ヒトニアラザルモノ

異端者

『ヒトニアラザルモノ』本文

 空には赤い月が輝いていた。

 足を動かすと、じゃりじゃりとした砂の感触があった。

 海岸沿いのクロマツの林。

 私はその中を淡々と歩いていた。特に行き先がある訳では無かった。ただ、淡々と歩いていた。

 始まりは、何だったのだろうか……私はぼんやりとそう考えた。


 おそらく私は、元々人間になど向いていなかったのだと思う。そう、ただそれだけのことだ。

 正月、神社に行けば、人間以外のものになりたいと願った。小さい頃は真剣にそう願った。しかし、叶えられることはなかった。

 人間の体というのは、私にとって制約ばかりのものであった。毎日、決められた生活を義務付けられ、周りと同じように生きることを強要される。それは、苦痛以外の何物でもなく、だからこそ私は他の生物になりたいと願った。


 海岸には私の足跡が点々と残っていた。月明かりに照らされて、それはあたかも私が生きている証であるかのように自己主張していた。


 そうだ。私は人間として生まれるべきではなかった。間違ったのだ。神が。

 私はその間違いをリセットしたいと心から願っていた。よって、おおよそ人間らしい生活というものを根底から嫌っていた。

 家庭では自分からは会話一つせずに、学校でもまともに他人と接しようとしなかった。

 そんな私に、周りは冷たかった。親は変な子だと嘆き罵り、教師は問題児だと決めつめてクラスで問題が起こると全て私のせいにした。

 だが、それによって私は、自身は人間である筈がない、人間であってはいけないのだという確信をさらに強めていった。

 その結果、私は家を飛び出した。家を飛び出して、人間の来ない「居場所」を探しまわった。

 何度かは警察に捕まり、家出人という肩書きで無理矢理家に連れ戻された。その度に、親は怒り、私を罵った。

 ここに居てはいけない。居るべきではない。……その確信は、ますます強いものとなった。

 こうして、何度目かに家を出た時に、とうとう成功した。人気のない山奥に、無事にたどり着くことができたのだ。その時、私は黒い空に向かって吠えた。それは、人間であるのをやめるという合図であるとともに、人間以外として新たに生きていくという決意が込められたものであった。


 私は空を見上げた。

 赤い月……以前見たのはいつだっただろうか。日付を数えることをやめてしまった私には、もう分からない。


 新しい生活は楽ではなかった。

 まずは、食べられる物を探さなければならなかった。そこらに生えている植物で柔らかい物を、手当たり次第に口に運んだ。動きが遅く、捕まえやすい昆虫を無理矢理口にねじ込んだ。こうして、訳も分からずに腹を満たした。

 次に、寝床を見つける必要があった。二、三日はそこらの草むらに横になっていたが、雨が降ると体が濡れて体温が奪われ、どうしようもなくなることが分かった。なので濡れない寝床を探して、崖のせり出した部分の下に落葉を敷いて寝床にした。

 そうして、私は「人間以外として」生きていくための準備を整えていった。一週間すると、それにも慣れてきた。一年すると、それが当たり前となった。

 しかし、それは突如として破られた。


 私は無意識に足元の砂を足で強く掴んでいた。今思い出しても、それは腹立たしい出来事だった。


 猟銃を持った若者たち三人が私の「縄張り」に入り込んできた。

 彼らは私を見つけると、一斉に撃った。彼らの放った弾丸は私の体を穿ち、大きな穴をあけた。その傷は焼けただれるように痛み、苦痛に転げ回った。

 彼らが私を人間だと思って撃ったのか、それは分からない。ただ、茂みの中で苦痛にのたうち回る私を放っていった。

 私は怒りと苦痛に気が狂いそうになりながら、人間でなければよかったと心から思った。

 もう少し、もう少し強い獣なら、彼らの喉を裂くこともできただろうに。

 その時、変化が起こった。苦痛は去り、体に撃ち込まれた筈の弾丸は地面に転がっていた。

 私は一気に駆けると、若者たちに追いつき、まず一人の頭を打ち砕いた。次にもう一人の腹を裂き、腸を引きずりだした。

 それを見ると、最後の一人は悲鳴を上げながら逃げていった。手にしていた銃は地面に転がっていた。

 こうして、私はその山の「王」となった。

 それからというもの、私の縄張りに近付く人間には容赦なく制裁を加えた。その結果、誰も山に寄りつかなくなった。

 私は平穏な生活を手に入れた。既に私は山の獣ですら狩ることは容易だった。その気になれば、新鮮な肉を好きなだけ喰らうことができた。

 それでも、終わりは訪れた。

 突然、重機を手にした何十人もの人間が入り込んできた。話を盗み聞きすると、ここにコクドウを作るのだということが分かった。

 コクドウ……その意味が既に良く分からなくなっていたが、山が開かれれば、平穏な生活は無くなるだろうということは分かった。

 人間どもを皆殺しにしようかと考えたが、数が多く、何より殺してもまた寄ってくるだろうという確信めいたものがあった。

 私は山を降りることにした。


 私は海を見た。

 そう遠くない所に、島が浮かんでいた。

 あれだ。私はその島に泳いで渡ることにした。

 私は海に入った。


 砂浜にははっきりと足跡が残っていた。異様に大きな五本指の四足獣の足跡。

 それがかつて人間だったものの足跡だとは誰も思わないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒトニアラザルモノ 異端者 @itansya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説