一人で行う雛祭り
嶋月聖夏
第1話 一人で行う雛祭り
「はあ~」
疲れを吐き出すように、私は大きくため息をつく。
一人暮らしのマンションの一室。明かりを点けると、リビングのテーブルに飾ってある小さなお雛様が出迎えてくれた。
「ただいま」
両手に持ったエコバックから、今日の夕飯の材料を取り出す。いつもなら、仕事で疲れた場合はお弁当とかすぐ食べられる物を買ってくるが、今日は違う。
ついに、子供の頃からやりたかった雛祭りを実行するのだから。
材料を切って混ぜ合わせる。これでちらし寿司の完成だ。
一番難しいのは、ハマグリのお吸い物。昨日から砂抜きをしてあったが、うまくいったかな?
デザートは桃のゼリー。これはゼラチンを使えば簡単にできる。昨日作った桃のコンポートを使って、朝から冷やしておいた。
お茶は、日本茶を用意。通販で買った桃の紅茶は、お風呂から上がった時に飲もう。
「できた!」
キッチンですべての料理が出来上がったのを見て、嬉しさのあまり声を出していた。
だが、すぐ食べたりしない。その前にお風呂に入らないと。
お風呂から上がり、しっかりと保湿ケアをした後、私は先ほど作った料理を持ってリビングのテーブルへと向かった。
少し大きいテーブルに、小さな雛人形が飾られている。十年前、たまたま通りかかった近くの雑貨屋で買った、コンパクトなデザインだ。
お内裏様とお雛様。この二人だけの雛人形。後ろの屏風と雛人形を乗せるお盆みたいな台。あとは二対のぼんぼりが付いている、陶器製のお雛様だ。
当時、高校を卒業した後就職を選んだ私は、一人暮らしも始めるためにこの都市へ引っ越してきた。マンションで荷ほどきを一通り終えた後、買い出しの途中で見かけた瞬間、この雛人形を買っていたのだった。
子供の頃、私は雛人形を買ってもらえなかった。狭いアパートで両親と住んでいたからだっただろう。正直、友達の家で大きなお雛様が飾られていたのが羨ましかった。結局、小学生の間買ってもらえなかったから諦めてしまったのだ。
大学に進学しなかったのは、すぐ働いて自分で欲しい物を手に入れたかったからだ。両親は「女の子はお嫁に行くのが幸せ」と未だに考えているから、こないだも電話で「結婚はまだか?」と聞いてくる。
だが職場で同い年の同僚が「モラハラ夫と離れられてよかった~」と聞いていると、正直結婚したからって幸せになれるとは限らないんじゃ?と思ってしまう。
それに私は、子供の頃できなかった事がやれる今の暮らしが気にいっている。
これから始める雛祭りがそうだ。この雛人形を買った時は、安売りをしていた雛あられを食べる事しかできなかったが、十年経った今では、あのころ食べたかった手作りの雛祭りの料理を用意する事ができる。
友達の家で雛祭りをやっていた時、たいてい手作りの美味しい料理が並んでいたし、この時のためにわざわざ買ってきてくれた美味しいお菓子もあった。
それに比べ、私の家は雛祭りの日だからって何にもなかった。招かれた時に安物だったがお菓子を持って行ったから、小学生の頃は仲間外れにされなかったが。
料理も頑張って練習して、お金も貯めて、さらにテーブルに桃の花を飾った大きな花瓶も用意する事ができた。
さあ、今から、やりたかった雛祭りをしよう。
料理を楽しく味わい、後かたずけを終えた私は、もう一杯桃のお茶を飲んでいた。
仕事で疲れていたが、心身共に満たされていた。しかも、明日は運よく有給が取れたから、朝寝坊ができる。
「楽しかったなあ」
お茶を飲みながら、一人でやった雛祭りの余韻に浸っていた。
そういえば、雛人形を飾る理由の一つとして『厄災や病気から守る』があるってネットの記事で読んだ。
毎年この雛人形を飾ってから、会社を休むほどの病気になった事はないし、セクハラやパワハラに遭った事はない。
雛祭りが終ると、丁寧に拭いてクローゼットの棚の上に大事にしまう。自分で言うのもなんだが、大事にしているからお雛様が守ってくれているのかな?と、思った。
もしそうだったら、嬉しいな。私も、このお雛様に出会えて嬉しいから。
明日から、資格を取るために勉強を始める。試験はまだ先だが、できれば一回で受かりたい。
来年の雛祭りには、合格の報告ができるといいな。
そう思いながら、私はお茶をもう一口飲んだ。
終わり
一人で行う雛祭り 嶋月聖夏 @simazuki
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