魔女狩りの教室

猫又テン

白いカラス、黒い羊



私が白いカラスを目にしたと言っても、きっと、周囲の人間が信じることはないでしょう。


カラスは黒い生き物だ。白?そんな馬鹿げたカラスがいる訳がない。アルビノだとか、突然変異だとか、それらしい理屈を並べても、カラスは黒い。間違いない。


では、もしも、冴えない私ではなく、有名な学者が白いカラスを目にしたと言えば?きっと、結果は変わるはずです。

アルビノだとか、突然変異だとか。再びそれらしい理屈を並べれば、人々は「なるほど。白いカラスも世の中にはいるのか」と頷くのです。


事実がどうあれ、人々は自分自身が見たいものしか見えないのです。納得出来るものしか見ないのです。自分自身の正しさに、どこまでも盲目的で、異端を徹底的に排斥するものなのです。


私が中世ヨーロッパにタイムスリップして、白いカラスがこの世に存在すると言えば、魔女として火炙りにされるでしょう。


周りと違うというのは、それだけ恐ろしいことなのです。黒い羊は周りの羊が白いというだけで化け物なのです。全てが均一に揃った世界で突出したものは、綺麗に切り揃えられて、平らになって、そうして平和は生まれるのです。


私はそれを理解していました。理解していたからこそ、私は昔から、常に周りと同じであることにこだわって生きていました。


周りに合わせること、それが普通なのです。それが常識なのです。それが正しいのです。

その正しさにすがっていれば、私は孤独にならずに生きていけるのです。


「佐倉って陰気臭いよね」


私の友人の沙織は、佐倉という一人の女子生徒を、教室中に聞こえる声量で蔑みました。

教室中の生徒が沙織を見ましたが、沙織は然も仲間内だけの影口のつもりかのように、取り巻きと共にくすくす笑っていました。


佐倉本人にも先ほどの発言は聞こえていたはずでしたが、佐倉は動揺する素振りを見せず、窓際の席でただ本を読むばかりでした。

生徒達は沙織を見て、次に佐倉を見て。ひそひそと仲間内で内緒話をする者や、静かに目を逸らす者。主に、その二つに分かれました。


私はというと、寒々とした心地でした。

それは、たった今沙織が目の前で行った所業のせいでした。異端の排斥。それを、目の当たりにしたからです。


佐倉という女子生徒は。確かに、陽気とは到底言えない性格でした。


いつも一人で本を読んでいて、誰かと会話をしている様を見たことがありません。高校生にもなって、髪の毛を特別手入れすることもなく、無造作に結ばれた黒髪も、私の友人が言うところの“陰気臭さ”に繋がるのでしょう。


無愛想ではありましたが、佐倉は悪人の類いではありません。日直の日は、サボることなく真面目に仕事に取り組んでいました。

教室の後ろに飾られた花瓶。本来、クラスメイトが交代で換えるはずだった水を、唯一換えていたのが佐倉であったこと。それを知っていた私は、佐倉に悪い印象を抱いたことがありませんでした。


地味と言える見た目でした。ですが、その瞳に宿る意志は強く。髪型さえ整えれば、手放しで美人と言える顔立ち。ああ、もしかしたら、それが沙織の鼻についたのかもしれません。


周りに従わず、しかし優れたものを持っている佐倉が。


とにかく、教室の中心人物であった沙織の一言は、実質、佐倉に対する死刑宣告。魔女の告発と同等の意味を持っていました。


「あんたは?どう思う?」


沙織が、私に意見を求めました。答えは決まりきっているものです。

縦に振れば人間。横に振れば、私も魔女の仲間入り。

選択肢はありませんでした。今、この場の正義を掌握しているのは、沙織でした。


「ああ、うん、ほんとそう。本ばかり読んでないで、友達と話せばいいのにね」


「話す友達がいないから本を読んでるんでしょ。ぼっちだから」


くすくす、くすくす。どうやら私の言葉は正解だったようで、沙織は面白そうに笑っていて、私はほっと胸を撫で下ろすと、佐倉から目を逸らしました。


罪悪感というものが、ない訳ではありません。しかし、どうして私が反発出来るでしょうか?

