【KAC20252 特別編SS】あこがれ

宮沢薫(Kaoru Miyazawa)

あこがれ

 阿部鈴音あべすずねが社食で昼食をとっていると、近くにラーメンとおにぎり2個を持って通り過ぎる大柄な女性の姿があった。見覚えのある黒いショートカットの女性、町田ほどではないが、スポーツで鍛えた身体が大きく影を作る。彼女が鈴音の姿を気づくと、上から「阿部さんお疲れ様ですー」と間延びした声がした。


「あら宇佐美うさみさん、お疲れ様」


「先輩の席、空いてる。座ってもいいっすか?」


 宇佐美と呼ばれた女性は、鈴音がうなづくと向かいの席に座った。鈴音のことを先輩と呼んでいるが、十歳以上の差がある。胸元を見ると、宇佐美はモノトーン系が多い中、珍しく淡いピンク色のフリルブラウスを着ている。たわいのない近況話に花を咲かせた。

 ふと、宇佐美が梅おむすびの最後の一口を頬張ってから鈴音を直視した。


「そういえば、あたし、阿部さんみたいになってますか?」


「え、なんのことかしら?」


「その、一次面接で阿部さんと初めてお会いした時、『あたし、この人みたいになりたい』とあこがれを抱いたんです……そして、ご縁があって入社して頑張ったんですが、働きぶりはどうかなって」


 鈴音は一次面接で宇佐美と出会った時のことを思い出した。



 宇佐美菜々子ななこのエントリーシートを見た時、自己PR欄に小学校から大学まで一貫してバレーボールに打ち込んでいることを書いてあった。高校ではインターハイも出たことがある強豪校出身である。だが、大学では補欠として四年間を過ごしたことを悔やむ内容であった。コートに立てなかった分、社会人になったら悔しさをバネに人一倍頑張りたい――立派なキャリアウーマンになる、と力強く赤いマーカーでデカデカと書いてあったのが鮮烈に覚えている。



「あれからバレーはどうなったの?」


「……選手としては引退しましたが、今でも母校が出ると応援しに行ってますよ。大声出してストレス発散です! それと先輩から教わったトリの降臨お守り、後輩から人気ありますよー!」


 トリの降臨お守り。この辺には鳥越とりごえ神社があるものの、目の前の細い通りを超えた台東たいとう区にある。そもそも、鳥越神社にトリの降臨のお守りがあるとはわからないが、ステラグロウトイズがある千代田ちよだ区神田和泉いずみ町は神田明神みょうじん氏子うじこだ。どうやら宇佐美は何か勘違いしているようだ。そのおっちょこちょいさが、昔と相変わらずのようだ。


 鈴音は口に手をあてて、目を細めた。


「うちは鳥越神社じゃなくて、神田明神の氏子ですよ」


「えー、そんなぁ。うちの会社の守り神と思ったんだけどなぁ」


 宇佐美は豆鉄砲を喰らった顔を見せた。その顔を見て、鈴音もつられて笑ってしまった。


 なにもかも鈴音に憧れてマネる必要はない。宇佐美は宇佐美らしく、自分を大切にして社会人生活を迎えてほしいと思う鈴音であった。

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