ユーカリの隣で歌う

かとりぃぬ

思い出は、あなたの隣に

ノートに単語を書く。

しっくりこなくて、そのままグルグルと書き消す。

何度目かのこの行為のせいで、ノートは黒いグルグルだらけだ。

どうしたものか…と思い、お気に入りのカフェのいつものアイスカフェオレを飲みながら窓の外を眺めた。イヤホンからはデモ楽曲がループで流れている。頭に思い浮かぶ言葉たちは、どれもこの曲に相応しい言葉ではない気がする。そうしていくうちに、ただただ時間は過ぎていく。


事の始まりは、2年前に受けたオーディションだ。

当時、芸能界に入りたい一心で様々なオーディションを受けていた俺は、とある大手事務所のアイドル発掘オーディションを受けた。審査方法は書類審査を通過した人たちが審査員の前で質疑応答、ダンス、そして課題曲に合わせて自分で作詞したものを歌唱することだった。

オーディションはそれまで何度も受けていたが、慣れることはなかった。

緊張しながら課題曲の歌唱が終えると

「これ、キミが本当に一から考えたの?」

と審査員の中で、一際目をひく美しい顔立ちの人物に質問された。座っていても分かるスタイルの良さと、クールでどこか儚くて、掴み所のない雰囲気があった。その人物が芸能人であることは、誰の紹介もなくとも分かってしまった。

「そうです…けど」

「ふぅん」

そうして手元にある資料と俺を見比べたあと、その人物は横に座っている審査員に向かって

「社長、俺この子と二人でアイドルするね。いいでしょ?」

と言った。

思わず「えっ」と声が漏れる。

雨芽あめくんの相方を決めるオーディションだからね。君が一緒にやっていきたいというなら、僕からはなにもないよ。」

と、社長と呼ばれた男は太陽のようなニコニコ笑顔で回答した。

「え…」

とんでもない美貌の審査員の横が社長だったことにも、その人物がこの横暴な宣言に特に反論もしなかったことにも驚いた。

「ということだから」

というと、美しい審査員を立ち上がり

「これからよろしくね。海斗かいとくん」

と俺に握手を求めた。

そのまま訳も分からず握手をしてしまった。

これが全ての始まりだった。


そうして始まった俺のアイドル生活は、波瀾万丈となるかと思いきや意外とトントン拍子だった。相方の雨芽あめの恵まれたスタイルと容姿、隣に立つ初々しい俺の姿とのギャップ、大手事務所が長年培ってきたブレイクさせる術、そしてなにより毎回楽曲に恵まれていた。

デビューシングルがまず若者の間でヒットし、それがきっかけでセカンドシングルも地上波の歌番組で披露できるぐらいには売れ行きも好調で注目もされていた。

そして次はミニアルバムを出そうかとなったときの企画会議で雨芽あめが「作詞をしてみないか」と持ちかけてきた。作詞をするのはオーディション以来ではあったが、あのときの作業は楽しかったし、このユニットにとって貢献できることがあるというのが嬉しかった。だからアルバム収録曲の中で一曲だけを作詞することを引き受けた。オーディションのときはサビ部分のみの作詞だったため分からなかったのだが、一曲分の作詞はとてつもなく大変だった。大変すぎたあまり、一週間朝から晩まで歌詞のことで頭がいっぱいで若干不眠症に足を突っ込みかけた。そうして向かえた締切日の近いある日、その日は一晩中雨が降ってた。夜明けになっても止む様子のない雨だったが、それでも空がだんだんと曇り空のままでも明るくなっていくことに気がついた。それが俺に寄り添ってくれている気がして”これ”を書きたいと思えた。

そうして作った歌詞を雨芽あめに見せた。

雨芽あめは泣いた。

一緒に活動をしていて、初めて泣き顔を見た。

なんでも見透かしてしまいそうな綺麗な瞳から、ぼたぼたと涙がこぼれていた。

一通り目を通すと「お疲れさま。すごくいいよ。歌うのが楽しみだ。」とだけ言ってくれて、それで俺の苦労は全てチャラになった気がした。

そうして発売されたアルバムは売れ行きも良く、ファンの間だけではあったが俺の初作詞楽曲はそこそこ話題にもなった。

次のシングルではカップリング曲の作詞を依頼された。

もうあんな苦しい思いは勘弁だと思ったが、雨芽あめから「楽しみにしてる」と微笑まれた。笑っている雨芽あめの顔を見て、初めて泣いた雨芽あめの姿が思い出されて、ぐぬぬ…と歯をくいしばり引き受けてしまった。既に分かっていたことではあったが、この時に俺の芸能人生は一生この男に振り回させるのだろうと本格的に諦めた。


