鉄馬の乙女はここにいる

いいの すけこ

スカートは破られた

 人生終了の時も近かったその日、私の目の前にバイクが降ってきた。

 校舎屋上の手すりをぶち破って、地上にいる私の眼前に落ちてきたバイク。黒いボディのそれは派手な音を立てながら、それでも転ばず壊れず、綺麗に着地する。

 思わずを尻餅をついた私は、舞い上がる土煙の向こうに美しい人を見た。

 熱風に舞う長い黒髪。引き結ばれた形の良い唇。

 なによりも印象的なのは、強い意志を感じる瞳だった。

 私と同じ、女学校の地味な制服を来ているのに、目の離せない存在感。

 なんだか夢の中で出逢ったみたいだ。さっきから頭がぼんやりしている。

 その時突然、至近距離で地面が爆ぜた。

「ひゃっ!」

 私の座り込んだ真横の地面がえぐれて、もうもうと煙が上がっている。乾いた土の匂いだけでなく、火薬のような異臭がした。

「え、え、なに、なんなの」

 混乱した頭に触れたら、手のひらに真っ赤な血がべったりとついた。ああ、頭がぼんやりするのはこのせいだったか。


「乗って!」

「は?」

 バイクに跨った美女が、私に手を伸ばした。

「え、だって」

 私、なんにも分からない。

 何が起きてるのかも、あなたが何者かも。

 それにあなたの綺麗な手に、血がついてしまう。

「いいから早く!」

 ぐずぐずする私の手を、美人さんが掴む。ぐいとバイクの後ろ――後部座席は無い気がする――に引き上げられた。想像よりも、ずっとずっと強い力で。

 直後、校舎の一部が吹っ飛んだ。

 中からではなく、外から弾けた。校舎に、ではなく、私たちの乗ったバイクを狙っていた武器が。

「あ、あ」

 ロボットが、二足歩行のやつが、弾を放った。

 スクールバス二台分くらいの距離を空けて、それでもランチャーの威力は大きくて。

 私たちを逸れた弾が、コンクリートの校舎に大穴を開けた。

「ひぁ……」

 悲鳴を飲み込んで、目の前にあった背中に抱きつく。私の肌にも馴染んでいる制服の生地越しに、熱を感じた。硬くて、鍛えている人なのかもしれない。

 ぎゅっと背中に瞼を押し付けたら、急に体が浮くような感触がした。


「ええ?!」

 浮遊感に目を開く。

 体が校舎の二階の高さにあった。

 私たち、バイクじゃなくて、ロボットに跨ってる!

 黒いバイクは、二足歩行のロボットに変形していた。

 何がどうやって、二輪車の形に収まっていたのかは分からない。私から見たら、突然手足が生えてきたように映る。だけどアームの先の足はタイヤで、確かにバイクの名残があった。

 頭が無くて、ヘッドライトとかメーターとかくっついたフロント部分がそのまま胸というか、胴体部になっている。私たちはその上に乗っかったシートに跨っている状態だ。剥き出しのコックピットに並んで座る私たちは、巨大な機械の手足を手に入れたみたいだった。

「すごい……」

 状況も頭の痛みも忘れて、私は眼下のマシンを見下ろす。


 と、身動ぎした美人さんから、大きな舌打ちが聞こえた。

 私が腰にしがみつくのが邪魔なんだろうかと手を離したら、美人さんのスカートがロボットの可動部らしき隙間に巻き込まれていた。

 思いりきよく、美人さんはスカートを引き裂く。

 びりびりと布地の裂ける音は、私の耳に鮮烈に響いた。足をあらわにして、美人さんは競馬の騎手のように腰を浮かせる。

 ああ、なんてはしたない。だけどなんて、かっこいい。

 スカートを乱して走るなんてみっともない。汚したり破ったりなんて言語道断。

 そう、言われ続けていたけれど。

 ぶおん、と体が振り回されるような回転。美人さんはロボットをターンさせた。振り向いた先にいたロボットに、元バイクのロボは銃弾を連射する。どこにマシンガンなんか搭載してたんだろう。

