麗らかな晴れ空の下。仰向けの流し雛が川を下っていく。どこか虚ろな表情をした人形ひとがたは、何も語ることはなく、どことなく洗濯をしに来たお婆さんの前に現れた桃を連想させた。

 どう、綺麗?

 誇らしげな声が響くのに合わせて、俺は静かにおとがいを傾け、ああ、と心から答えた。

 そうした後、流れゆくを眺める。死相が強く表れたその顔を見て思った。これは俺の愛した幼馴染ではない、と。


 *


 虚ろな顔をした紗英姉に、俺は……なにもしなかった。よく言えば、本人が纏っている、話しかけるな、という雰囲気を尊重した。より正確に言えば幼馴染が作り出す、近付くな、という壁を破れなかったし、拒絶されるのを恐れた結果だった。紗英姉にとやらが現れた時と形は違えど、また絶望することになるのが嫌だった。それになにより、

 放って置いたらダメだよ。このままだと本当のあたしが、どうにかなっちゃう。

 かたわらには『紗英姉』がいて、それで俺は満たされていたから、

 『紗英姉』は当初こそ、紗英姉を放っておく俺に、蔑むような眼を向けていたけど、段々と喜びを露にしていき、

 美登はあたしを選んでくれたんだね。

 泣きそうな声で口にした。これが長きにわたる幼馴染との付き合いから導きだされた台詞なのか、あるいは俺自身の願望が形となったものなのか。もはや、どちらなのか判別はつかない。それでもいい。どっちでもたいして変わりはしない。


 そうしているうちに三月二日の夜、紗英姉の両親から幼馴染が、『今までありがとう』の書置きを残して失踪したことを知らされ、捜索に駆り出された俺は、さほどやる気を見せずに辺りを探し回っているうちに、明け方が訪れ、どんぶらこどんぶらこと流れる大きな流し雛を発見し……


 /


 川下に向かってゆく紗英姉の体は水の流れに乗って遠ざかっていく。俺はなにをするでもなく、ただただ見送った。そして、姿が見えなくなるのと同時に、ほっと胸を撫でおろした。

 綺麗だったね、あたし。

 そうだね。

 でも、あたしの方がもっと綺麗だよね。

 自分で言うの恥ずかしくない?

 うん……ちょっとだけ。でもさ……。

 でも?

 美登もそう思ってるって知ってるから。

 ……隠し事できないってのは、不便だな。

 そう? 誰よりもわかり合ってるって素敵じゃん。

 そうかもな。

 でしょでしょ。だから、これからもこの素敵な関係をずっと続けていこうね。

 ああ……。

 これからもずっとずっと一緒だよ。

 ああ、一緒だ……


 この瞬間、あたしはなに一つの欠けもなく満たされていた。

 


 

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ありーいふお ムラサキハルカ @harukamurasaki

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