夢を失くした大人の夢

おひとりキャラバン隊

夢を失くした大人の夢

「将来、何になりたいですか~?」


 テレビの画面の中で、インタビュアーの質問に小さな子供達がバラバラに答えている映像が流れていた。


「ケーキ屋さ~ん!」

「サッカー選手~!」

「ユーチューバー!」


 高性能マイクがそんな無邪気な子供達の声を拾い上げ、テレビの前の視聴者に、等しく届けてくれている。


 しかし自分の将来に、夢も希望も持てない僕にとっては、子供達の声は空虚なものでしか無かった。


(ケーキ屋さん? 趣味で作るだけならともかく、簡単に商売にできると思ってるなら大間違いだぞ? サッカー選手? 今どれだけサッカーが上手いっていうんだ? それに、サッカーのブームがあと何年続くのか、そんなの誰にも分からないんだぞ?  

 ユーチューバー? それこそ売れるかどうかなんて分からない。ギャンブルみたいな人生じゃないか……。)


 心の中で僕は、子供達の将来の夢を打ち砕いてゆく。


 それがまるで自分のすべきことだとでも言う様に……。


 ――ぶっちゃけ、子供達がどんな夢を見ようが知ったこっちゃない。30歳になっても就職できずに実家で引きこもっている僕にとっては尚更なおさらだ。

 社会に置いてけぼりにされたという孤独感や、同級生や両親からの無慈悲な言葉による自尊心の喪失や、だからといって、自分で死を選ぶなんて勇気も無い自分自身に、これ以上ないほどの嫌気が差しているのは確かだが、それでも自分が「何もできない人間」だなんて認めたくは無いのだ。


 むしろ、他人にそれを指摘されるのが一番腹が立つ。


(そんな事は自分が一番分かってるんだよ!)


 そう心の中で叫ぶが、言葉には出来ない。なぜなら、その言葉を口にすれば、次にどんな言葉が返って来るかが分かっているからだ。


「なら、どうしてちゃんとしないのさ。他人より努力すればいいだけじゃないか」


(出来ないんだよ! やろうとしても、身体が思う様に動かないし、時には拒絶反応さえ出てしまって、自分じゃ制御できないんだよ!)


 そんな自分だから、他のみんながやってるような『普通の生活』が出来るだなんて思っちゃいない。


(けれど……)


 僕は何度か深呼吸をして、部屋の本棚に並ぶDVDの列を見上げていた。


 数本の古い映画が並んでいる。


 その中でも、僕が最も好きな映画「エレファントマン」は、何度も見て、何度も泣いた。


 歪な姿をしている主人公が、見世物小屋で見世物にされているという、胸くそが悪くなる前半。


 しかし、主人公の心の美しさは誰よりも尊く、劇団のプリマドンナがそれに気付く。


 そしてプリマドンナの誘いで演劇を特等席で見た主人公は、芸術の美しさに心を打たれ、主人公自身も芸術の才能を開花させる。


 そして、ささやかな名声を得た主人公は、貴族から報奨を得る機会に恵まれ、その望みが「天井を見ながら眠りたい」というものだった。


 自分の頭が歪な形状をしている為に、ベッドのうえでは横向きにしか眠れなかった主人公は、プリマドンナに見せられた物語の登場人物が、天井を見ながら眠る姿に憧れたのだった。


 なので主人公が最期に望んだのが「天井を見ながら眠りたい」というものだったのだ。


 周りの誰もが「そんなものでいいのか?」と首を傾げたが、プリマドンナは「彼の望むものを」と口添えをする。


 そして主人公は、ふかふかの羽根枕があるベッドで、生まれて初めて仰向けで天井を見ながら眠ったのだ。


 ……そんなささやかな願いの為に、自分の全てを賭けて生きたエレファントマンの物語は、どこか自分自身と重なるものを感じていた。


 僕はエレファントマンの様な不幸な生い立ちではない。


 でも、心の形が歪に育ってしまった僕は、エレファントマンの様に「天井を見て眠れない」という病に犯されている。


 いつも自分の身体を抱く様に、外敵から身を守る様に、身体を丸めて眠っていた。


 いつも得体の知れない不安や恐怖の中にいる様な気がして、心が休まる事など無かったのだ。


 エレファントマンは、幸運にもプリマドンナが良き理解者として現れてくれたが、僕の元にはまだ誰も現れない。


 お金が欲しい訳でも地位や名誉が欲しい訳でも無い。


 どうせ、地位や権力やお金なんてものは、心の汚れた者達が醜い行いをして得てきたものなのだ。


 だけど僕は、エレファントマンの様に、美しい心でいたいのだ。


 人や動物に優しい社会。

 お金が無くても人と人が助け合える社会。

 個人の特性を尊重し、他人とは違う個性でも差別など無く、お互いが尊重し合える社会。


 僕が望む社会、僕が生きていたい社会の姿だ。


 ……だけど、この国ではお金を稼げない僕は、美しくも正しくもなく、ただ醜いだけの「役に立たないニート」という扱いでしかないのだ。


 —―そんな僕は、心から憧れているものがある。


 それがエレファントマンという映画からインスパイアされた考えなのは間違い無い。


 僕が心の底から憧れているもの。


 それは、「古き良き時代の社会」だ。


 パソコンが下手でも、人付き合いが下手でも、お金を稼ぐのが下手でも、それでも何かしら生きて行く手段があり、エレファントマンでさえ「心が美しい」というだけで夢が叶えられる、派手では無くても「幸せになれる」という社会。


 僕は僕でしかなく、これ以上、何も変える事が出来ない。


 そんな僕の事情は、「多様性」とやらとは別物らしく、「個性」とは認めてもらえない。


 彼らに言わせれば、僕は「怠惰」でしかないという。


 そして僕を「ニート」と名付け、僕が何を言っても「戯言」として扱われる。


 それが現実で、僕が今生きている社会だ。


 僕は憧れている。

 エレファントマンを美しいと思う人がいる社会を。


 僕は憧れている。

 僕を「ようこそ」と受け入れてくれる社会を。


 僕は望んでいる。

 僕の思いが「あこがれ」だけでは終わらずに実現してくれる事を。


 僕は望んでいる。

 僕の望みが叶うまで、僕が生きていられる事を。


 ……何となく視界が霞む。


 僕は何度か目を擦りながら、テレビの画面に

「今年も日本人の死因の1位は自殺という結果が出ました」

 というニュースキャスターのセリフが虚しく響いた。


(僕は、まだ生きている。生きているだけでも価値がある筈なんだ……)


 そんな僕の存在を肯定してくれる社会に……


「あこがれ……」


 僕の声が終わらないうちに、僕の視界は乳白色に溶けて、いつのまにか、何も聞こえなくなったのだった……

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