圧倒的な多。圧倒的な集団。

それに反した佐倉が悪いのです。反感を買わないよう、同調しない佐倉が悪いのです。


私は、私自身に、そう言い聞かせました。




私の母は昔から厳しい人でした。

少しでも私が気に食わないことをすれば、ヒステリックに怒鳴り立てて、私の主張は惨めにも怒声にかき消されて、結局全て私が悪いことになるのです。


お菓子は体に毒だから、食べてはいけない。

漫画やテレビなどの娯楽は、人を馬鹿にしてしまう。だから、触れてはいけない。

放課後に友達と遊んではいけない。放課後は宿題をする時間だ。宿題を終えたら、部屋の掃除をして、次の日に備えて早く寝なさい。夜更かしは決して許されない。

でも、寝る前には、次の授業の予習をしなさい。


気弱な父は、母が怖いようでした。触らぬ神に祟りなし。父が私の味方になってくれたことは、ありませんでした。


小学生の頃、私には友人と呼べる人間がいませんでした。

皆が知っているキャラクターも、遊びも、ゲームも、テレビ番組も、私は何一つ知らなくて、会話についていけない人間を、仲間として認めてくれる寛大な心を持った人間は、残念ながら、私の身の回りにはいませんでした。


当時、私は異端だったのです。憐れにも排斥される、異端だったのです。


目立ったいじめをされたことはありませんでしたが、クラスメイトからは、いつも影で馬鹿にされていました。わざわざ私が教室に入ったタイミングで、くすくすと私を見ながら笑い始めるのです。


あの子ってなんにも知らないよね。遊びに誘っても断られちゃうし、つまんないやつ。

お母さんが厳しいんだって。だからいつも、おどおどしてるのかな。

ねぇ、あの子のお母さんってさ、頭がおかしいらしいよ。


中学生に上がって、私はようやく母が世間一般から見ると、異端の部類に入ることに気付きました。


確かに、母の短気は人とは違う印象を受けました。家族だけでなく、手紙を届けに来た郵便配達員にも、隣の住民にも、教師にも、気に食わないことがあれば、やはりヒステリックに怒鳴っていました。警察を呼ばれたことも、一度や二度ではありませんでした。


私は、その事実に、一種の安心感を抱きました。この時点で、私はどうすれば除け者にならないのか、学習していたからです。


白黒を決めるのは力を持った多数派なのです。少数派という異端者が何をほざこうと、多数派が黒と言えばカラスは黒いし、白と言えばカラスは白くなるのです。


いくら私が踠こうと変わることのない当たり前を、多数派は軽々と変えることが出来るのです。


だから、私は正しさに従えばいい。

周りの正しいに従えば、仲間外れにされる心配はありません。何故ならその時点で、私も集団の仲間入りを果たしているのです。強大な多の、その一つになっているのです。


母は自分を曲げられません。自分が一番正しいと、盲信しているからです。


ですが、残念ですが、母は少数派の人間でした。

いずれ多から弾き飛ばされ消えていく運命で、それならば、私が母に従う道理は、どこにあるのでしょうか?


多くの人間に囲まれた沙織と、私は友人になりました。

母の反感を買いながらも、流行りの化粧と流行りの服装。一般的な女子高生らしい知識を身に付けて。周りに合わせるということを学んで。

私は私の正しさの指針を求めて、沙織と友人になったのです。間違ったものでも正しいものに出来る圧倒的正義と、友人になったのです。




沙織が教室で佐倉を晒し上げてから、明らかに教室内の空気が変化しました。

佐倉が教室に入る度に、賑やかだった教室は一瞬だけしんと静まり返って、そして、再び賑やかさを取り戻すのです。


表面を撫でただけでは分からない、嫌な空気が漂っていました。

その中で、唯一純粋に楽しそうだったのが沙織で、そんな沙織の様子を見て、他の生徒もこの状況を正しいと認識し、違和感を持つ者は日に日に減っていきました。


「見てよ、佐倉のスカート。長くて、ダサい」


校則を遵守した佐倉は、沙織から見ると、どうやら野暮ったいようでした。

ただ規則を守っているだけの佐倉は、ただ、本を読んでいました。


とあるクラスメイトは、佐倉についてこう答えました。


「佐倉さん?話したことはないけど、悪い噂は聞いているよ。中学の時に万引きしてたとか、気に入らない子を苛めたとか。

その噂は本当かって?……さぁ、でも西沢さんが言っていたから、本当じゃないかな」


西沢とは、沙織の名字でした。このクラスメイトは、佐倉についてあまり知らないようでしたが、沙織が流した噂話を信じていました。


また、とあるクラスメイトは、佐倉についてこう答えました。


「いろいろと陰口を言われてるのは知ってます……で、でも佐倉さんは以前、私が転んだ時にハンカチを貸してくれて、決して悪い人じゃないんです……!