そして今回ついに表題曲の作詞を担当することになった。

しかし、問題が発生する。

歌詞が書けない。

全く書けない。

全然歌詞が思いつかない。

もう完全に行き詰まってしまった。

これは何か別の刺激が必要だと思い、お気に入りのカフェでの作詞活動を試みた。

結果は冒頭のとおり、進捗はゼロである。

ため息をつきながら歌声のないデモ楽曲を聞く。せめて作曲家に会えれば違うのだろうかとぼんやり考える。


俺たちはデビューシングルから”有加利樹”という人が作曲したものを歌ってきた。

ただこの作曲者は新曲の打ち合わせにもレコーディングにもライブに招待しても姿を表さない。

本当に毎回良い楽曲を提供してくださるから、どんなイメージで作った曲なのか、なにがきっかけで生まれた曲なのか、どんな風に歌ってほしいのかと聞きたいことは山積みなのだが未だに解消されたこともない。マネージャーに聞いても「こういう方もたまにいらっしゃいますよ」と言われ、雨芽あめに会ってみたいよなと賛同を求めれば「仕方無いよ」と濁される。

二人ともあまり触れてほしくなさそうにも感じた。

スマホの時計を確認すると次の仕事場へ向かう時間となっていた。

進捗ゼロって言ったら雨芽あめに怒られるかな…と思いつつカフェから出た。


向かった先はレコーディングスタジオだ。

今日は今回発売するシングルのカップリング曲のレコーディングをする。

今は雨芽あめのレコーディング中だ。

相変わらず歌もうまくて、こいつに欠点はないのかと羨ましくなる。

しかし当人はいつもどおりレコーディングには人一倍ストイックで、ワンフレーズ歌い終えると音響スタッフからOKが出ても「すいません、もう一度お願いします」と言って、納得がいくまで録り直す。こういう時は俺にできることはないため、ブース外のソファに座って雨芽あめの様子を見ながらレコーディングが終わるのを待つしかない。何気なく周りを見渡したが、今回も作曲者はいないようだった。するとマネージャーと目があってしまった。

そのままマネージャーが俺の隣に来て

「作詞のほう、どうですか?」

と聞いてきた。

「佐々木さん、俺ダメかも…。全然書けない。」

「あらあら」

「言葉はでてくるんだけど、どれもしっくりこなくて…締め切りも近いし…」

はぁ…と特大の溜め息をついた。

「そんなに思い悩まなくていいですよ。また不眠症に片足突っ込みますよ。」

「それは、イヤだぁああ」

「それに、どんな歌詞でも海斗かいとくんが書いてくれたものなら、雨芽あめくんは喜んで歌うと思いますよ」

「それは分かってるんだけどさ」

2年間活動を共にしてきて、雨芽あめとの信頼関係もできているし、雨芽あめが案外俺のことを気に入ってくれていることも分かっているのでその辺の心配は全くなかった。

「ねぇ佐々木さん、どうしても作曲家に会えない?作詞の参考に色々聞きたいんだけど。」

「前にも言ったとおり…」

「ダメ。今回は本当に会いたい。なんとか!お願いします!!一生のお願い!!」

そう食い下がると佐々木さんは、とても悩んでいた。

「僕からは話せないことになってるんです。」

「なにそれ」

雨芽あめくんが、いずれ海斗かいとくんには自分から話すと言っていたので。」

「は?どういうこと?」

「でも、もう聞いてもいい頃合いだと僕は思ってます。僕から雨芽あめくんに伝えておくので、お互いのタイミングで聞いてください。」

「…わかった。」

そこからのレコーディングが終わるまでの時間は、とてつもなく長く感じられた。

ただずっと、雨芽あめの歌う姿をぼんやり眺めていた。


レコーディングが終わり、今は雨芽あめの車でドライブをしている。

あっちから帰り際に「これからドライブいかない?」と誘ってきた。

音楽もかかっておらず、特に会話もない車内で、俺は助手席から外の景色をまたぼんやりと眺めていた。

「ねぇ。どこに向かってるの?」

「海だよ。俺らの作曲家も夜のドライブで行く海が好きだったんだ。」

「えっ、作曲家と知り合いなの?」

思わず運転席に顔を向けた。

「ふふっ…知り合いもなにも。」

目の前の信号が赤になった。

車が停止線で止まる。

そして雨芽あめが俺のほうを見て

「俺とデビューする予定だった相方だよ。もういないけどね。」

と言った。すぐに青信号に変わって車がまた発進した。


俺らの楽曲の作曲者であり、雨芽あめと一緒にデビューする予定だった人物は心雲みくもというらしい。雨芽あめの幼馴染みだそうだ。

心雲みくもは小さいときからピアノを習っていて、父親の影響でギターも弾いていた。

雨芽あめが音楽を好きになったのも心雲みくものおかげとのことだった。

そのうち遊びの延長で二人で楽曲製作をするようになったという。

心雲みくもはいい男だったよ。感情の器が人の何倍も大きくて、深くて…魅力的な男だった。だからだろうな、あいつの作る音楽はあの年齢にして完成されていた。」

雨芽あめが苦しそうに言っていた。

そしていつからか二人は、一緒に音楽をしながら生きていきたいと考えるようになったという。

今の事務所に二人で履歴書と作成楽曲を送った。それが今の社長の目に止まりデビューが決まる。

しかし、デビューの準備に取りかかっているときに、心雲みくもに病気が分かった。

デビューは一旦保留となり、心雲みくもは病気治療に専念した。しかし、若い体を病魔が蝕むのはとても早く1年も経たずあっという間に亡くなってしまったそうだ。

そこから1年ほど雨芽あめは塞ぎ込んだが、家族や社長の支えもあり心雲みくもと目指した音楽と生きる道を再び歩き始めることにした。そのときに新たに仲間探しをするために社長が開催してくれたオーディションにやってきたのが俺だったという訳である。

