第3話 主人公、神の声を聞きがち
両腕に吸い付き離れようとしない
そしてジリジリと迫るレインコートの男。実は無関係な通行人というオチはなさそうで、フードの奥の目は苦しむカナタの様子を愉悦と共に観察しているように思えた。
アゲハが今から警察を呼んだとて到着にいったい何分かかる?ただの警官にこの化け物たちを制圧できるのだろうか。美少女ヴァンパイア・ハンターが颯爽と現れて、自分を救ってくれる可能性に賭けた方がマシなんじゃないのか。
それでもこの時点でカナタも心は満たされていた。
得体のしれない怪物との邂逅。彼の知る世界はその土台から崩れ去った。自分の知らない何かがこの世にはある、そのことを知られただけで満足だった。このままここでモブとして人生を終えたとしても、運よくこれから続く物語の主人公になったとしても、そこに大きな差はない。当たり前の今日に当たり前の明日が続く。この日常という無限の牢獄の中で一生を終える人間がほとんどだ。自分はそうじゃなかった。
そして、何より自分の行動で一人の人間の運命を変えることができたのだ。
ありきたりとは程遠いが、影の主人公くらいにはなれたのかもしれない。
そんな高揚感をすべて台無しにしたのは、カナタが救いたかったはずの、たった一人の悪友の愚かな行為だった。
「大丈夫? 今、助けるからね」
アゲハはカナタの元に駆け寄り、腕に張り付いた
『でもさ、本当に相手が吸血鬼なら絶対に勝てないよね』、これは一体誰の発言だったか。いるんだよな、肝心な時に限って合理的判断ができない奴って。勇気と無謀さをはき違えるなよ。確定で二人とも殺されます。俺が読者だったら、こんなシーン見てられないね。嗚呼カナタ君の覚悟は無意味になったね。無駄死にだ。犬死にだ。自己責任。これで助かったらご都合主義。RIP、RIP、RIP。なんてな。最後にただ一つ。いざ当事者になってしまえばさ、こういうときって、ただただ嬉しいものなんだなって、今分かったよ。
ここまで0.8秒間。そして、カナタは悪友を笑顔で迎えた。
レインコートの男の両袖から1匹づつ、
冷静になって観察するとわかる、地面に滴る水はコートの内側、つまりおそらく男の体から漏れ出ているのだ。
「体の中にナツメウナギを飼っているのか?」
さて、これでただ大人しく殺されるわけにはいかなくなった。全員生存は自己犠牲よりもハードルがずっと高い。
「何かいい作戦ある?」
「キミと違ってアタシは今目の前で起こっていることを現実として受け止められる気がしてないんだよね。がんばれ」
運動神経抜群のアゲハでも女子の筋肉量では太刀打ちは出来ないようで、ぺちぺちと平手で叩くのが精いっぱいの様子。
新たに現れた地を這う
「きゃっ」
「ヤバいくらい吸われるから、お腹に力入れて気合で耐えるんだ」
「そういう説明とかいらない」
アゲハは両の太ももあたりを手で押さえている。
カナタはスカートの端から飛び出した
「よし、最終手段だ。このまま死んだふりをしよう」
「バカ、もう頭に血が回ってないのか」
「俺は冷静だぞ。噂じゃ被害者は病院に運ばれたって話だろ。なんだか大事なものが吸われてる気がするけど命までは奪われない、かもしれない」
そこまで言って、地面に倒れ伏せるカナタ。死んだふりなどしなくとも、もう立っているのも限界だった。
すると最初に彼方に噛みついた
「へへへ、腹いっぱいになったか」
一筋の光明が差した気がした。アゲハも両足から急激に力が失われていくのを感じているようだ。もう、このままと倒れてしまおうか、そう言いたげな苦しそうな表情である。
しかし、絶望は終わらない。
眷属を再び体の中に受け入れたレインコートの男、その両手両足の袖から、ボトボトボトと小さなヤツメウナギたちが何十匹も飛び出してきたのだ。
それらは四方八方、住宅街の中へと消えていく。
「どうしよう。ダメみたい……」
瞳をのぞき込むアゲハの表情、それがカナタの見た最後の光景だった。
◇
「カナタ……カナタ……聞こえますか?」
「ん、誰だ」
真っ白な光に包まれた世界に、優しげな女性の声が響く。
「私のことは女神さまと呼びなさい。最善にして最良の恋人であり、妻であり、母である。グレートマザー、高貴なる天の女王、美と豊穣のプロトタイプ。私を讃えよ」
「すご」
そこまで言われると、一体どんな顔をしているのか気になるが、光の中にうっすら影のようなものが見えるだけで、顔どころか輪郭もはっきりとしない。
「さて、古き盟約に基づき汝に聖乙女選定の力を授ける」
「やっぱ、そういうの貰えるんですね。俺ってやっぱり主人公だったんですか?」
「大罪の魔女どもを打ち倒すべし」
「あ、対話はしないタイプですか」
「カナタよ、お前は光の勢力の代表者である。私を失望させるなよ」
再び視界が歪む。その声も、会話も遠い昔の記憶のようにあやふやになる。
もしかしたらそれは、カナタの願望が生んだ妄想だたのかもしれない。
◇
「俺、どれくらい寝てた!?」
「さ…三秒くらい?」
カナタは跳ねるようにして起き上がった。
「やっぱ俺、主人公だった。願えば叶う、人生はイージーモードだった」
「そう……よかった」
アゲハはかすかに微笑み、そして気を失った。
カナタは慌ててその体を受け止める。
「大丈夫だよな、気を失ってるだけだよな」
動かなくなった少女を抱く少年は震えていた。
「調子に乗ってる俺にちゃんとツッコんでくれないと困るぞ」
食事を終えた
カナタは反射的に災厄の大元に向かって左手を掲げた。
「消え去れ!」
何も起こらない。
「爆ぜろ!……波動拳!!……ロケットパーーンチ!!……ビッグバーーーーン・アタアアアアアック!!!」
ダメだ。何も起こらない。くそう、あの女神が何を言ってたのか思い出せない。大切な事なら2回言うべきだろ。俺には力があるはずだ、あの吸血鬼を倒し、この街の人々を救う。俺に何かをさせたいなら、きっちりと説明をしろよな。
レインコートの男はもはやこちらを見ていない。まるで魂がどこかに抜け出したかのようだ。
眷属たちを操っているのか? 住宅街に広がったヤツメウナギたちが人々を襲い、そうして吸い取った生命エネルギーだか何だかを使って奴は拡大再生産を繰り返す。俺にコイツを止めさせたいんじゃないのか、女神様よぉ。
切羽詰まりカナタはアゲハの手を強く握りしめた。
その瞬間。
アゲハの体が光の球に包まれ、その場で浮き上がる。次の瞬間、彼女は見たこともない壮麗な鎧を身にまとった勇ましい姿で再び目の前にたたずむのだった。
「アゲハ……お前……」
「あとは、アタシに任せて」
少女はすっかり元気を取り戻した様子で、自信に満ちた表情でカナタにウィンクを送る。
敵に向かて駆け出すアゲハの手に何もない空間から槍が現れる。
跳躍――そして頭上から一閃、脳天めがけて槍を突き刺す
「
穂先から蒼白い電光が放たれ、レインコート男を体を灼く。
はじける火花とともに男の体は燃え上がり、黒い塊へと姿を変え、やがて朽ちて灰となって消え去った。
「聖乙女ってのに選ばれちゃったみたい。女神さまが一から十まで教えてくれたよ。質疑応答の時間も用意してくれたから、ばっちり理解できた。うんうん」
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