた。

「もうしんどい思いしなくていいからね」

 君は私に甘えながら、枯れた声で小さく「わかった」と鳴いてくれた。

 ブログの仲間たちが贈ってくれた缶詰を美味しそうに食べていた君。けれど最後は口だけ寄せて、小さく首を振り私を見た。

 まるで「もういいよ」って言ってるみたいに。

 最後の夜に君の身体を撫でながら私は聞いた。

「君は幸せだったかい?」

 生まれて初めて、私はホロリと涙を流す猫を見た。

 次の日に娘に見守られ虹の橋を渡った君。

 そうか、奇跡って君が我が家に来た事が奇跡だったんだ。


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虹の橋から微笑んで 西野和歌 @gurukosamin0628

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