この良き日

三谷一葉

幼少期1

 遠い東の島国には、「ひなまつり」という行事があるのだと言う。

 季節は春。ヤヨイの月に、女の子達の幸せを祈り、人形を飾って、家族でご馳走を食べるのだ。

 初めてそれを聞いた時、私は信じることができなかった。

 女の子の幸せを祈る親が居るだなんて、女の子のために人形を用意するだなんて、ありえないと思っていた。

 生まれた時に祝福されるのも、幸せを祈ってもらえるのも、私の国では男の子だけだ。


 孤児院のの口癖は、

「お前たちはね、要らない子だったんだ。生まれてきちゃいけなかったんだよ」

 だった。

「親ってのはやっぱり男の子が欲しいもんさ。女なんか要らないんだよ。お前たちには呼吸をする権利も、飯を食う権利もない」

 女なんか要らない。そう歌うように言った先生も、女だった。

 何歳なのかはわからない。髪は真っ白で、顔はしわくちゃだった。身に着けているのは、長い茶色のスカートと、顔と同じぐらいしわくちゃの灰色のブラウスだった。

「本当なら生きる権利がない馬鹿女どもを、こうして生かしてやってんだ。もっともーっと感謝すべきなんだよ、恩知らずの色ボケ女ども」

 が何人居たのかは覚えていない。一人ではなかったと思う。全員、白髪頭でしわくちゃで太っていて、女の子のことが大嫌いだった。

「ああ、坊っちゃん。もちろん坊っちゃんは違いますよぉ。ばあばは坊っちゃんが良い子だってこと、よぉくわかっていますからね」

 先生は、男の子のことは大好きだった。

 女の子のことは睨みつけるのに、男の子には笑顔を向ける。

 女の子がご飯を食べると深々とため息をつくのに、男の子にはおかわりまで勧める。

 女の子にはあちこちに穴が空いた古着を着せるのに、男の子の服は常に新品だ。

 女の子を引き取りたいと言う人は居ないけれど、男の子を迎えたいと言う人はたくさん居た。

 だから、孤児院に居るのは女の子ばかりだった。男の子の多くは、片腕が生まれつき欠けていたり、目が見えなかったり、言葉を喋ることができないような子ばかりだったけれど、それでも短ければ半年、長くても三年もすれば新しい両親の家に行くことができた。


 男の子のようになれば、大事にしてもらえるかも知れない。

 誰がそう言ったのかは覚えていないけれど、私達は競い合うようにして男の子のように振る舞った。

 一人称は「俺」。歩く時は常にガニ股で、暑い日には上半身裸になった。虫を捕まえて、戦いごっこと称して殴る蹴るの喧嘩をする。

 私達にとって、女の子らしいことは悪いことだった。

  私達は死に物狂いで男の子達の真似をした。

 だけど、いくら男の子の真似をしても、男らしく振る舞っても、先生達は女の子が大嫌いなままだった。


 男らしいことは良いこと。女らしいことは悪いこと。

 そう思っていた私にとって、メアリはとびきり変な子だった。

 メアリは、十歳になってから孤児院へやって来た。赤ん坊の頃から孤児院で暮らす私とは、何もかもが違っていた。

 一人称は「私」。男言葉は使わない。歩く時はガニ股ではなく、背筋を伸ばして真っ直ぐに歩いていた。

 どんなに暑い日でも、メアリは人前で服を脱がなかった。

 戦いごっこに夢中になっている子達を、一歩離れたところから、冷めた目で眺めている。

 女らしいことを憎んでいた先生達は、孤児院の女の子達にスカートをはくこと、髪を伸ばすことを禁じていたから、メアリも私も、男の子のようなショートカットだったし、身に着けていたのはシミだらけのシャツと、片方の膝に大きな穴が空いたズボンだった。

 メアリと私は、似たような髪型だったし、同じような服を着ていた。

 メアリは黒髪で、私は茶髪。

 メアリの目は真っ黒で、私の目は焦げ茶色。

 メアリは「女の子」で、私は「」だった。

 女の子が嫌われて、女らしいことが悪いことだった孤児院の中で、メアリはずっと女の子のままだった。どれだけ先生に罵られても、他の子達に馬鹿にされても、メアリは男らしくならなかった。

  

「おいてめえ、なんで戦いごっこやらねえんだよ」

 いつだったか、メアリにそう聞いたことがある。

 十歳になったばかりの頃だと思う。その時、メアリは十二歳だったはずだ。

 メアリは私の顔をじっと見て、目をぱちくりとさせた。彼女の睫毛が長いことに、私はその時初めて気が付いた。

「なんでって⋯⋯あなたたちこそ、どうして戦いごっこなんてやるの?」

「はあ?」

「怪我をしても、医者に診てもらえるのは男の子だけなんだし、わざわざ女の子同士で殴り合うことないじゃない」

 メアリの言う通りだった。先生達は、女の子達が怪我をしても、病気になっても、医者には診せない。病院に連れて行ってもらえるのは、男の子だけだった。

「それがなんだってんだよ。怪我が怖くて戦いなんかできるか! 俺はてめえみたいなびびりとはちげぇんだ!」

「その『てめえ』って言うの、止めてくれる?」

「はあ!?」

「そもそも、あなた、戦いごっこ好きなの?」

 戦いごっこは、元々は男の子が始めたことだった。

 正義の味方の男の子が、悪者の女の子をやっつける。そんな設定だった。

 女の子は悪者だから、男の子が満足するまで、殴られ続けないといけなかった。

 女の子の仕返しは禁止されていた。殴りかかってきた男の子の手を振り払っただけでも、先生達が金切り声を上げて飛んできた。そして、女の子を殴ったり蹴ったりするのが、男の子から先生に変わるのだ。

 女の子同士で戦いごっこなら、やり返しても先生は来ない。男の子達は殴り合いをする女の子をニヤニヤと眺めるが、女の子達の戦いごっこに混ざろうとはしなかった。

 女の子だけの戦いごっこは、孤児院に住む女の子の身を守る手段だった。

 でも、好きか嫌いかと聞かれれば、戦いごっこなんて大嫌いだった。

 痛いのは嫌だ。痣ができるのも、血が出るのも嫌だった。だけど、男の子や先生に殴られるよりは、女の子達に殴られた方がほんの少しだけマシだ。

 黙り込んだ私を見て、メアリはふっと笑った。

「ねえ、ひなまつりって知ってる?」

「ひなまつり?」

「東の異国のお祭りよ。女の子の幸せを祈って、お人形を飾って、ご馳走を食べるの」

「はあ!? なんだそれ、ありえねえよ!」

「どうして?」

「だっ、だってそれ、女のためのお祭りなんて、やるわけないじゃん、そんなの」

「そうね。今はそうかも知れないわね」

 メアリは、大人のような口調で言う。

「いつまでもこのままにはしておかないわ。私、この国の女王になるんだから」

「女王!?」

「そうよ。女王になって、女の子も大事にする国に変えるのよ」

 それが、メアリと私の始まりだった。

 

 

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