第2話


 あこがれること、は熟語だと「憧憬」になる。

 りっしんべんに、わらべが、景色を見ている? 童心の純真なきれいなこころで、美しい景色を眺めている? そういうニュアンスであろうか。


 アイドルに憧れる、という場合は、アイドルというのは「偶像」やから、かなり抽象的な高級なハナシに思える?

 キリストとかは、「偶像アイドル」の典型らしい。

 イスラム教は偶像崇拝禁止らしい。 マホメット、アラーのイメージというのは、だから無いのが普通。


 若い歌手や女優を、アイドルという場合は、抽象的にアイコンとして崇め奉って、触れたり話したりしないので、精神的な存在となるから?


 奥さんが「モーニング娘。」出身で、毎朝「ミキティー!」とかいう場合は、するとどうなるのか? 微妙だが、矛盾していることをギャグにしているということか。


 思春期は、異性と実際に交際ができない場合も多くて、それが、まあ代償行動として芸能人に向かい、美化してアイドルというのだろうが、オナニーと同様むなしい気もする。が、フロイトは、例によって逆説ぽいが、「コイトスは、オナニーの貧弱なもの」とか言ったそうだ。精神分析というものを、要するにどうとらえるかを言えるほど詳しくもないのですが? セックスとその葛藤を中心に据えているというところから類推すると、人間存在の病的で、矛盾した、逆説的な部分をことさらに喧伝する発想なのかとも思います。 ビョーキ、を強調するシニカルな愉快さ?ともつながるが、世の中がだんだん世紀末的、末世のデカダンで退廃的な様相を呈してきた時代にふさわしい、典型的なアイロニカルなジョーク? それで、相補的な役割を果たすとか、そういう泡沫的な現象だろうか…? これは思い付きですが。


 アイドルに憧れる、そういう経験は誰にもあり、つまりそれは現実の彼方にある「ユートピア」の夢想だ。


 新約聖書バイブルは、New Tastement つまり、「契約」という意味。 信仰と引き換えに、いずれ訪れる「天国」の保証なのだ。 今は世を忍ぶ仮の姿で、未来に来る理想郷とはギャップはあるが、がんばれ~

 そういうような教えで、宗教やらは、こういうなんというのだろう、時間差の前向きの発想を鼓舞することで、現在の苦痛に耐えるという、そういう方法論で救済を与えたりするのが多い、気がします。


 馬の鼻面に人参ではないが、苦しくとも、がんばっていれば明るい未来が来る。そう信じきれれば、苦しみに耐えやすくなる…


 アイドルは、幻想ではあるが、がんばっていれば、いずれこういうかわいい子と恋仲になれるんや~という、夢、希望、モチベーションの源泉になるのなら悪いものでなく、すべからくあらゆる宗教もそういう構造をなしているのだ…そうして、宗教は幸福への処方箋、ノウハウの典型なのである。たぶん。


 自己実現、は、つまり、「あこがれ」が「現実」になることで、人生の究極の目標。 だから、兎に角、まず強烈な「あこがれ」を持っていなくては物語はおろか、紆余曲折のプロセスすら始まらない。 コリンウィルソンが、綺羅星のように、過去の巨匠というべき大作家たちの輝かしい名前を並べつつ文学を語った、その書物に「夢見る力」というタイトルをつけたゆえんは、きっとそこなのだろう。



 



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