弐
紗英姉と結婚する。そんなもしもが頭の中に刻まれたあとも、取りたててなにかが変わったわけではない。ただ、もしもがやってきた時のためにと、ほんの少しだけちゃんとしよう、という意識が芽生えたからか、同年代に比べてヤンチャをする機会が減った気がする。……気がするだけかもしれなかったが。
一方、当の幼馴染はといえば、目標に向かってただただまっすぐに進んでいた。
今のうちに花嫁修業をやっておかないと、いいお嫁さんになれないからね。
紗英姉は口ぶりこそ冗談めかした感じだったが、本人はいたって真剣だったはずだ。
ご馳走するからという言葉に誘われて遊びに行けば、だいたいは料理の手伝いをしている。それこそ小学校の頃なんかは、さすがに火や刃物の扱いを幼い子供一人にやらせるわけにはいかないと、仕事帰りのお母さんやお父さんが監督していたが、中学に入るか入らないかの時には料理の担当はほぼほぼ紗英姉の担当になっていた。そこには親の仕事帰りが遅いという大人側の事情も絡んでいたかもしれないが、娘の方は嫌な顔を見せることはなく楽しそうに包丁を握り、フライパンを振っていた。
……そう。ご馳走される俺の立場は、幼馴染の料理の味見係というのが実情だった。もっとも、既に言ったように初期は親が監督していたうえに、一人で作るようになってからは大分手慣れていたので、味に関しては問題があった記憶はほとんどない。ただ紗英姉の目指すお嫁さん像がそうさせるのか、どことなく和を感じさせる料理が振舞われることが多かった。
肉じゃが、里芋の煮っころがし、きんぴらごぼう、だし巻き卵……こうしたものが出てくる頻度が多かった。俺の子供心と舌は、カレーとかハンバーグやかつ丼なんかを求めていたが、幼馴染の出すものはどれもこれも美味しかったため、文句を言うわけにもいかなかった。それでも一度遠回しに、料理の傾向が偏ってないかと聞いてみると、どこか恥ずかし気な様子で、
まだまだ修行不足な気がしてさ……もっともっと良くなる気がするんだよね。
求道的な動機が語られた。
当時の俺には紗英姉の料理はもう十分な出来栄えに思えたし、今振り返ってもさほど感想は変わらない。一方で、もっともっと、と完璧を求め続ける心根をある程度は理解してもいる。
とにもかくにも、俺の家は俺の家で親の帰りが遅かったのもあって、けっこうな頻度で幼馴染の家のお世話になり、その度に紗英姉の料理に舌鼓を打つこととなった。
……俺がもっともよく見ていたというのもあって最初に語ったが、料理以外にも紗英姉は家事全般をこなしていた。
休日の午前中にお邪魔すると、だいたいは(紗英姉の両親は仕事疲れからか、昼頃まで寝ていることが多かった)一人で掃除か洗濯をしていることが多く、流れで俺も手を貸そうとすると、
いいよいいよ。あたしの修行だから。
なんて調子で断られる。どことなく釈然としない気持ちを抱えつつも、とりあえずキリが付くまで見守ったあと、あらためて二人でテレビゲームをしたり、学校の宿題を一緒にやったりした。そうして、両親がもぞもぞ起きてくれば、今度は昼食作りに精を出しはじめる紗英姉。こちらに関しても、幼馴染の女の子はやんわりと俺の手伝いを拒み、てきぱきと作業を進めていった。
そんな風にして、急速に自らのやるべきことをこなす紗英姉に、俺は薄らと作られた壁の存在を感じつつも、尊敬をしていた。
隣に並び立ちたい。そんな願望がひしひしと膨らんでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます