「鏡の中の十秒」

世の中には色んな不思議が存在する。子供の頃、友達と囁き合った都市伝説――「10回見ないと呪われるビデオテープ」や「10人に送らないと呪われるメール」――そんな話は、笑いものだったり、夜中に少しだけ背筋を寒くさせたりする程度のものだった。でも最近、出回り始めた「新しい不思議」は、どこか違う。誰もが口にするとき、声が震え、目が泳ぐ。あれはただの噂じゃない。実在する。


それは、「鏡の中の十秒」と呼ばれている。


最初にそれを知ったのは、大学の友人、奈緒だった。彼女はいつものようにSNSで妙な話を拾ってきては、昼休みに私たちに披露するのが癖だった。でもその日は違った。彼女の手は震え、スマホを握る指が白くなるほど力を入れていた。


「ねえ、聞いたことある?鏡の中の十秒って」


奈緒の声は小さく、まるで誰かに聞かれるのを恐れているみたいだった。


「何それ?また変なチェーンメールでも見つけたの?」


私が軽く笑って返すと、彼女は目を逸らした。


「違うよ。チェーンメールなんかじゃない。実物を見た人がいるって……私のバイト先の先輩が言ってた。そしたら昨日、先輩が急に辞めたんだ。連絡も取れなくなって」


奈緒の話によると、「鏡の中の十秒」はこんなルールらしい。


夜中の0時ちょうどに、家のどこかにある鏡の前に立つ。電気を消して、鏡に映る自分を見つめる。そして、10秒数える。1、2、3……と、心の中でゆっくり数えて、10までいったらすぐに目を閉じる。絶対に10秒以上見てはいけない。もし守れなかったら――何かが出てくる。


「何かって何?」


私が聞くと、奈緒は首を振った。


「分からない。でも、先輩は『見ちゃった』って言ってた。それだけ。次の日にはいなくなってたんだよ」


その話を聞いてから数日後、私は妙な感覚に襲われていた。家に帰ると、なぜか視線が洗面所の鏡に引き寄せられる。別に何も映ってない。ただの自分の顔だ。でも、夜が深まるにつれて、その鏡が妙に気になって仕方なかった。


そして昨夜、ついにやってしまった。


時計が0時を指した瞬間、私は洗面所の前に立っていた。好奇心だったのか、それとも何か別の力が働いたのか、自分でも分からない。電気を消し、鏡の中の自分を見つめた。


「1、2、3……」


心の中で数える。暗闇の中、鏡に映る私の顔がぼんやりと浮かんでいる。


「4、5、6……」


何も変わらない。ただの鏡だ。奈緒の話はただの作り話かもしれない。


「7、8、9……」


でも、9を数えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。鏡の中の私が、微かに笑った気がした。


「10!」


慌てて目を閉じた。心臓がドクドクと鳴っている。数秒間、そのまま立ち尽くして、恐る恐る目を開けた。


鏡には何も映っていなかった。私の顔すら消えていた。


その日からだ。毎晩、鏡を見るたびに何かおかしい。映るはずのものが映らない。逆に、映らないはずのものがちらつく。昨夜なんて、洗面所の鏡を覗いたら、遠くの方に誰かが立っていた。黒い影のようなもの。でも振り返っても誰もいない。


そして今朝、奈緒からメッセージが来た。


「ごめん、私もやっちゃった。10秒以上見ちゃったんだ。助けて」


それが最後の連絡だった。彼女のSNSは更新が止まり、電話も繋がらない。

今、時計は23時55分を指している。


あと5分で0時だ。


洗面所の鏡が、私を待っている気がする。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る