元カレを増やさない解決法

またたびやま銀猫

第1話

 元カレが結婚するらしい。

 そう聞いて、私はやけ酒することに決めた。

 友達を招集しようとしたのに、こういうときに限って誰も捕まらない。

 会社での昼休み、私は盛大にため息をついた。


「どうした?」

 ちょうど通りすがった仲の良い同僚男性に聞かれ、私は半目で彼を見る。

 同期で仲の良い彼はイケメンで、今日もやっぱりイケメンだった。


「飲みたい気分なのに、誰もつかまらなかった」

「なにがあったんだ?」

「あんま言いたくないかも」


「余計に気になる。よし、今夜は俺が飲みに付き合ってやるからそんときな」

「ええ?」

 私は不平の声を上げる。


 何度もふたりで飲みに行ったこともある気の置けない友達だ。だけど元カレへの愚痴なんて聞かせたくない。

「いい居酒屋見つけたからさ、俺のおごり」

「それなら行く」

 私の掌返しに苦笑を残し、彼は自席に戻った。




 夜、私は彼と一緒に彼の予約した居酒屋に入った。

 水曜だからか、人は少ない。

 半個室の部屋に案内され、彼と向かい合って座る。

 お酒と料理を注文し、それなりにアルコールが入ったところで彼が聞いて来た。


「で、なにがあったんだよ」

「元カレが結婚するんだって」

 私はぶすくれながら答える。


「それでショック受けたんだ? まだ好きだったとか?」

「ぜんっぜん!」

 それだけは決してない。別れたのは随分前のことだし。


「じゃあなんで」

「なんか負けた気がするから」


「負けって、なにが」

「先に結婚されちゃってさ。私だってお年頃なのに恋人すらいなくて結婚なんて見えない」

 別れて以来、幸か不幸か彼氏ができなかった。仕事が忙しかったせいもある。


「女ってさ、仕事がちょうど楽しくなってやりがいもあるって頃に結婚だのなんだのってあるから損な気がする」

「それは男だって同じだよ」


「だけど結婚で女ほど環境が変わるわけじゃないじゃない? 姓を変えるのはいまだに女のほうが圧倒的に多いし、子供を生むってなるとなおさら変わるし」

「まあそれはそうだけど」


「だからって男はいいなあとも思わないけどね。男だからってだけで雑に扱われるのも見てるし」

「まあねえ」

 彼はそう言ってビールをぐいっと飲む。


「で、恋人が欲しくなったとか結婚したくなったとか――でもなさそうだな」

「うん。元カレを増やしたくない」


「どういうこと?」

「つきあったってどうせ別れるじゃない。『元カレ』が増えるって考えるともういいやってなっちゃう」


「ふうん」

 彼はなにか考えるそぶりを見せて枝豆を口に運ぶ。

 私はぼんやりとそれを見ていた。

 彼って意外に指がきれいだ。大きな手でつままれた枝豆が小さく見える。薄い唇に運ばれた枝豆を口に添えてつるんと食べるさまが妙に色っぽく見えた。


 彼とつきあったら、なんて考えたことがある。

 今と同じように仲良くしていられるのだろうか。

 もし結婚したら……どうなるんだろう。

 だけどそんなことありえない。


「なに見てんの」

「別に」

 私はぱっと目を逸らせた。もし結婚したらなんて考えたなんて、知られたくない。

 それ以上元カレの愚痴を言う気になれなくて、たわいもない話をして私たちは店を出る。


 早春の冷たい風にぶるっと体を震わせると、彼がマフラーをばふっと私の首にかけた。

「使え。風邪ひかれると困る」

 言われて、私はぷっと吹き出す。


「なんだよ」

「ドラマでこんなシーン見た」


「あっそ。そのふたり、その後どうなった?」

「なんだかんだでつきあってハッピーエンド」


「そっか」

 彼はちょっと嬉しそうに答えて、それから一緒に駅に向かって歩き出す。

 街路樹の桜は寂し気に枯れ果て、細い枝は頼りなげに星のない夜空に向かって伸びている。星になんて届くわけないのに。


 駅に着くと私は彼に向き直った。路線は違うから、ここでお別れだ。

 大きな桜の木の下で、私は彼に言う。

「今日はありがと、愚痴につきあってくれて」

「いいよそれくらい」

 言葉を切った彼は、なにかを探すように目をさまよわせ、それから続けた。


「さっきの話だけどさ」

「なに?」


「元カレを増やすのが嫌なら、俺と結婚しようぜ」

「はあ!?」

 私は思わず声を上げた。


「結婚したら、元カレは増えないだろ? 最善策だ」

 私は絶句した。論理が無茶苦茶だ。


「ずっとお前を見てて、結婚するならお前しかないって思ってた。もう決定。だから今から俺の婚約者な」

「なに言ってるのよ!」


「拒否権なし! また明日!」

 彼はそう言って改札に走った。

 私は追い掛けることもできずにそれを見送った。


 なんの冗談?

 でも、冗談ならそう言うよね?


 私の心臓がばくばくする。

 ふと見上げると、大きな桜の枝には花芽がいくつもついている。

 ずっと枯れたように佇んでいたけれど、ちゃんともう、春を迎える準備を整えていたのだ。


 もう少ししたら。

 私は目を細めて木を見つめる。

 ピンク色の花がいっぱいに咲いて、世界を明るく彩るのだろう。


 星よりも鮮やかな満開の桜を想像し、どきどきする。

 私の春は一足早く来たのかもしれない、と思いながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

元カレを増やさない解決法 またたびやま銀猫 @matatabiyama-ginneko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