「銀の欠片」

高校二年生の秋山翔太は、ある日突然、教室の片隅で意識を失った。朝から感じていた倦怠感と軽いめまいを「ただの疲れだろう」と軽く見ていたが、それが最後の警告だったとは、その時は知る由もなかった。目を覚ました時、彼は白い天井と消毒液の匂いに囲まれていた。隣には泣き腫らした母が座り、父が硬い表情で医者の話を聞いていた。


「治療法が見つかっていない難病です。進行が早く、余命は半年から1年程度でしょう。」


医者の言葉は冷たく、まるで他人事のように響いた。16歳の少年にとって「死」は遠い存在だったはずなのに、それが急に目の前に突きつけられた。翔太はベッドの上で茫然とし、母の嗚咽と父の重いため息だけが部屋を満たしていた。


帰宅後、翔太は自分の部屋で天井を見つめた。頭の中は真っ白で、何をすればいいのか分からなかった。ただ一つだけ確かなのは、時間が残り少ないということだった。


学校に行くことも、友だちと笑い合うことも、将来の夢を語ることも、もう叶わないかもしれない。そんな現実を突きつけられた時、彼の目にあるものが映った。机の上に置かれた小さな銀のペンダント。それは趣味で始めた銀細工の作品で、初めて自分で作ったものだった。


「俺が死んでも、これなら残るかもしれない。」


その瞬間、翔太の中で何かが動き始めた。自分の生きた証を残したい。消えてしまう前に、誰かの記憶に残るものを渡したい。そう決意した日から、彼の日常は変わった。


翔太は学校を休学し、家で銀細工に没頭した。元々器用な手先を持っていた彼は、中学の頃に偶然訪れた工房で銀細工に魅せられ、少しずつ道具を揃えて技術を磨いてきた。指輪やペンダント、ブレスレット。細かな模様を刻み、時には失敗しながらも、彼の手から生まれる作品はどれも温かみがあった。


最初に作ったのは母へのプレゼントだった。シンプルな銀のリングに、小さな花の模様を刻んだもの。母は台所でそれを受け取り、涙をこらえながら「ありがとう」とだけ言った。その日から、母はどんな時もそのリングを外さなかった。翔太はそれを見て、初めて「残るもの」を作れた実感が湧いた。


次に作ったのは父へのキーホルダーだった。無骨で不器用な父がいつも持ち歩く車のキーに付けられるよう、頑丈でシンプルなデザインにした。父は無言でそれを受け取ったが、ある日、仕事から帰ってきた父の手の中でそのキーホルダーが光っているのを見た時、翔太は父の静かな愛情を感じた。


友人たちにも贈り物を渡すことにした。親友の健太には、彼が好きなサッカーボールを模した小さなペンダントを。クラスのムードメーカーである美咲には、彼女の明るさを象徴する太陽の形のブローチを。そして、翔太が密かに想いを寄せていた優奈には、星型のネックレスを作った。優奈に渡す時、心臓が跳ねるほど緊張したが、彼女が「綺麗…大事にするね」と笑ってくれた瞬間、翔太はそれだけで生きてきた価値があったと思った。


季節が巡り、冬が訪れた頃、翔太の体は目に見えて衰えていた。手が震え、細かな作業が難しくなった。それでも彼は諦めなかった。銀を削り、磨き上げるたび、痛みや息苦しさを忘れられた。最後に作りたいものがあった。それは、自分がこの世界にいた証を刻む、最後の作品だった。


ある雪の降る夜、翔太は力を振り絞って作業を終えた。完成したのは小さな銀の箱だった。中には、彼がこれまで作った作品のスケッチと、家族や友人への手紙が入っていた。箱の蓋には「ありがとう」とだけ刻まれていた。


翌朝、翔太は静かに息を引き取った。母が彼の手を握り、父が肩を震わせる中、部屋には銀の箱がぽつんと置かれていた。葬儀の日、友人たちはそれぞれ翔太からもらった贈り物を身に着けて現れた。優奈の首には星型のネックレスが輝き、健太はサッカーボールのペンダントを握り潰さんばかりに手に持っていた。


月日が流れ、翔太の両親は銀の箱を開けた。そこには彼の想いが詰まっていた。母への手紙には「いつも美味しいご飯をありがとう」、父には「頑固だけど優しい父さんが大好きだよ」と書かれていた。友人たちへのメッセージも一枚一枚丁寧に綴られ、最後には「俺のこと、忘れないでね」と締めくくられていた。


優奈は星型のネックレスを手に持つたび、翔太の笑顔を思い出した。健太はペンダントを見ながら「あいつ、最高の仲間だった」と呟いた。美咲はブローチを胸に付け、翔太のことを語り継いだ。


翔太が残した銀の欠片たちは、それぞれの人生の中で輝き続け、彼が確かにこの世界にいたことを証明し続けた。そして、ある春の日、翔太の両親は庭に小さな花壇を作り、その真ん中に銀の箱を埋めた。そこには彼の想いと、彼が生きた証が永遠に眠っている。


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