転生じゃないけど異世界

 夜のアルバイトに向かう途中、大介は、いかにもそれっぽい連中に因縁をつけられた。

「デカいからって舐めんなよ、兄ちゃん」

 虚勢なのか、あるいは自信があるのか分からないが、眉を寄せた若い男が下から顔を突き出すようにして大介を睨んだ。

 今年から二十一世紀が始まったというのにまだこんな連中がいるのか。大介はうんざりした。

「バイトがあるんです。行かせてもらえませんか」

 冷静に言う大介を取り囲んで、男たちは有無を言わさず薄暗い路地に連れこんだ。

「仕事熱心だねえ」嘲るように話しかけてきたのは、夜なのにサングラスをかけたパンチパーマの男だった。「でも、時には遊ばなきゃ。人生、一回切りだぞ」

 人生、一回切り。たしかにそうだ。その一回を俺は無駄に使っている。大介は思わず少し笑ってしまった。

「余裕こいてんじゃねえぞ、この野郎」

 大介の笑みを挑発と受け取ったのか、パンチのパンチが飛んできた。三輪車より遅い。大介は首をかたむけて避けた。よろめいたところで背中をトン、と軽く押す。パンチは無様に地面に這いつくばった。

「やる気か。戦力差が分かってないな」

 男たちの間に殺気が揺らめいた。それなりに連携の取れた動きで隙の無い攻撃を繰り出して来る。喧嘩慣れしているのが分かった。さすがに、やんちゃなだけの学生たちとは違う。

 だが、大介はすべて見切った。かわすか受け流して、おつりのようにカウンターを入れていく。ほどなく、敵は、ほぼ全員が地面で荒い息をしていた。

「しょうがねえな」

 少し離れた所で見ていた男が手に棒のようなものを握って近づいてきた。腕を振ると、金属の擦れるような音と共に、それは何倍にも長くなった。特殊警棒のようだ。当たればダメージは大きい。それなりに警戒が必要だと判断した大介は、警棒の男に意識を集中させた。他はザコだ。しかし、その思い込みが間違いだった。

 後ろから襲われた。それだけなら大介にとってはなんでもない。だが、軽く受けようとした左腕に激痛が走った。重くて硬い特殊警棒が骨にまで響いた。

 倒れていた男たちがゾンビのようにゾロゾロと立ち上がり始めた。手に手に警棒を構えている。じりじりと迫って来た。さすがに分が悪い。クリティカルヒットこそ避けたが、それでもダメージはどんどん溜まっていった。

 やがて防御もままならなくなった大介は、立ったまま袋叩きにされた。体中に激痛が走る。けれども精神が麻痺してしまったのか、あまり苦痛に感じなくなってきた。ああ、そろそろだな。俺はここで終わるんだ。やっと諦めてばかりの人生から逃げ出す事ができる。体が傾いていくのが分かった。幸せに似たぼんやりと温かい気分に包まれながら目を閉じた。

 だがその時、陽葵の笑顔が脳裏を掠めた。まだだ。まだ死ねない。大介は足に力を込めて踏ん張った。歯を食い縛って容赦の無い攻撃に耐え続ける。でも、意識を保つだけで精一杯だった。

「おい、そのぐらいにしておけ」

 穏やかな、しかし逆らう事を許さない厳しさを持った声が路地に響いた。男たちの動きがぴたりと止まった。

「キラのアニキ、お疲れさまです」

 大通りから逆光を背負って現われたのは、きちんとスーツを着た温厚そうな男だった。三十代半ばぐらいだろうか。

「おい兄ちゃん、生きてるか」

 キラのアニキ、と呼ばれた男は大介の顔を覗き込んだ。

「ええ、なんとか」

「まだ口がきけるのか。たいしたもんだ」

 ポン、と肩を叩かれて、大介はガクリと傾きかけた。

「できれば、優しくしてもらえませんか」

「はっはっは、すまない」キラのアニキは、さもおかしそうに笑った。「それにしてもお前、あれだけの攻撃を受けてなんで倒れないんだ」

「俺、諦める事を諦めてるんで」

「何だそりゃ」

「あの」大介は顔を上げてキラのアニキの方を向いた。「工事のバイトがあるんで、もう行ってもいいですか」

「それ本気で言ってるのか」キラのアニキは呆れたような声を出した。「その体で工事なんかできるわけないだろ」

 元の姿が分からないぐらいに腫れ上がった顔には、べっとりと血が滲んでいる。ボロボロに破れた服の上からでも、全身に酷い打撲傷を負っているのがはっきりと分かった。骨に達する傷もあるかもしれない。

「でも行かないと生活費が。妹の給食代と修学旅行の積立金も払わないといけないんです」

 キラのアニキは一つ息をついて、大介をじっと見つめた。

「お前、名前は?」

「火倉大介」

 キラのアニキは口元に笑みを浮かべた。

「大介、俺と来ないか」

「でも働かないと、生活費……」

 ぐらり、と揺れたが大介は倒れなかった。

「分かった。分かったから」キラのアニキが大介に肩を貸していた。「生活費と、それからなんだ、妹の給食代に修学旅行の積立金? 全部、俺が出してやるよ。だから、とりあえず今日は俺と来い。病院には連れて行ってやれないが、ワケありの元医者なら事務所にいる」

 まるで異世界のようだと思った。

 以前の常識がまったく通用しない。だがここではそれが普通なのだと大介は受け入れた。

 あとで知った事だが、キラのアニキは組織においてかなりの実力者だった。対抗できるのは、牙堂げどうと呼ばれている幹部だけだと聞かされた。二人は顔を合わせても会釈もしない。反目し合っているように見えた。

 最初の頃、仕事のほとんどはシノギを守る為の巡回など軽いものが多かった。対立組織と表だって抗争したり、一般市民にむやみに手を出したりはしない。下手な事をすれば警察が潰しにかかる為の格好のネタを提供する事になるからだ。だが、その警察とも上の方では繋がっているという事を、やがて知る事になる。

 まじめに黙々と仕事をこなす大介は、組織内で多くの者に好感を持たれるようになった。組織のあたまであるオヤジやキラのアニキはもちろんの事、他の先輩たちからも頼りにされて、同年代や下からは慕われた。ヒグマ、という愛称はすぐに広まった。

 実力を認められ信頼を得るにつれて、仕事内容は重く暗澹あんたんたるものにシフトしていった。

 命をえぐる時にナイフから手に伝わって来る感触は、どんなに洗っても拭う事はできないし、一人の人間の存在が消える音と共に立ち上る硝煙の臭いは、いつまでも記憶に留まり続ける。そして何より、絶望と救いを求める目が共存した断末魔の表情が脳裏から消える事はなかった。

 だが、幾多の修羅場を越えるうち、何も感じなくなった。いや、感じないフリを自分自身にして見せる事を覚えた。与えられた命令オーダーを静かに速やかにこなす。そんな毎日が当たり前になっていった。

 キラのアニキとの出会いから十年が過ぎる頃。大介は組織の実戦部隊の中核を担っていた。それどころか、同業者の間でヒグマという名は、知らぬ者のない畏怖の対象となっていた。

 陽葵は普門ヶ丘学園高等部を卒業すると同時に家を出た。お兄ちゃんありがとう、という手紙を残して。六年前の事だ。それ以来、消息は知れない。

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