母の背中
志乃原七海
第1話
母の背中
夜の帳が下り、ネオンが街を彩る頃、さやかはため息をついた。鏡に映る自分の顔は、薄化粧の下に疲労の色を濃く滲ませている。20歳。ホステスとして働く彼女は、昼顔の生活に慣れきっていた。しかし、その華やかな笑顔の裏には、常に深い闇が潜んでいた。
4歳の娘、あかり。その小さな存在が、さやかの生きる支えであり、同時に重荷でもあった。昼は保育園に預け、夜は一人で寂しく過ごすあかり。その小さな手を握りしめ、さやかは「今日も一緒に頑張ろうね」と優しく微笑むが、その言葉は、自分の心を欺いているようにも感じていた。
保育園から帰宅したあかりは、さやかを待ち構えていた。「ママ、今日のおやつは?」と、無邪気な笑顔で尋ねるあかりに、さやかは胸が締め付けられる。本当は、一緒に遊んだり、絵本を読んだりしたい。でも、現実には、夜の仕事の準備をしなければならない。
仕事へ向かうタクシーの中で、さやかは自分の過去を振り返る。16歳で家を出、アルバイトをしながら高校に通っていた頃。恋人との間にあかりを授かった時、さやかは途方に暮れた。両親に相談する勇気もなく、一人で子育てを始めた。しかし、生活費を稼ぐには、夜の仕事しか選択肢がなかったのだ。
クラブの華やかな雰囲気は、さやかの孤独を際立たせる。客の笑顔の裏に、自分の存在意義を見出そうとする。しかし、それは一時的な慰めであり、心の空虚を満たすことはできない。
「ママ、大好き!」あかりの言葉が、さやかの心を温かく包む。だが、その温もりは、すぐに冷たくなる。夜の仕事は、さやかに多くのものを奪っていく。時間、エネルギー、そして、大切な何かを…。
ある日、さやかは客の一人から、嫌がらせを受けた。言葉の暴力、そして、身体的な接触。その時の恐怖は、さやかの心に深い傷を刻んだ。あかりの顔を見て、さやかは涙が止まらなかった。このままではいけない、このままではあかりを不幸にしてしまう。
さやかは、夜の仕事を辞めることを決意した。しかし、生活費をどうするか、あかりの未来をどうするか、不安が押し寄せた。それでも、さやかは前を向いた。あかりのために、自分自身のために、新しい人生を切り開こうと決意した。
昼間は、パートの仕事を探し、夜は、家事や育児に専念した。生活は苦しかったが、あかりとの時間は、さやかに希望を与えてくれた。あかりの成長を間近で感じ、さやかは幸せを感じた。
そして、数年後。さやかは小さなカフェを開いた。あかりは、小学校に通い、活発に成長していた。カフェのカウンターに立つさやかは、以前とは違う輝きを放っていた。夜の闇から解放され、自分の人生を歩んでいる。
「ママ、カフェのお手伝いする!」あかりは、さやかの手伝いをしながら、笑顔でお店に活気を与えていた。二人の絆は、どんな困難にも負けない、強い光を放っていた。
さやかは、娘を抱きしめ、静かに目を閉じた。夜の街の煌めきは、遠く離れた場所のことのように感じられた。彼女の心には、あかりとの温かい未来が、しっかりと刻まれていた。
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