「獣の声がくれた未来」

佐藤健司、40歳。かつては親友と呼べる男、田中一郎と笑い合い、夢を語り合った日々が懐かしい。あの頃の健司は真面目に働き、こつこつ貯めた貯金が500万円を超えたことに小さな誇りを感じていた。しかし、その信頼が裏切りに変わったのは一年前。一郎が経営する小さな会社が倒産し連帯保証人としてサインした健司に何も言わず一郎が夜逃げした事が発覚したのだ。法廷での冷たい判決に貯金が底をつく音。健司の人生は一瞬にして崩れ去った。


今、彼は小さなアパートで細々と暮らしている。仕事は派遣社員として倉庫で荷物を運ぶ日々。夢も希望も失い、ただ生きているだけだった。そんなある朝、奇妙なことが起こった。


「おい、人間!そこのゴミ捨ててくれよ!」


健司はびっくりして振り返った。声の主は、ベランダの手すりに止まったカラスだった。


「え?何?」

「聞こえてんのか?お前、珍しい奴だな。ゴミだよ、ゴミ!臭くてかなわん!」


健司は目をこすった。夢でも見ているのかと思ったが、カラスは確かに喋っている。それも、健司にしか聞こえないらしい。試しにゴミ袋を手に持つと、カラスが「そいつだ!頼んだぞ!」と鳴いた。半信半疑でゴミを捨てると、カラスは満足げに飛び去った。


その日から、健司の耳には動物たちの声が届くようになった。野良猫が「腹減った」と鳴けば、スーパーの残り物を分けてやった。公園の鳩が「水が飲みたい」と言えばペットボトルの水を分けてやった。最初は戸惑ったが、次第に彼はこの能力に慣れていった。そして、あるアイデアが浮かんだ。


「この力を活かせば、人生をやり直せるかもしれない」


健司はまず、近所のペットショップに足を運んだ。店員が「この子、最近元気がないんです」と悩むハムスターを指差すと、健司はそっと耳を傾けた。


「回し車が固くて回らねえんだよ!」


健司は店員に「回し車を交換したら元気になると思います」と伝えた。半信半疑で交換した店員は、数日後、ハムスターが元気に走り回る姿を見て驚いた。「どうして分かったんですか?」と聞かれ、健司は笑ってごまかした。


この成功がきっかけで、健司は「動物の気持ちが分かる男」として近所で噂になり始めた。彼は派遣の仕事を辞め、小さな「ペット相談所」を開くことにした。看板には「あなたのペットの悩み、解決します」と書いた。最初は客もまばらだったが、ある事件が転機となった。


ある日、近所の資産家である山本家の愛犬・レオが失踪した。山本夫人は泣き崩れ、警察も手がかりを見つけられずにいた。健司は藁にもすがる思いで呼ばれた。現場でレオの毛布に触れ状況を調べているフリをしながら耳を澄ますと、遠くからかすかな声が聞こえた。


「崖の穴に落ちた…誰か助けてくれ…」


健司は山本夫人に「裏山の崖付近にいるかもしれない」と告げ、急いで向かった。すると、崖の下の小さな穴にレオが落ちているのを発見。無事に救出し、山本家に連れ帰ったとき、夫人は涙ながらに感謝した。「あなたはこの子の命の恩人です」と。


この一件で健司の名は一気に広まった。ペット相談所の仕事は増え、テレビや新聞にも取り上げられるようになった。動物たちの声を聞き、彼らの悩みを解決する健司の姿は、多くの人々に感動を与えた。収入もそこそこ安定し、汚いアパートから小さきながらもきれいな一軒家に移れるほどになった。


しかし、健司の心にはまだ一つのわだかまりがあった。裏切った一郎のことだ。ある日、偶然街で一郎と再会した。彼はみすぼらしい服を着て、うつむいていた。健司が声をかけると、一郎は驚き、そして目を逸らした。「すまなかった」と小さく呟く一郎に、健司は静かに言った。


「俺はもう恨んでない。お前もやり直せばいい」


一郎は黙って頷き、その場を去った。健司は彼の背中を見送りながら、ようやく過去を手放せた気がした。


数年後、健司のペット相談所は全国に知られる存在となり、彼自身も動物保護団体を立ち上げた。ある日、公園で一匹の野良犬が健司に近づいてきた。


「お前、いい奴そうだな。一緒に暮らしてもいいか?」


健司は笑って「もちろん」と答え、その犬を「タロウ」と名付けた。タロウを連れて帰る道すがら、空を見上げた。カラスが一羽、頭上を飛びながら鳴いた。


「人間、幸せそうだな。まぁ、頑張った甲斐があったってわけだ」


健司はカラスに手を振った。


その夜、タロウと並んでソファに座りながら、健司は思った。人生は一度崩れても、また築き直せる。動物たちの声が、彼にその力をくれたのだ。そして、これからも彼は、彼らと共に生きていくのだろう。窓の外では、満月が優しく輝いていた。


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