告白相手を間違えたら、暴君からの寵愛が待っていました。
槙村まき
1.間違えた告白
「ずっと前からお慕いしていました。よろしければ私と結婚を前提にお付き合いしてください!」
告白。
それは貴族令嬢にとって叶うことのない憧れで、恋物語の中で行われる男女のやり取り。
そんな浮ついた言葉が、皇宮の中庭で響いた。
決して大きな声ではない。だけど、精いっぱい勇気を振り絞って口から出した言葉だから、目の前にいる人の耳にはきっと届いたはずだ。
緊張から高鳴る心臓の音が、身体の内側から耳まで響いてくる。
告白しておいてこんなこと言うのはどうかと思うけど、返答は期待していなかった。
やんわりと断られるか、もしかしたらあのひんやりとした青色の瞳でにらまれるか。そのどちらかもしれないと思っていた。
だから顔を上げずに、私はただ時が過ぎるのを待っていた。
それなのに――。
「――お慕いしていた、だと?」
響いた低音。それが予想と違っていることに、驚いて顔を上げて、私はすぐに後悔した。
漆黒の黒髪に、金色の瞳をした男がいた。
ひっと、喉奥で悲鳴を噛み殺す。いま悲鳴を上げれば、彼が携えている剣で喉を掻き切られるかもしれない。そういうことは平気でやってのける男だ。
金色の瞳。この帝国の象徴にして、この世界の何よりも尊い色。
アルコンスイエル帝国の、皇族である証。
金色の瞳の皇族は、現在この帝国にひとりしかいない。
アルベリクス・ドレ・アルコンスイエル。
目の前にいるこの人だ。
金色の瞳で私を睥睨した皇帝は、フッと口の端に笑みを刻んだ。
ひっ、とまた悲鳴が出そうになるのを堪える。
「ふ、おもしろい。いいだろう。私の、結婚を前提とした恋人にしてやろう」
な、な、なんでっ。
なんで――よりによって、間違えて陛下に告白してしまったの、私!
自分の愚かさと、いますぐ逃げだしたい気持ち、それから怖ろしい金色の瞳。
淑女の笑みを貼り付けた私は、
「あ、ありがとうございますー」
と、震えた声で答えることしかできなかった。
◇◆◇
その日、私は皇宮で開かれた舞踏会に参加していた。
アルコンスイエル帝国の建国祭の舞踏会。七日間毎夜に開催されるもので、帝国貴族のほとんどが参加することになっている。
一日目は主要な貴族が集められており、イヴェール伯爵家は帝国の建国からある歴史ある家系のひとつなので、私も参加していた。
両親とともに知り合いの貴族と挨拶を交わし、広間に流れる音楽が一段と明るくなったダンスの時間。
私はいつものように壁際で慎ましやかな花となっていた。
私――ラシェル・イヴェールとはそういう令嬢だ。
翡翠色の瞳に、茶色い髪はゆるやかに腰の下まで伸ばされている。
いつも淑やかに笑い、いつも大人しい。多くの貴族令嬢がそうであるように、私も淑女としてそうあるべきとして育てられてきた。
だから今日も大人しく慎ましやかな花となり、舞踏会の会場をそれとなく見回す。
そして、目的の人を見つけた瞬間、私の胸が高鳴った。
「……青薔薇様」
帝国騎士の正装――漆黒の騎士服を着た男性。
歳は二十代前半ほどで、細身に見えるけれどしっかりと鍛え上げられた肉体に、腰に佩いている鮮やかな青色の剣の柄、それからひんやりとして見える淡い青色の瞳。
それらが、彼の存在を示していた。
フェリシアン・ブルローズ。
ブルローズ公爵家の若き公爵にして、皇帝の右腕の騎士団長。
長く美しい金髪をひとつに結っているのが最初に目に止まるけれど、何よりも印象的な淡い青色の瞳は冷たく思え、それでも口許には穏やかな笑みが浮かべられている。
まだ独身であることから、多くの令嬢が彼の婚約者の座を狙っている。
私もひっそりだけれど、そんなフェリシアン様に憧れがあった。
彼を「青薔薇様」と称えるファンクラブに、両親に内緒でこっそりと入るほどには。
私はずっとこの気持ちを秘めてきた。あの日、助けてくれた時から。
ずっと秘めて、いつか忘れる。そんな想いのままで残しておこうと。
だけどこの日の私は、一大決心をしていた。
深呼吸をして、呼吸を整える。
それから、人の輪から外れて中庭に向かったフェリシアン様のあとをつけることにした。どうしても伝えたいことがあったから。
ダンスの時間が始まってから間もないからか、中庭に他の人は見当たらなかった。
おかげでフェリシアン様の姿はよく見えているのに、いくら足を速く動かしてもなかなか追いつけない。
それもそのはず、相手は鍛え抜かれた騎士で、私は趣味の乗馬がせいぜいのただの貴族令嬢なのだから。そう簡単に距離が縮まるはずがない。
それでも今日、伝えなければいけなかった。
今日は無理なら明日、とは言えない。今日じゃなければ意味がないのだ。
私は今日、彼に自分の想いを伝えることにしていた。
玉砕するのは目に見えているので、ただの想い出として。
ずっと、ずっと慕っていた人に、告白をしようと。
明日、私は親から決められた相手と婚約を結ぶことになっているから。