え、助けないのかって?……だ、だって……そんなことしたら私まで標的にされるから……」


このクラスメイトは、佐倉に対しあまり悪い印象を抱いていないどころか、好意的な感情を向けているようでした。

しかし、佐倉の味方をして沙織から報復を受けることを恐れ、見て見ぬ振りをしていました。


また、とあるクラスメイトは、佐倉についてこう答えました。


「別に、佐倉とかどうでもいい。沙織が気に入らないやつを潰すのは今に始まったことじゃない。

……正当性?はっ、そんなのある訳がないでしょ。気に入らないやつを扱き下ろしているだけ。

どうせ佐倉もそのうち潰れて終わるだろうし……まぁ、眺めている分には面白いし、精々楽しめる内に楽しまないとね」


佐倉を排斥することに正当性がないならば、理不尽なものならば、何故、クラスメイト達は平気な顔をして居られるのでしょうか?


佐倉が事実無根の噂話を流されていても、本人に聞こえるよう陰口を叩かれていても、それを止めるどころか窘めることすらしない。

行われているのは明らかに間違ったことであるのに、それを誰も止めないのは、その行為が正しいものであることの、証明ではないのでしょうか?


窓際の席で本を読む佐倉を眺めながら、私はそう思うのです。




「人の目を気にするとか、くだらない」


佐倉は私に、そう冷たく吐き捨てました。

その日はよく晴れた日で、燃えるような夕焼けが、私と佐倉を照らしていました。


どうして、私は放課後佐倉と共に居たのか。

偶然と呼ぶべきものでした。たまたま用があった書店で、佐倉と鉢合わせ、私の方から声をかけたのでした。

しばらく並んで町を歩いて。奇妙な組み合わせではありました。しかし、周囲に見知った人間は居なかったので、私は気にせず佐倉と歩いていました。


「佐倉さんは周りの目が気にならないの?」


私の疑問に、佐倉は前を向いたまま、淡々と答えました。こちらを一瞥もしようとしない、冷たい態度でした。


返ってきたのは、私には到底理解出来ない言葉。人の目を気にすることの、何がくだらないのでしょうか?それは、重要な事柄のはずです。実際、佐倉はそれを蔑ろにしているせいで、酷い目に遭っているのですから、くだらないはずがないのです。


強がりだ、と私は思いました。周囲に馴染もうとしない。馴染めない佐倉の、僻みだと思いました。

答えに納得出来ていない私の様子を、佐倉は察したのか、苛立たしそうに首を振りました。


「必要以上に人の目を気にして、何になるの?周りに居るのは、自分と違う人間なんだから、思考も見方も、全く違うでしょ?

