アカルイ ミライ
ゴカンジョ
――夢を見るから、人生は輝く。
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)
〇 〇 〇 〇
二〇●●年、日本の教育現場に「生成AI進路指導」が導入された。
生徒たちの遺伝子情報、学力、性格傾向、さらには家庭環境や社会動向などの外的要素も分析し、「最も成功する進路」を予測する生成AI進路指導プログラム「オラクルナイン」(Oracle-9)は、日本のAIスタートアップ企業「ニューロパス」が開発。海外企業による「デジタル寡占」を抑止したい政府の支援を受け、東京都の私立●●高校で試験運用されることとなった。
オラクルナインの導入については、少なくない批判の声もあった。特に「究極の個人情報」とも言われる遺伝子情報を利用することには、一部専門家から強い懸念の声が上がった。その一方で、各種世論調査では生成AI進路指導に対し肯定的な意見が半数以上を占めた。その要因の一つに、すでに民間の遺伝子解析ビジネスが普及していたことが挙げられる。遺伝子情報を利用することに、もはや抵抗を感じない人々が多くなっていたのだ。そしてなにより生成AI進路指導は、日本の社会問題と化した「教員不足」の解決策になるという期待感が高まっていたことが大きい。実際、教育現場からは生成AI進路指導の導入について、悲鳴にも似た強い要望が寄せられていたのだ。
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《あなたが宇宙飛行士になれる確率は0.000002%です。あなたが最も成功すると予測される職業は、地方公務員です(確率96.6%)。》
野村
生徒のプライバシーを守るため完全個室となった進路指導室は、オラクルナインのプログラムが入った巨大なコンピューターと、自分の希望進路やなりたい職業を入力するためのキーボードとモニター、そしていかにも事務的なオフィスチェア以外、何もなかった。もともとは学習用のコンピュータールームだったのだが、オラクルナインの導入に伴い、余計なパソコンやデスクはすべて撤去され、かわりに生成AIによる莫大な計算量を実現するサーバー群が設置されていた。
姿勢を戻した拓海は、もう一度現実を見つめるように、モニターに目を向ける。
《あなたの知性・能力は標準的であり、宇宙空間という特殊な状況で働く体力やストレスへの強さ、過酷な環境にも屈しないバイタリティに欠けていると判断されます。また運動能力の発達傾向からも、今後宇宙飛行士としての訓練適性を得られる可能性は低く、宇宙飛行士になることは現実的ではありません。》
拓海は椅子に座ったまま周囲を見やる。しかし、すべての窓に黒の分厚いカーテンが引かれた室内では、外の景色を眺めることすらできない。プライバシー保護の一環のはずだが、まるで「AIの未来予測から目を背けるな」と強制されているようにさえ思える。そんな密室で、拓海はしばらく一人、中空をぼんやりと見ていた。鈍い地響きのように轟くコンピューターの冷却ファンの音に、拓海は知らぬ間に苛立ちを覚え始めていた。
《ログアウトが完了しました。利用するには学籍番号でログインしてください。》
気が付くとモニター上には結果画面が消え、かわりにダイアログメッセージが表示されていた。個人情報保護のため、オラクルナインの進路指導終了後はログアウトする必要があるのだが、システム的に一〇分以上操作がない場合は、自動ログアウト処理させる仕組みとなっていた。
「……まあ別に、どうせそうだろなって、思ってたし」
席を立った拓海は、乾いた笑いを浮かべながら、無機質な進路指導員に向かってそうつぶやいた。
拓海が帰宅すると、拓海の母親が「どうだった?」と、早速興味津々とばかりに訊ねてきた。
「なにが?」
「進路指導よ。AIで判定してくれるんでしょ? どうだった?」
「ああ、うん。よかったよ。地方公務員が向いてるってさ」
拓海は宇宙飛行士になれる確率については触れなかった。
「随分と堅実ねぇ」
人間の進路指導にはできない、AIならではの奇想天外な結果を期待していたのか、母親はつまらなそうに呟く。
「でもまあ、先生が言うよりも説得力はあるわよね。だってあんたの色んなデータを使って診断してるんでしょ? 先生個人の主観的な進路指導よりよっぽど信用できるわよ」
自室に戻った拓海は、制服から身軽なスウェットに着替えると、学校で配布された「オラクルナイン」のパンフレットを片手に、そのままベッドに寝転ぶ。パンフレットをパラパラと眺めていくと、「AI最大の武器は、『予測力』です」という説明文が目に入った。
「AIは過去の膨大なデータを機械学習し、人間では想像もできないパターンや相互関係を見つけます。そこに皆さんの個人データを組み合わせれば、一人ひとりの適正進路、適正職業、将来の収入なども予測できるのです。しかも、オラクルナインは生成AIです。こちらが用意した登録データ以外にも、様々な新しい情報やデータを自ら見つけ学習していきます。だからこそオラクルナインは、単に過去データを照らし合わせたテンプレートのような回答ではなく、高度で正確な予測精度をベースにした個別進路指導が行えるのです」
AIと生成AIの違いはよく分からなかった拓海にも、ともかく「AIは予測力が凄い」ということは十分理解できた。そのAIが、「宇宙飛行士は現実的ではない」と断じたのだ。お前の知性・能力・性格では、宇宙飛行士にはなれないのだと。地方公務員、それが現実だと。
(そうだよお母さん。学力やら性格、遺伝子まで使った高度で正確な未来予測だからね。信用できる。間違いないよ)
母親の言葉を思い出しながら心の中で独り言ちると、拓海は寝っ転がったままパンフレットを放り投げ、サイドテーブルに置いたタブレットPCで電子書籍の漫画を読み始める。幼いころから何度も繰り返し読んだ、元サラリーマンだった日本人宇宙飛行士の物語だ。
「努力すれば夢は叶う」
開いたページの中で、主人公はそう言っていた。
AIによると、どうやらそれは違うらしい。
〇 〇 〇 〇
「子供たちの最適な進路」を正確に予測するオラクルナインは、その後の追跡調査で私立●●高校の大学進学率、卒業生の平均収入などが軒並み向上したことが明らかとなり、その成果が広く認められることとなった。
「ウチの子はオラクルナインの進路指導のおかげで、難関大学に進学し、一流企業にも就職できたんです」
実際に自分の子供がオラクルナインの進路指導を受けたという保護者の一人は、メディアのインタビューでこう答えた。
「実はウチの子、小さいころから小説家になりたいなんて夢を持っていたんです。でも、小説家って大変じゃないですか。実際にちゃんと稼げる人なんて限られてますし。もちろん、夢を見ることは大切だと思いますけど……。でも、きちんと『最適な道』を示してくれるなら、しなくていい無駄な努力をせずに済みますよね」
多くの保護者や教師たちから絶賛されたオラクルナインは、全国の中学・高校に導入されることとなった。日本ではオラクルナインの「最適化指導」を受けた世代のことを「ナイン世代」と呼ぶようになった。
それから数十年後、日本は極めて効率的な社会になっていた。誰もが無駄な努力をせず、最適な進路を選び、安定した人生を歩むようになったのだった。
そして同時に、この国から「夢を見る者」も「情熱を燃やす者」も消えていた。「可能性」と呼ばれたものが、完全に消滅した。
(了)
アカルイ ミライ ゴカンジョ @katai_unko
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