第1回 フルーツケーキ

佐々木キャロット

フルーツケーキ

三題噺 お題:トランペット・黄泉戸喫・メンヘラ


「久しぶりだね、ナナミ」

「うん。久しぶり、ナギくん」

 ジャズが流れる店内で、ナナミは微笑む。

「ここに来るのは大変だったでしょ?」

「うん。でも、ナギくんに会えると思ったら頑張れたよ」

 ナナミに再会したのは五分程前のことだ。やるせなく公園のベンチで空を見上げていたところにナナミは突然現れた。

「もぉ、なんでそんなに暗い顔してるの?ナナミに会えて嬉しくないの?」

「……いや、もちろん嬉しいけど」

「じゃあ、もっと笑ってよ。いっぱい話したいことがあるんだから」

 軽やかなトランペットの音色が耳につく。

「それでね、みんなひどいの。もう諦めろって。他にもいい人はいるって」

「うん」

「でも、ナナミはナギくん一筋だからって、いっぱい考えて、いろいろ試したんだ」

「うん」

「だから、こうやって会いに来ることができたんだ」

 ニッコリ微笑むその顔は初めてのデートを思い出す。あの日もこんな喫茶店だった。

 二年生に上がって三ヶ月くらい経った頃、窓の外を眺める彼女が気になった。少し大きなセーターから覗く小さな手。透き通るように白い肌と長く綺麗な黒い髪。どこか無くなってしまいそうな儚さに目を奪われ声をかけた。話すほどに彼女の魅力にあてられて、友達に「アイツはヤバい」と止められもしたが、しばらくしてから告白した。彼女は泣き顔を隠しながら答えてくれた。

「話しかけても全然答えてくれないし、もう会えないのかと思ったよ」

「ごめん、どうしようもなかったんだ」

「ううん、謝らないで。怒ってるわけじゃないの。今は、ただ、また会えたことが嬉しいの」

 ナナミは寂しがり屋だ。会えなかった日々は彼女を傷つけたに違いない。

 高三になり、「将来」という言葉の重みを感じ始めた頃、僕とナナミは喧嘩をした。ナナミは僕と同じ大学に行きたがったが、僕はそれに反対した。頭のいいナナミにはもっと上の大学に行って欲しかった。自分のために進路を選んで欲しかった。結局、僕がナナミに合わせてレベルの高い大学を受けることに落ち着いたが、あの時のナナミの取り乱し様は昨日のことのように思い出される。

「……ダメだよね。会えたことが嬉しくて。謝らないといけないのはナナミの方なのに。本当は最初に謝るべきだったのに……」

「……ナナミ?」

「……ごめんね。ナナミが、あの時、ぼんやりしてたから……ナナミがちゃんと見てなかったから」

「ナナミ」

「……本当にごめん。今日も勝手に会いに来て。ナギくんもナナミの顔なんて見たくなかったよね」

「そんなことないよ。ナナミにまた会えて僕も嬉しいよ」

「……本当に?」

「うん。本当に」

 ナナミとの最後の思い出は、遊園地デートだった。ナナミはいつもに増してはしゃいでいた。大学の授業が忙しく、なかなか遊べなかったからだろうか。それとも初めて遊園地に行ったからだろうか。そんなナナミの目に迫ってくるトラックなど映るはずもなく。最後に見たのはくしゃくしゃに崩れたナナミの顔だった。

「じゃあ、これからはずっと一緒にいてね。もう離れ離れにならないように。ずっと」

「……ナナミはそれでいいの?僕とずっと一緒で」

「うん。一緒がいい……ナギくんは嫌?」

「ううん。ナナミがそう言ってくれるのは僕も嬉しい」

「よかったぁ」

 ピアノの奥にベースが響く。トランペットは高らかに歌う。

「お待たせしました。ご注文のフルーツケーキとホットコーヒーです」

「わぁ、美味しそう。ありがとうございます」

「ありがとうございます」

「ごゆっくりどうぞ」

 フルーツケーキに眼をキラキラさせ、ナナミはフォークに手を伸ばす。上に載った赤い果実を整えて、硬いクッキー生地を割っていく。

 ドラムの刻むリズムが速まる。僕の鼓動と重なるように。

「いただきま」

「待って」

 僕の声が店内に響き、フォークを握るナナミの手が止まった。

「……やっぱり、一緒にはいられない。僕とナナミはもう違う世界の住人なんだ。ナナミまでこっちに来る必要は無い。みんなの言う通り、僕のことは忘れて他の人を探すべきだ」

 ナナミは驚くような悲しむような顔をしたまま口を結ぶ。

 耳には何も聞こえてこない。

「……だから、だから、このまま何も食べずに帰って欲しい。手遅れになる前に」

「……ナギくん」

「何も食べずに帰るんだ。頼む」

「……ナギくん。ナナミね、いろいろ調べたから知ってるよ。『黄泉戸喫』って言うんでしょ?このケーキ食べたら帰れなくなるんでしょ?」

「……うん」

「だからナギくんは止めるんだよね。ナナミには死んで欲しくないから。生きて幸せになって欲しいから」

「うん」

「……ふふ。やっぱりナナミにはナギくんしかいないや」

「えっ」

 ニコッと笑った口が大きく開き、その欠片を飲み込んだ。

「ナナミ⁉」

「ナギくん。ナナミはね、ナギくん無しじゃ生きていけないメンヘラ女子なんだよ?ナギくん、あの時の言葉覚えてる?『ナナミには僕がいる』って。あの時からナナミの心は決まってたんだ。ナギくんしかいないって。だから、ナナミをナギくんの傍にいさせて。二度と独りになんかしないで。ナナミをぎゅっと抱きしめて。ナナミの全てを受け止めて」

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