完璧に周りと同調しろとか、思考停止以外の何だって言うの?」


そうして、ぽかんとしている私を残して、佐倉は早足にその場を立ち去りました。


思考停止。その考えは、今まで全くありませんでした。思い浮かぶ気配さえ、しませんでした。

衝撃を受けた私は、佐倉の言葉を頭の中で反芻しました。よく噛み締めて、噛み締めて。ふと、ここがまだ外なことに気が付いて、一先ず家に帰ることにしました。


しばらく、漠然とした日々が続きました。

様子がおかしいと、私を訝しむ者もいましたが、具合が悪いだなんてありふれた言い訳をして、私は周囲に取り繕っていました。


ただの四文字が、頭の中に焼き付いて。確かに、私が自分の意思で何かを決めたことが、かつてあったでしょうか。


ですが、私は間違っていないはずなのです。より大勢に合わせることは、間違ったことであるはずがないのです。

つまり、私が沙織に同調して佐倉のことを嗤うのも、間違っていないのです。


佐倉との会話は、私の中に一粒の雫を落とし、私をかき乱しました。しかしそれも一瞬のことで、私はすぐに悩みから解放されたのでした。




そう、思っていました。



「ねぇ佐倉、あんたの髪、私が切ってやろうか」


ある日、沙織は取り巻きと私を携えて、本を読んでいた佐倉を囲みました。

にやにやと笑みを浮かべながら、佐倉がどういう反応をするのか、伺っているのです。


クラスメイト達は。数人、こちらを一瞥した者が居ましたが、介入しようとする者は居ませんでした。

私はというと、じっとりとした嫌な予感に纏わり付かれていました。


今までにも、佐倉は何人かの生徒を、あるいは教師を標的にして、その存在は異端であると告発し、排斥していました。

しかしそれは間接的なもので、こうして直接関わるということは、初めてだったのです。


沙織の声は、どこか弾んだ調子。まるで幼子のような無邪気さで、しかし佐倉を追い詰めるために、今こうして佐倉の前に立っていました。


「あんた、自分で散髪してるの?それとも母親?何にせよ、髪の毛がぼさぼさだし、まともに美容院行ってないんでしょ。

前髪もそんなに伸びちゃってさ、前見える?凄い暗くてつまらないやつに見えるよ?大丈夫?」


片手でハサミを弄びながら、沙織はこちらを振り返りました。どうやら、同意を求めているようでした。

取り巻き達は、次々に口を開き始めました。


「ほんとそう。不細工だよね」


「ダサいよね、さっさとイメチェンすればいいのに」


「平然と外に出てるけどさ、恥ずかしくないの?」


流れるように紡がれた言葉は、悪意そのものでした。沙織は、楽しそうにくすくすと笑い、次に私をじっと見つめました。

ハサミが、カチャカチャと脅すように鳴らす沙織は、やはり笑みを浮かべていました。


私はすぐに頷きました。


「みっともないよね」


「あぁそう、本当みっともない」


私の言葉を繰り返した沙織は、再び佐倉に向き直ると、未だ一度も顔を上げていない佐倉の顔を、覗き込みました。

佐倉の顔のパーツを、一つ一つ品定めするように動いた瞳は、やがて止まり、苛立ちを孕みました。


突然のことでした。

沙織はハサミを持っていないもう片方の手で、佐倉の前髪を握り締めると、佐倉の額を晒すように髪を引っ張りました。


沙織の凶行に、無関心を決め込んでいたクラスメイト達も、流石に動揺を隠せず。

重苦しい雰囲気は、ざわめきによって塗り潰されました。


「痛っ……!」


クラスメイト達と同様。被害を受けている張本人にも関わらず、沙織をまるで視界に入れていなかった佐倉は、痛みに呻くと、沙織をキッと睨み付けました。


前髪の陰に隠れていた佐倉の素顔は、やはり整ったものです。


「むかつく顔」


佐倉の前髪から手を離した沙織は、今度は佐倉の肩に手を添えました。

今度は何をする気なのか、と周りがただ眺める中、沙織は佐倉の肩を前に思い切り押しました。


ぐらりと佐倉の体が揺れて。

バランスを崩した佐倉は、けたたましい音を立てながら、椅子ごと床に倒れました。

教室中が騒然とする中、沙織は冷たい目をしたまま、佐倉を射貫くように見つめていました。


「ほら髪、寄越せよ」


沙織がハサミを開くのを見て、静観していた私は目を見開きました。

沙織は、何をしようとしているのでしょうか。


白と黒を決めるのは、多数派。沙織は圧倒的な多でした。

しかし、果たしてこれは、その当たり前に当てはまるのでしょうか。


一歩、沙織が佐倉に近付きました。

佐倉は沙織を睨み付けたまま、しかしよくよく見れば、焦りを浮かべていました。

いつも冷静なイメージを抱いていた佐倉の、焦った姿が、この状況が異常であることを示して、クラスメイトは遠目から見るばかりで、動こうとはしません。


もしも、沙織があのハサミを使って佐倉の髪を無理矢理切れば?

そんなことは予想していませんでした。精々、脅かす程度だと思っていたのです。


もしも、沙織があのハサミを佐倉に向かって振り下ろすようなことがあれば?

それは、そうなってしまえば、おしまいです。


“思考停止以外の何だって言うの?”なんて、以前佐倉が言った言葉を思い出すのです。


気が付けば、体が動いていました。


佐倉と沙織との間に立ちはだかった私は、佐倉を庇うように腕を拡げました。

緊張と恐怖で体が震えて、今すぐにでも立ち去りたい気分でしたが、必死に堪えました。


「もう、やめよう?」


震える声で私がそう呟くと、沙織は小馬鹿にしたように鼻で笑いました。


「へぇ?何、あんた、そいつのこと庇うの?馬鹿じゃないの?」


沙織の言う通りだったと思います。今の私は、馬鹿以外の何者でもありませんでした。

今まで通り、正しい沙織に従っていればよかったのです。こうして沙織の意思に反するということは、私も魔女の仲間入りをしたことと、同義なのです。


「だ、だってこんなの……正しくないよ、間違ってるよ……」


思考に反して動く口を、私は呪いました。これ以上言葉を連ねたところで、沙織の機嫌を損ねるだけだと、分かっていました。


今はただ。


私は佐倉に手を差し伸べました。佐倉と共に、この場から逃げようと思ったのです。

二人で手を取り、教室を飛び出て、教師に沙織が行おうとしたことを伝えれば、佐倉はこの辛い環境から解放されるはずです。


その後は、私と佐倉は友人になれるかもしれません。二人ともまともな友が居ませんから、きっとお互いの境遇に共感が出来るはずですし、きっと仲良くなれるはずです。


沙織の報復を考えていない訳ではありません。

ですが、今の沙織に誰が付いて行くでしょうか?

