アサクラサクラン

如月姫蝶

アサクラサクラン

「犯人は、あのアイドルのせいで健康になったなどと供述しており——」




 心臓発作って、死ぬほど痛いんじゃないか、なんなら、痛くて死んじゃうまであると思ってた。

 でも、あたしの場合は、痛みなんて全然なくて、ただふっと気を失って、気がついたら病院のベッドの上だった。

 それもなぜか、心療内科に入院させられていたのだ。謎だ。


「しっかり治して、さっさと退院してくれないと困るよ。お母ちゃんは、そうそう仕事を休むわけにもいかないんだから」

 ベッドの傍らのパイプ椅子で、あたしの三倍の体重の女が、ぐちぐちと言った。

「まさか、小学校高学年にもなった娘に、食事は自力でなんとかしろって言っただけで、こんなことになるなんて、思わないじゃない……」

 ぐちぐち言うだけでは気がすまないらしくて、べそべそと泣き出した。


 言わせてもらうけど、あたしは、自分の食事を自分で用意してただけじゃないから。

 お母ちゃんが昼と夜の仕事を掛け持ちするようになって以来、掃除と洗濯もやらされてたよね!?




 さすがだ。心療内科の治療ってのは、わけがわからない。

 入院から三日後、あたしは、相変わらずベッドで安静にするだけじゃなくて、「健康になったらやりたいことリスト」を記入するようにと主治医に言われて、鼻と上唇で鉛筆を挟んでいた。


「健康になったら」も何も、あたしは元々健康なわけだが? ただ、たまたま、三日前に心臓発作を起こして死にかけたというだけで……

 こうしている今も、心電図のモニターの音が、棒読みの小鳥みたいでうるさい。

 あと、点滴を刺されているのも鬱陶しいんだけど、そのおかげで食事をせずにすむ。世の中、食事よりめんどくさいことなんてないよね。


 空白のリストを眺めるうちに、一つだけ思いついたことがあった。

 それこそ、「健康になったら」も何も、子供のころからずっと持ち続けてる、夢、あこがれ……


 あたし、アイドルになりたい!


 小さなころ、あたしも、お母ちゃんも、お父ちゃんも、日曜の朝は家にいた。

 あたしは、魔法少女がアイドルを目指す、テレビのアニメに夢中で、ヒロインになりきって歌って踊っていた。

 あのころは、お母ちゃんもお父ちゃんも、あたしを見て、手を叩いて喜んでくれた。

 だから、そのアニメを卒業した後も、あたしは、アイドルを目指し続けた。


 アイドルになるために一番大切なこと——それは、痩せ続けることだ!


 女子が集まれば話してたもん、「二十キロの大台に乗ったら人生詰むよねー」なんて……


 でも、あたしより勉強のできる子が脱落した。


 お金持ちのお嬢様も、澄ました顔していなくなった。


 だけど、あたしだけは、ちゃんと努力を続けたんだ……




「さくら、具合はどう?」

 お母ちゃんが、見舞いに来た。

「おう、どうだ?」

 あたしは、びっくりした。お父ちゃんまで、病室に入ってきたからだ。

 仕事を探しに行くか、パチンコか、競馬——それが、お父ちゃんの全てだと思っていたのに!

「いやぁ、今日は、アイドルのミニコンサートがあるんだろ? せっかくだから見物に来たんだ」

 お父ちゃんは、たちまち鼻の下を伸ばした。


 アイドルなんて、頭おかしい!——急に怒りが込み上げてきた。

 なんで、のこのこ心療内科でミニコンサートなんてやんの? あたしはいいけど、死ぬほど辛くて入院してる人だっているだろうに!


 美少女のアイドルが、主演映画の撮影に、この病院を使った。

 実は、そのアイドルは、ここの院長の姪らしい。

 協力のお礼と映画の宣伝だとかで、病院のあちこちで歌って回るというのだ。


浅倉あさくらさん、主治医の許可が下りたわ。車椅子でなら、ホールへ出て、ミニコンサートを見てもいいって!」

 看護師が笑顔で現れた。

「知らない! 行かない! ほっといて!」

 あたしは、リストと鉛筆を投げつけた。

「ちょっと、さくら! 何すんの! あんた、アイドルに憧れてるんじゃなかったの?」

 お母ちゃんは困っていた。何もわかってないからだ!


「俺は、見てくるわ」

 お父ちゃんは、さっさと出て行った。


……アイドルってすごい。あたしの病室は四人部屋なのに、他の患者はとっくにホールに行って、お父ちゃんまで出て行ったから、看護師に謝り倒してからパイプ椅子に座り込んだお母ちゃんとあたし以外、誰もいなくなった。

 お母ちゃんは、もう、何も言わなかった……




 それから、どのくらいの時間がたったろう……

 コンコンと、誰かが、外から病室のドアをノックしたのだ。


「浅倉さくらちゃん、ね?

 拒食症なら、わたしもやらかした。

 けれど、病気を着飾っているうちは、アイドルとして咲くことなんてできないから、絶対に」


 低く、よく通る声だった。

 間違いない。あのアイドルの声だ!

 そしてドアが開かれたが、そこに立っていたのは、お父ちゃんただ一人だった。


「いやあ、本物のアイドルって、いいこと言うよな! 見た目も、細いけど、ちゃんと出るとこは出ててさー、女はやっぱりああじゃないと! さくらみたいに、骨と皮だけじゃダメなんだよー!」

 お父ちゃんは、ホクホクとご機嫌だった。


 あたしにもわかった。ミニコンサートを終えて退場しようとしたアイドルに、お父ちゃんが頼み込んで、たった今のセリフを言わせたに違いない。


 あたしのことなんて、何も知らないくせに!

 あんただって、映画の中では、病気で死んじゃうくせに!


「呪ってやる……」


 あたしは、ベッドから飛び降りようとした。

 今すぐ走って追いかければ、あのアイドルに追いつけるかもしれない。

 だけど、たちまちクラクラとめまいがして、ベッドに倒れ込んでしまった。

 心電図のモニターの小鳥が、棒読みをやめて、ひどくうるさく囀り始めた。


 あたしは、思い知った。

 今の体重のままでは、いつまた心臓発作を起こして、死んでしまうかもしれないって主治医に言われても、信じてなかったけど……

 今のままでは、あのアイドルの背中を追うことすらできないのだ。

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