 私は振り落とされないように、シートの後ろにあった小さな手すりをしっかり握りこむ。視線を手すりから正面に戻すと、校舎をぶっ壊したあのロボットがランチャーを構えているのが見えた。


 美人さんは手榴弾に噛み付いた。手榴弾の安全装置ピンを歯で引っこ抜いて、眼前の敵にぶん投げる。

 どかんと一発、敵方ロボットのコックピットと思われる頭部が破損した。

 そこはバイクロボットの攻撃じゃないんかい! と思ったけれど。口に残ったピンをぷっと吐き出す横顔は、あまりに凛々しくて。

(なんて、素敵な人なの)

 血を流しすぎて朦朧とする意識の中で、強烈に思った。

「こちらミクモ。フロレンス女学校にて、生徒と見られる女子一名保護」

 ミクモ。

 低い声が名乗ったそれだけを頭に刻んで、私は意識を手放した。



 ☆ ☆ ☆



「ただの保護者会とは思えない顔ぶれだったな」

「名家のお嬢さんだらけだからねえ、あの学校はさ。ただの保護者会に、政治家やら財界の大物やらがわんさかだ」

 低い声が会話を交わしている。

 うっすらと目を開けたら、暮れなずむ赤い空が見えた。

「あ、起きた」

 寒さに身を震わせる。私は野外に寝かされているようだった。薄いマットの上に身を横たえて、ごわごわとした毛布をかけられている。

 白衣を着た男の人が、私の顔を覗き込んでいた。

「気分はどう? どこか痛いところは」

「……まだ、ぼんやりします。頭がちょっと痛いです」

 きっとお医者様なのだろう。質問に答えながら頭に触れる。血は止まって、包帯が巻かれていた。

「名前は言える?」

「ラナ・ミズアキです」

「ラナさんね。ここは市内の防災公園の駐車場。こんな場所でごめんね、学校から一番近くて、安全で、対策本部が展開できたのがここでさ」


 寝転がったまま周囲を見渡す。緊急車両があちこち停車していて、警察関係者や医療従事者みたいな人達が忙しなく行き交っている。私は搬送の順番待ちなのか、それとも目が覚めたから帰されるのか。どちらにせよ軽傷で済んだのだろう。

「良かったね、気がついたよ」

 私の傍らに跪いていたお医者様が、顔を上げて誰かに話しかけた。

 黒髪の男の人、そして背後に停車した黒いバイク。

 私は勢いよく起き上がった。

「私もロボットに乗せて下さい!」

 すんでのところで身をかわして頭突きを免れたお医者様は、目をぱちぱちさせた。

「なに、そんなに楽しかったの? ロボットマニアはたまにいるけど、女の子が珍しいな」

「女でいけませんか」

 知らず語気が強くなる。


「ミクモ様は女の方でした」

「ミクモ?」

 私を助け出してくれた、美しい人。

「はい。長い黒髪とスカートを翻して、バイクに跨って……。力強く、私を車上まで引き上げて下さいました。颯爽とロボットを操り、手榴弾までぶん投げて私を助け出して下さって」