――そんな身勝手な考えを抱いてしまったから、罰があたったのかもしれない。
庭園の角を曲がったフェリシアン様を追いかけて曲がった先に見つけた人影。
やっと追いつけたことに安堵して、「あの」と声を上げて――。
追いかけるのに疲れていた私は、相手の顔をよく確認もせずに告白してしまったのだ。
『ずっと前からお慕いしてしていました。よろしければ私と結婚を前提にお付き合いしてください!』
――って。
「ああ、もう、すべてをやり直したい! どうして、間違えてしまうの!?」
しかもよりにもよって、間違えて告白した相手が暴君だなんて。
アルベリクス・ドレ・アルコンスイエル陛下。
アルコンスイエル帝国の皇帝である彼は、暴君と呼ばれている。
先代皇帝は貪欲で傲慢な性格をしていた。その所為かわからないけれど、子宝に恵まれず、皇子は一人しか産まれなかった。先代皇后も皇子を産んですぐに儚くなってしまい、その影響もあったのかもしれない。
唯一の皇子。皇位継承者。そうなるように育てられたはずの皇子を、先代皇帝はあろうことか戦場に送った。まだ十五歳のアルベリクス様を。その戦争ですら、先代皇帝が隣国に攻め入ろうと起こしたものだというのに。
だけどアルベリクス様は死ななかった。物心ついたころには剣を持ち、この国の元騎士団長を師に仰いでいた彼は、死なずに生き残り、三年間を戦場で過ごした。
そしてある出来事をきっかけに、先代皇帝の首を土産に隣国との戦争を終結させた。
それは五年前のことだった。当時十三歳だった私は、その話を父から聞いて、卒倒しそうになったのを憶えている。
現代皇帝――アルベリクス陛下は、人の情に流されることのない冷酷な性格をした、血も涙もない冷血な皇帝なのだ。
「それにしても、よく殺されなかったわね、私」
早朝。まだ使用人が部屋に入ってくる前。
私はベッドの上にお仰向けに寝転がって、天井に伸ばした自分の手の甲を見つめていた。
私の告白を受けた陛下は、私を結婚を前提にした恋人にしてやろうと言った。
そして私の手を取ると、契約の証だとでも言わんばかりに、手の甲に口づけを落としたのだ。
思い出して、ぶわっと全身が熱くなる。
陛下の前で緊張していてあの時はよくわからなかったけれど、私とんでもない状況になっているのではないだろうか。
それにあの後の記憶がほとんどない。
私はどうやって邸宅に帰ってきたんだろう。
「……そうだ。あれは、すべて夢だったのよ」
きっと婚約するのが嫌だった私の生み出した幻影で、告白なんてすべてなかったのだ。
つまり、私は陛下の恋人でも何でもない貴族令嬢で、今日は予定通り婚約をすることになる。
「……夢と、どっちのほうがマシなんだろう」
今日の婚約する相手のことを思うと、腕に鳥肌が立つ。
貴族令嬢の多くは、家のために親の決められた相手の婚約するのが普通だ。
だから幼いころから私もそうなるだろうと思っていた。
だけど、よりにもよってあの男だなんて。
十歳年上で、見目はいいけれど、いつも瞳の奥底に嫌な気配を漂わせていた男。私の名前を呼ぶ時やなめるように全身をその視線で見てくるたびに、怖気が震っていた。
ダンスの時なんて最悪だった。触れる指先からゾワゾワと鳥肌が立ち、腰に手を回された時なんて突き飛ばしたい衝動をずっと抑えていた。
婚約するとしても、こんな男だけは嫌だと、そう思っていた相手だったのに。
「……あの男に比べたら、まだ陛下の方がマシ……うーん」
生理的に受け付けない男と、この国一番の権力者でいつ私に剣を向けてきてもおかしくない男。
――どっちがマシかなんてわからないけれど、少なくとも陛下に手を取られたとき、鳥肌は立たなかった。
「いや、でも、あれは夢だから」
そうこうしていると、部屋の外からバタバタとうるさい足音が聞こえてきた。いくら使用人だとしても、こんなに足音を立てる人が伯爵邸にいるだろうかと、私が体を起こしたのと、扉が勢いよく開いたのは同時だった。
「ラシェル!」
「お父様!? レディーの部屋に入るのにノックをしないなんて! いますぐ出て行って!」
「そんなことよりも、おまえどうしたんだ?」
イヴェール家は穏やかな家系だ。私もそうで、父もそうだったはず。
それなのに今朝の父は、やけに取り乱している様子だった。
顔は怒りというよりも、青ざめている。
なにかが起こったのは間違いない。
ノックもしないで部屋に入ってきたことに対して咎めるよりも、そんな父の様子に私は嫌な予感がしていた。
「どうしたの?」
訊ねると、父は震える口許から、信じられない言葉を紡いだ。
「――い、いま、家に……陛下が、来訪されているんだ」
「っ、陛下が!?」
「それも、おまえを婚約者に迎えるとかなんとか。い、いったい、何があったんだ、ラシェル」
私はすぐに悟った。
どうやら昨日の出来事は、夢ではなかったらしい。
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