天宮城堂のあやかし話

さいだー

大天狗

 天宮城寺修うぶしろしゅうは真夜中に目を覚ました。


 それは生理現象────腹痛によるものであって、修にとって意図した目覚めではなかった。


 修は用を足すべく体を起こすと、カーテンも閉めずに眠ってしまっていた事に気がついた。窓から街灯の明かりが注ぎ込んでいた。


 意図せずに眠り込んでしまったのは叔父さんにこき使われたせいだと、少し鬱屈とした気持を覚えるも、迫りくる腹痛にそれどころではないとすぐに部屋を飛び出す事にする。


 古い日本家屋。畳の上だと言うのに一歩踏み出せば所々ギシギシと床音がなる。普段なら気を使って音が鳴らない場所を歩く所だが、叔父に仕返しのつもりで、敢えて床を軋ませながら歩き、引き戸の前に立つ。そして修は一気に引き戸を引いた。


 そこで修の足は止まる。


 廊下に出て左に曲がり、真っ直ぐに進めばトイレだ。軋みを気にせずに早歩きで歩けば三十秒とかからない。


 そうだというのに、修はそこでピタリと足を停めたのだ。


 ────なぜなら、そこには天狗が立っていたのだ。

 比喩表現なんかではない。

 燃えるような真っ赤な皮膚に人の物とは思えない高い鼻。


 そして、山伏のような白装束。頭には烏帽子えぼしのような黒い物がちょこんと乗っていて、極めつけに正面から見ても分かる、猛禽類のような立派な羽根が背中から二枚、生えている。


 修はそんな天狗を知らないふりをして、見なかった事にして、引き戸の反対側を開き直し、天狗の横を通り抜けようとしていた。


 すると、天狗はカラリと足音を無らしながら一歩進み出て修の背後から肩をガッシリと掴んだ。


「おい、修。この大天狗様をシカトしようなんて、いい度胸をしておるではないか」


 修は天狗の呼びかけに、振り返らずに答えた。


「急いでんだ。人には大事な物があんだよ。尊厳とか、品格とかよ。人外のお前には分からないだろうけどな」


「承知しておるぞ。これからかわやに向かうのであろう?なにせ、その腹痛は我が仕組んだのだからな」


 そんな天狗のセリフを聞いた修は明らかにイラついたような表情を見せた。


「おまえがやったのかよ!神通力はあんまり多用するなって言ったよな!?勝手に人の家の中に侵入してきてんだから、変な所に気を使わないで、直接声をかけて起こせばいいだろ」


「なーに案ずる事はない。それが我の気づかいだ。変に起こすと修はとても機嫌が悪くなるではないか」


「あーもう。めんどせーなこいつ」


 修はイラついた樣子で頭をボリボリとかくと続けて言った。


「もう腹のほうが限界だから、手を離してくれ。俺の前に姿を見せたって事は、なにか用事があるんだろう?用を足した後だったら聞いてやるから、ちょっと待ってろ」


「うむ」


 修の返事に納得したのか、天狗は一つ頷くと修の肩から手を離した。


 修は左耳に付いている羽飾りをフワリと揺らしながら、一目散にトイレに駆け込んで行った。


「あいも変わらず可愛い奴だ。戻って来る迄に茶の湯でも用意してやろう」



 ──────────────────────


 修がトイレから部屋に戻ると、天狗は一人ローテーブルの前に腰を下ろしていた。


 そのローテーブルには湯呑みが二つ置かれていて、天井に向かいユラユラと湯気が立ち昇っている。


 三月の後半。昼は暖かくなりつつもまだまだ夜は冷える。とてもありがたいと修はそう思った。


 修は天狗の正面に腰を下ろすと、すぐさまに口を開いた。


「で、何の用だ。言いたい文句は山ほどあるけどよ。先にそっちの用件を聞いてやろうじゃないか」


 いいながら修は壁掛け時計をちらりと盗み見て時間を確認した。二時五分。丑三つ刻だと妖怪なんかも活発になるのだろうか?なんて考えていたら間髪入れず天狗は口を開いた。


「まあ、妖怪、妖魔、幽霊と呼ばれる類の物が活発に活動する刻ではあるな。大天狗たる、神である我には関係がないがな」


「ナチュラルに人の心を読むな。本当に神通力ってのは厄介だよな。まったく」


 神通力。天狗が持っていると言われる特殊能力。

 人の心を読み、操り、上位の天狗になれば森羅万象すらも操ると言われている。修が言う通り、敵に回したのなら、この上なく厄介な能力だろう。敵ならば……


「して、今回、修の元を訪れたのは、友人を助けてあげて欲しいのじゃ」


「お前の友人?烏天狗とか木の葉天狗とかそういう類の天狗関係か?」


「我は天狗の頂点。有象無象の天狗なんぞとは友人関係たりえないわ」


 自称大天狗は、気持ち鼻を高く持ち上げるようにしながらそう言った。天狗にも序列があるんだな。人間とそう大差ないなと修は思った。


「だったらお前の友人はなんだよ?」


「うむ。ここから百里ほど離れた所に近野川と言う川が流れておるのだがな。そこに我が神になる以前、はるか昔から奴はそこに暮らしておるのじゃ」


 修は天狗に見えないように足元でスマホを操作して近野川と検索をすると、東北のとある県と画面に表示される。

 百里と聞いて嫌な予感はしていた修は思わず顔を引きつらせた。


「それ、俺が行かなきゃならないわけ?」


「我は地主の神故、この場を離れる訳には行かぬからのー」


「だったら、臣一しんいち叔父さんでも────」


「ならぬ。臣一は天宮城堂うぶしろどうの店主として忙しいからの。となれば、覚醒していないとしても他に妖力を保持しているのはお主、修だけじゃ」


 中学の卒業式を終えて、叔父から与えられた仕事も終えてやっと一息つけると思っていた修はバラバラに砕け散りそうな思いだった。実際、心はガラガラと音を立てて崩壊を始める寸前だった。


 天狗はそんな修の心なんて神通力でお見通しと、少し口元を歪ませると口を開いた。


「そう落ち込む事もない。この事案を引き受けてくれるのならば、良い出会いがあるだろう。とびっきりのべっぴんさんとな」


「騙されねえぞ。どうせ、妖怪、怪異、そういう類の美人だろ?」


 修は訝しんだ視線を天狗に向ける。実際、過去に同じような殺し文句でだまされた事があるからだ。

 あの時は人魚だった。

 確かに美人ではあったが、人魚は陸に上がれば泡となり消えてしまう。

 そうではなくても怪異的な存在である人魚と恋仲になれるとは修は微塵も思ってはいなかったが。


「案ずるな。今回に限っては……お主の物差しで計るとするならば人じゃ。それも修。お前と同年代のオナゴじゃ。それもたいそうなべっぴんさんじゃぞ」


 この天狗をどこまで信じていいものか、しかし、それと同時に断ることはできないのだとも理解はしていた。

 天狗がその気になれば、神通力を使って修の事を操るのは容易いことだと分かっているのだ。

 修に判断を委ねる。これは天狗なりの最大の配慮だったのだ。


「絶対に本当だろうな?」


「うむ。我のお墨付きじゃ」


「しょうがねえな。受けてやるよ。で、その友達ってのはどんな妖怪なんだ?」


「聞いて驚くでないぞ。世にも珍しき、河童と呼ばれている妖怪じゃ」

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