 胸の前で手を組んで、私は息を吐き出す。

「私もミクモ様みたいに、戦ってみたい。あんな強く美しい方、見たことありません」

 お医者様がぽかんとする。

 心の底から言ったけど、大袈裟に聞こえただろうか。そんな風に思っていると、バイクの傍から盛大にため息がした。

「そりゃただの幻だ。そんな女はいない。残念だったな」

 バイクを背にした男の人が言った。思い切り不快そうな顔をして。

 濃紺のウインドブレーカーを着て、お医者様には見えない。警察の人だろうか。


「そんな言い方しなくてもいいじゃないの、ミクモくん」

 お医者様が言った。

「……へ?」

 黒髪の男の人は、それはそれは渋い顔をした。

「バラすんじゃねえよクソが」

 ミクモさん。

 この男の人が。

 短くカットされた髪の色は黒く、への字に曲げた唇の形もあの美人さんに近い。なにより眼光鋭い瞳は、確かにあの人に重なる。

「……ごきょうだいですか?」

 真実を受け入れ難い私は、無難そうな答えを探るが。

「んーん。本人だよ」

「えええええ?!」

 私と同じ女学校の制服を着ていたミクモ様。それはつまり、女装だったというわけで。

 お医者様が爆笑した。

「女子校に潜入しろっつーんだから、仕方ねえだろうが! つーか教員でも清掃員でも良かっただろ!」

「ダメダメ、君、社会人を演じるには若すぎるもん。か弱い女生徒の方が警戒されにくいだろうし」

 確かに女装時も今も、若く見える。実年齢も年若いらしい。それにしたって、この人の化けっぷりときたら。


「足とかすごく綺麗だったのに……」

「あ、今回のためにムダ毛全剃りしたからこの人。見てみる?」

 そう言ってお医者様は、ミクモさんのズボンの裾に手を伸ばした。

「やめろボケ。男相手でもセクハラは通用するんだからな」

 ミクモさんは足を引っ込めた。

「存在しない女に憧れて、おめでたいなお嬢様」

 ミクモさんは、心底馬鹿にしたような口調で吐き捨てた。

「ほんの少しお嬢様校の生活を覗かせてもらったが、温室の中でぬくぬく大事にされた苦労知らずばかりで、お気楽なもんだったわ」

 忌々しいものを見る目つきで、ミクモさんは言う。

「女が戦えると思うな」

「……今のもセクハラとして訴えましょうか」

 ゆっくりと立ち上がる。頭は痛く、体が重かった。

 けれど腹は、熱く煮えて。


「私がミクモ様に憧れたのは、女も戦えると見せてもらったからです」

 綺麗で強い女の子たちは、学校にも沢山いた。

 学校中の生徒から慕われる、心優しい子。スポーツや武芸を極めた子もいた。優秀な成績を収め、勉学で世を切り開く力を持った子だって、きっといたけれど。

「卒業したらやりたいことも我慢して、とっとと結婚して親の役に立てと。世の中のために子を産めよと押し付けられる娘の不幸が、あなたにわかりますか」

 私たちと同じ制服を着た女の子の勇ましい姿が、幻と言われて。

 どんなに悔しいか、わかってたまるか!

「私はもうすぐ卒業して、親のいいように使われるでしょう。楽しい娘時代はもう終わりだと……ふざけんな、バカ。望まない結婚させられて言いなりで生きろなんて、人生そのものが終わりだバカ」


 学校でテロに巻き込まれて、治安維持に戦闘用ロボットが持ち出されて、世界情勢は混乱の一途を辿る。

 世界中どの国も、かつてほどの力にも資源にも恵まれず。出生率はダダ下がりで、国力となるはずの人間が不足しているのだから、産めるものは増やせと義務のように課せられる。

 誰も彼も関係なく、個人の幸福を追い求める時代もあったというけれど。

 人類は衰退とともに、再び価値観を前前時代まで巻き戻されてしまった。

「……なんにしても、ミクモは男だって」

 頭を掻きながら、ミクモさんは息を吐いた。いささか気まずそうな顔をしているように見えるが、自身の失言を認めたからか。それともただ、面倒だという表情なのかは分からない。

「でも、幻なんかじゃないです」

 男だ女だとこだわるのは、本当に望むところでは無い。

 私の憧れたミクモ様の美しさは、きっとそれだけに左右されない。

 ただ戦う人間の姿が、美しかった。


 跨るのは機械ロボット、けれどそれで、私でも戦えるのなら。

 人生を、私を、終わらせてなど。

 憧れを憧れで終わらせてなど、なるものか。

「幻だったというのなら、私が本物にしてみせます」

 制服のジャンパースカートからは、土埃と煙の匂いがした。

 冬の厚いスカート生地を簡単に引き裂くほどの力さえ、まだ私には無いけれど。

 私は私の足を、手に入れてみせる。

 ミクモさんの背後で鈍く輝く黒いバイクを見つめながら、私は決意した。








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