先ほどの沙織のあの狂気。あんなもの、異端でしかありません。きっと沙織も、今まで自分がしてきたように排斥されるのです。


だから私は、未だ倒れたままの佐倉に、手を伸ばしたのです。佐倉を救おうと、佐倉を安心させようと、穏やかな笑みを浮かべながら手を伸ばしたのです。


「佐倉さ……」


「正しいとか、間違ってるとかって何?」


手の平に、鋭い痛みが走った瞬間。私は、それが何なのかを理解することが出来ませんでした。

ただ痛くて、呆然としながら手の平を擦って、それが、その痛みが、佐倉に手を叩かれたことによるものだと、理解することが出来ませんでした。


佐倉は私を睨み付けていました。沙織に向けるよりも、より鋭く、より怒りが込められた瞳でした。


「綺麗な言葉を並べているけど、結局は“自分は他人から非難されたくない”ってことでしょ。

金魚の糞みたいに引っ付いてた西沢がやり過ぎて分が悪くなったから、鞍替えしようってことでしょ。あんたのそれ、なんて言うか前に教えたよね、思考停止だよ」


佐倉の言葉は、いつだって私を混乱させます。今、佐倉が怒りのままに吐いている言葉を、私は正しく認識出来ませんでした。


「自分が他人に責められたくないからって、あっちに行ってこっちに行って、自分の考えなんて持たずに人数が多い方について手の平返し。そういうやつが、私は一番嫌い、西沢よりも嫌い。

あんたは善いことをしたつもりかもしれないけど、こういうのなんて言うのか、知ってる?“偽善”って言うんだよ」


何故、私が佐倉から責め立てられているのか分かりませんでした。何故、私が否定されているのか分かりませんでした。

これは、理不尽というものです。私はただ佐倉を助けようとしただけなのに、何故こうも佐倉が私に対して怒っているのか、分かりませんでした。


つらつらと棘のような言葉を吐いた佐倉は、最後に。


「私、あんたに言われた言葉、忘れてないから」


そう言って起き上がると、私を避けて、教室から出ていきました。

残されたのは、クラスメイトと、沙織と、棒立ちになっている私でした。


誰も、何も言葉を発しませんでした。


数時間にも感じる沈黙の後。実際は、数分程度だったと思いますが、それぞれが元の空気に戻っていく中、私だけが、そのままでいました。

震える体を抑え付けるのに必死でした。顔から血の気が引いて、目眩がしました。


「ははっ」


背後から、無邪気な笑い声がしました。




私は、間違っていたのでしょうか。

もしも間違えていたのだとしたら、それは、一体いつからなのでしょうか。


ぐるぐると回り、止まることを知らない思考。一向に訪れない睡魔を切望して。

目が覚めたら全て夢だった、なんて虫のいい話はありませんでした。


私は、佐倉に拒絶された後、登校することにしました。

学校を休むという選択肢はありました。ですが、その道を選んでしまえば、私という存在が、この社会から弾かれて当然なものに変わってしまうような、もう後戻りが出来ないところまで来てしまうような、そんな気がしました。


教室の戸にかけられた指は、依然として震えていて。それでも、私はそこに力を込めて。


ざわざわと、人の声で溢れていた教室は、私が現れた瞬間、しんと静まり返りました。

息をするのも憚れるような、数秒の重苦しい空気の後、クラスメイト達はまたいつも通り、各々の会話に戻って行きました。


私は呼吸というものを忘れていました。息の吸い方も、吐き方も、何もかもを忘れていました。


眼前に映る教室。沙織は取り巻きに囲まれながら、誰かの机の上に腰かけていました。

くすくす、くすくす。楽しそうに笑う沙織をしばし眺めて、沙織が座っている机が、私のものだと気が付いて。


沙織と目が合いました。


にこりと、子供のような笑顔を浮かべた沙織は、口を開いて。私は、耳を塞ぎたい気分でした。


「■■って……」



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