あこがれのバンドのセットリストご用意しました。ご利用は計画的に……むろんケースバイケースですが。

柴田 恭太朗

練習スタジオに取り込まれる

「へぇ最新設備のスタジオって、こうなってるのか」

 厚く重い防音扉を肩で押し開けたジュンジの第一声がそれだった。感嘆した彼の肩から黒い布製のエレキギターケースがずり落ちる。


 ここは大学近くの高級スタジオ。今月できたばかりの貸しスタジオだ。

 入口で立ちつくす淳二を後ろから押しのけるようにしてオレは内部を覗き込む。

 吸音材で覆われた壁面に沿って新品のアンプやらミキサーなど電子機器が静かに鎮座している。スタジオの奥に陣取るドラムももちろん新品だろう、天井のライトを反射してシルバーの金具が十字型の光芒を放ってキラキラと輝いていた。


 まぎれもなくバンドマンなら一度はあこがれる高級スタジオならではの設備イクイップメントである、それはもちろんアマチュアのオレたちであっても同じこと。好奇心の一番かゆいところがくすぐられた。そうなるともう居ても立っても居られない、オレたち四人からなるバンドメンバーはスタジオになだれ込んだ。


「にしてもだよ……それにしても、よく取れたなココ」

 めいめいが自分の機材をセットする中、自前のノドが楽器ゆえ唯一手持ち無沙汰なボーカルのフェニックスが言った。なおフェニックスとはバンドネームである、本名は勝久かつひさとイケメンにそぐわない古風な名前であるが、まあそんなことはいい。ガムをくちゃくちゃ音を立てて噛むクセさえなくせば、いいヤツなのだ。

「オープンキャンペーン中だそうだ。誰が持ってきたのか知らんけど、軽音サークルの部室にチラシがあった」


「とりまラッキーってことで。っておい、これ電子楽譜だろ? ホンモノ初めて見たわ」

 フェニックスが譜面台にある黒い板状の物体にタッチした。電源を入れたらしい、好奇心を抑えられないのも彼の悪いクセだ。ヤツに言われて気づいたが、オレたち全員の譜面台の上に電子楽譜とやらがセットされている。置いてあるのではない、最初から譜面台に組み込まれているのだった。


 その外観を例えるなら二枚つづりのタブレット。普通のタブレットなら画面が一つしかないのに対し、この機器の画面は横に二枚並んでいて見開きの楽譜を表示できるようになっていた。オレはフェニックスにならって電源を入れる。目に優しいペーパーホワイトの画面にはこんな文字が表示された。


『演奏する曲を選んでください。ただし、ご利用は計画的に』


「計画的にって、なんだこれ何曲入ってるんだ?」

 興奮気味に指を画面の上で動かしフェニックスが、電子楽譜にずらりと表示されたセットリストをたぐってゆく。「おいおいおいおい、なんと伝説の『サヴァリプス』まであるぜ!」


――『サヴァリプス』

 それはオレたちのあこがれのバンドだった。今でこそサヴァリプスは解散してしまったが、我々がバンドを結成したのは彼らのような音楽をやりたかったからに他ならない。


 そのサヴァリプスの市販されていない楽譜が、我々の目の前にあった。

 弾かない理由があるだろうか? 無論ない。絶対にない。たとえ彼らスーパーアーティストの技量に追いつけないにせよ、その音楽の一片でも味わうことができたなら。あこがれの響きをわずかでも再現できたなら。


 自分たちの練習を放り出したオレたちは電子楽譜にサヴァリプス一番の名曲を選択した。すぐに楽譜が現れると思いきや、こんな文字が表示された。


『イヤープラグをよく練ってから、耳にセットしてください』


 譜面台を見ると、左横に細いケーブルにつながったイヤフォンが巻き付けられていた。手に取ってみると、イヤフォンの耳に装着する部分が軟質のゴムのようなプラスチックのような不思議な素材でできていた。


 なるほど。これを指で練って自分の耳に合う形にせよということらしい。プロのバンドがステージで使うイヤーモニターも自分の耳の形状に合わせたものを作ると聞く、それと同じ理屈だろう。よく出来ている、オレは感心した。


 バンドメンバーのめいめいが自分の耳にイヤープラグを装着すると同時に、電子楽譜の画面に楽譜が浮かび上がってきた。それはタブレットの画面表示とは異なって、霧の中からにじむようにして現れてくる。電子機器には似つかわしくない幻想的で不思議な感覚であった。


 ◇


 ワン・ツー・スリー……ドラムのリュウが小気味よくスティックでカウントを取った。


 爆音の炸裂。


 リュウのドラムに、オレのチョッパーベース、パワーコードからなるジュンジのギターがバッキングをかき鳴らすところにフェニックスののびやかな歌声が乗る。


――あこがれ~の……

 パンクなサウンドに女々しくさえ思える抒情的な歌詞。相容れないミスマッチ感、それこそがサヴァリプスサウンドである。


 オレたちは文字通り『あこがれ』ているバンドの名曲を奏でた。どうしたことかオレたちは実力を超えて、サヴァリプスのライブを彷彿とさせるアツい演奏ができた。できた、というよりというのが正しい。


 なぜなら、曲の十小節目ですでにオレは楽譜を見ていなかったのだから。耳に装着したイヤープラグから流れ込む演奏指令にしたがってベースを弾いていた。ただただ親指の筋に力を込めて、ベースの太い弦をはじいた。メンバーを見ると、皆も必死の形相で自分のスキルを超える演奏プレイをしていた。

 

 なぜこんな演奏をしているのか。何のために。湧き上がる疑問をよそに、オレたちが奏でる音楽は心地よかった。高揚感に脈が高鳴り、天にも昇る至福の恍惚。エクスタシーという言葉の意味を初めて身体で知った。その一方で、体力を超えてかき鳴らす親指は痛みの限界を超えて、血がにじみ始めている。


 自分の血を見たときオレは気づいた。耳のイヤープラグから何か触手のようなものが伸びて脳内を這いまわっていることに。もちろん大脳に痛覚はない。それなのに感じるのだ、脳細胞から貪欲に何かをむさぼっていることを。それはおそらく快感。皆の顔を見ればわかる、誰もが最上の音楽の響きに恍惚と酔いしれているからだ。


 曲は永遠に終わらなかった。なぜなら、曲の最後にリピートマークがあって、そのリピート指示は数字が増えていく一方だったからだ。


 ベース弦をはじくオレの右親指は肉がそげ、白い骨が顔を出している。痛みはもう感じない。頭は音楽の快楽以外を感じていない。


――あこがれ……の……

 ボーカルのフェニックスの口の周りは赤く血でそまっていた。彼の声帯はとうに壊れているはずだ。どこから声を出しているのだろう、おそらく気管の一部が変形するかどうかして発音しているようだ。


 数時間前、半狂乱になってイヤープラグをむしり取ったドラムのリュウは、スタジオの床に倒れ伏している。耳から血まみれの何かを引きずり出して。きっとそれは彼の大脳。


 オレたちは終わりのないあこがれの名曲を奏で続けた。


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あこがれのバンドのセットリストご用意しました。ご利用は計画的に……むろんケースバイケースですが。 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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