【KAC20252 あこがれ】春待つ蕾と憧れのひと
羽鳥(眞城白歌)
三月某日 午後
タブレットの画面を硬いペン先が滑ると、色鉛筆のやわらかな線が重ねられてゆく。ふわっふわの毛並み、まるっとしたフォルム、茶色と黒の特徴的なお顔。塗りわけられた色だけでも、タヌキちゃんの絵だとすぐにわかった。
「こんな感じ?」
「はい。こんな感じで、頭に葉っぱを乗せてたんですよ」
「タヌキが乗せる葉なら……
タブレットの隣に立てられた端末の画面に映されているのは、動物園のタヌキ……の動画だ。
わたしに絵の巧拙や良し悪しはわからないけど、動画や写真を見ながら描くってことはリアル路線なのかな。動画のタヌキも可愛かったけど、悠さんの描いたタヌキちゃんは本物よりまるっとして見える。目も、うるうるって感じで……、触ったら本当にふわふわしてそうで、とても可愛い。
「可愛いです! 悠さん上手、すごい!」
「写真、見て描いてるからな。動物や鳥くらいなら、何とか……」
「えぇー、すっごいですよ! わたし、見ても描けないですもん」
「そんなこと言わず、
悠さんが何でもないふうにタブレットとペンを差し出してきたので、わたしは思わずエビみたいに仰け反って後ろへ逃げた。悠さん、怖いもの知らずにも程があると思うの!
大学生になって、前々から興味があったイラストにも手を出してはみた。でも、絵を描くってかなりの体力と精神力が必要で、虚弱体質なわたしはすぐに集中力が尽きてしまい、続かなかった。それに悠さんの使っている機材……どれもすごくいいもので。
「無理っ、無理ですっ。そんな精密そうで高そうなもの、落として壊したら取り返しがつかない!」
「そんな簡単に壊れるものでもないが……」
「いいんですっ、わたし、悠さんが描いてるのを見ているのが好きなんです」
眼鏡の奥の黒い目が笑みを含んでわたしを見た。必死の主張は聞き入れられたようで、タブレットが元通り机に戻ったことに安心したわたしは、そろそろと悠さんの隣へ戻って、画面に映るタヌキちゃんをしみじみと眺めた。
昔から、不思議なものが見えてしまう体質だった。父方は代々続く由緒正しい家系だというけど、祖父母も父も母も近しい親戚も誰一人として、超常の力を持つ人はいない。子供の頃は自分が見えているものが他の人にも見えていると疑いもせず、母に何度も気まずい思いをさせてしまった。
昔から夢みがちでぼんやりした子だった、と母にはよく言われる。不思議な夢や変わったいきものが見えちゃうのはわたしにとって日常で現実なんだけど、両親はわたしが妄想を話していると考えているのだろう。それが普通の反応だよね。
「悠さんも、見えない人なんですよね」
「そうだな……、頭に葉っぱを乗せたタヌキは見たことないな」
「なのにこんなにそっくりに描けるなんて、やっぱり悠さんはすごいひとです」
「千花さんの日記の書き方が上手だからだよ。本当に見えてるんだと……良くわかる」
――え、えぇ?
意外すぎる言葉を聞いてしまって、わたしは驚きのあまり頭が真っ白になった。本当に見えているとわかるって、本当に見えているって、本当だって信じてもらえてるってこと?
「わたし、もしかして今褒められましたか?」
「ああ、褒めた」
「でも悠さんいつも、自分が見たものしか信じないって言ってたじゃないですか……。悠さん、見えない人なんですよね?」
高校三年のとき両親はわたしに家庭教師をつけてくれた。当時まだ就活中の大学生だったその家庭教師が、二條悠征さん。今わたしの隣で絵を描いている、悠さんだ。
親との関係に悩んでいたわたしは、大学進学を理由に家を出て一人暮らしをする計画を立てていた。母に反対されるのはわかりきっていたから、いわゆる「体裁のいい」大学を選んで、合格するため必死に勉強した。
悠さんは当時からわたしの事情を知って、相談にものってくれた。でも悠さん自身は現実主義者っていうのかな、自分が見たもの、証拠があって納得できるものしか信じない、いつもそう言っていた。
だからわたしの「見えた話」も、否定しないだけで信じてはいないのかと……。
「俺には、千花さんのいうものは見えない。おそらく体質が違うんだろう。でも、千花さんに見えている、ということは信じているよ」
「――そんな、世紀の大告白を、お夕飯何にする、みたいなノリで……」
「そうだ、夕飯何にしようか」
「お夕飯には、お味噌汁が食べたいです」
わたしってば何を言っているんだろう。あたたかくて優しい味のお味噌汁を想像したら、さっきまでの猛烈な恥ずかしさが少し引いて、じわじわと嬉しさが上ってくる。
熱っぽい顔を袖で押さえて解熱していると、悠さんがタブレットを閉じてわたしを見た。
「信じてない、という意味で言ったつもりはなく……言葉が中途半端ですまない。千花さんを、傷つけてしまっていた。俺は、千花さんが話してくれる夢の経験も不思議体験も、好きだよ。これからもたくさん聞かせて欲しいな」
悠さんに傷つけられたことなんて今まで一度だってない。わたしが一人で思い込んでいただけで、悠さんが謝ることは何もない。
そう思うのに、好きだよという言葉が胸を圧迫して、喉の奥が熱くて苦しくて、どうしようもなくなり、視界がぼわぼわと濡れてゆく。首も、耳も熱いし、霞んだ視界がぐるぐると回りだして、――どうしよう、どうしていいかわからない。
「千花さん!? ごめん、俺が悪かった!」
焦ったような悠さんの声に、珍しいこともあるなって思いながら、わたしは潔く意識を手放した。
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