「あの課題曲、実は最初の4小節だけ歌詞があったんだ。でもそれを伏せて作詞課題を出したんだよ。偶然だと思うけどね、海斗かいとがその4小説と全く同じ歌詞を作ってきたんだ。

偶然でも、たまたまでも、この曲をきいて心雲みくもと同じ歌詞を書く感性を持っている海斗かいととやってみたいと思ったんだよ」

そんなことは全く知らなかったので本当に驚いて言葉が出なかった。


海について車を適当なところに停めると、二人で海辺を散歩した。

もうすぐ夜が明けそうな薄暗い浜辺を歩きながら、ふと気になったことを聞いた。

「なんで、作曲者名は”アリカ トシキ”なの?」

「ははっ。あれは”ユーカリノキ”って読むんだよ」

「ユーカリノキ?」

「そう、あのコアラとかが食べるユーカリ。あれの和名があの漢字なの。」

「へぇ~」

「ユーカリって"思い出”、”記憶”って意味があるんだってさ。

もう最後のほうかな、心雲みくもとここに来たんだよ。

二人で海眺めながら歩いたり、近くのコンビニで買ったおにぎり食べたりしながらさ色々話したんだ。

そのとき心雲みくも

『たぶんさ、俺が死んだら皆悲しんでくれるとは思うんだけど、だんだん忘れていくと思うんだよね。雨芽あめもだよ。雨芽あめもきっと、ちょっとずつ忘れていく。

それはいいんだよ。それが生きるってことだからさ。

でも、音楽って作った人が死んでも正確に残るものの一つだと思うんだよね。

だから音楽って良いんだよ。俺はそういう音楽、沢山遺していきたい。』

って言ってたんだよね。

だったらお前が死んだあとも、俺にお前の曲歌わせてくれってお願いしたんだよね。

それと、そのときは作曲者名出していいか?ってのも聞いたんだよ。

そしたら、死んだのに本名出るのは恥ずかしいとか訳の分からないことをあいつが言って、仕方無いから作曲者名を決めるためにその場で二人で花言葉なんて調べちゃったりしてさ。

それで決まったのが”有加利樹”。まぁ、読み方は自由でいいって言ってたんだけどね。

はぁ…。ここまで話したのは海斗かいとが初めてだよ」

そう言ってちょっと泣きそうな顔をしながら雨芽あめは微笑んでいた。


しばらくすると朝日が水平線から姿を表した。

「どう?歌詞書けそう?」

「うん。もう大丈夫。書けるよ。」

「そう。良かった」

また、雨芽あめは穏やかに微笑んでいた。


家に帰った俺はそのまま作詞活動を始めた。

イヤホンからはデモ楽曲がループで流れている。

ノートに書き出される言葉たちにもう迷いはなかった。

そうして俺が作詞をしたシングルが、遂に発売された。

今回は俺が作詞をしたということと発売戦略もあいまって爆発的なヒットとなり、この曲が俺たちユニットの代表曲にもなろうとしていた。


そのシングルを引っ提げて行われたライブでは、アンコール前の最後にその曲を歌った。

歌い終えるとファンの歓声がいつもと違うことを感じた。

不思議に思い、横を見た。

雨芽あめが泣いていた。

泣き顔をファンに見せないように腕で隠しながら、声を殺して泣いていた。

ファンも初めて見る姿だった。

咄嗟に雨芽あめの隣に立って肩を抱いた。

締めの言葉は雨芽あめの担当だったが、言えそうな雰囲気では無かった。

雨芽あめは感動しすぎて、こんなだけど…正直俺も泣きそうです。こんな俺たちだけど、これからも応援してください。

ファンの皆の中に残るものをこれからも届けていくから。

今日は本当にありがとうございました!」

そう変わりに挨拶をして、ステージからはけた。


舞台袖にはけた瞬間、雨芽あめが俺に抱きついてきた。

それを受け止めた。

しばらくしてもなにも語ってこないので、仕方無く背中を何度か優しくさすると雨芽あめ

「ここまで一緒に来てくれて、連れてきてくれてありがとう。」

と耳元で言ってきた。

「おう」

とだけ返事して、また背中を撫でた。

雨芽あめって…案外泣き虫だよな。」

「なっ!」

「お、やっと顔あげた。」

やっと見えた雨芽あめの顔は涙でグシャグシャなのに、やはり美しいままだった。

「ほらもう泣き止めよ。」

ステージからファン達のアンコールの声が聞こえてくる。

その声は確実にいつもより大きいものだった。

「あーあ、ファンをこんな心配させてる。ほら、準備して、アンコールいくぞ!」

そういって雨芽あめの背中を一発叩いた。

これからも雨芽あめに振り回されるであろう芸能人生を、悪くはないかもと思った瞬間だった。

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