第51話 The Voice of Jibril(神の声の代理人)
下のふたつの階と比べ、三階にある部屋数は少ない。
山本が踏み込んだ家庭科室と、小さな集会を開くのに適した広さを持った多目的室の二部屋だ。山本の動きは後者の部屋に対しても迅速だった。
廊下に転がっていた橘が切り落としたと思われる敵の肘から下部分を無造作に掴むと、そのまま廊下に面した窓に向かって勢いよく投げ込む。派手にガラスの割れる音が響く中、素早く引き戸へ移動して侵入すると、中に潜んでいた連中を一人も漏らすことなく撃ち殺していった。
たった一人。
まだ十代前半の子供一人に対して、荒事のプロと言われる鳥たちがただ鳴き声を上げて絶命していく。
「あちらも終わったようなので、四階に行きますよ」
呼吸を乱す様子もなく、橘とミミックのいる方向を目で示しながら俺と髙橋にさらりと告げる。
何人仕留めたのか、もう分からない。
鳥も犬もこちらの世界ではそれなりに腕のある連中のはずなのに、俺が見る限り、山本は別次元の強さだった。
「少年兵ってのは、お前みたいなヤツばっかりなのかよ」
「僕みたいとは」
「ほぼ一撃で敵を殺す腕があるのか」
山本は「分かりません」と即答した。
「組織からすれば、子どもというのは消耗品みたいなものですからね。足りなくなれば
「何だよ、それ」
憤りの気持ちが瞬時に湧き起こり、思わず口が出る。
替えが利くとか冗談じゃねぇぞ。
「平和を謳う人々は『命は平等だ』なんて言いますけど、そんなことは明日という概念のある場所で生きている人間の言うことです。非力な子ども一人の命と引き換えに地雷の位置が分かれば、敵を殺して相手の戦力を削ぐことの出来る人間が死なずに済みます。どちらが良い悪いということではありません。環境によって考え方が違うというだけの話です」
理解など何ひとつ求めていない、独り言のような話し方。俺の胸に湧いたような腹立たしい感情など、こいつの中では遥か昔に失われているのだ。たまらず、俺は山本に尋ねる。
「お前もそんなことをやらされてたのかよ」
「僕は日本語の他にアラビア語や英語、ポルトガル語が困らない程度に使えたので、諜報の仕事をしていました」
父親が医療ボランティアのようなことをしていたので、色々な紛争地に連れて行かされたんですと話す。武装グループの連中にも適材適所という発想があったのかは知らないが、多言語を理解できるこいつの能力は使えると踏んだのだろう。俺もフー子を無事逃がせたら、英会話のひとつでも習いに行くか。
「次が最上階ですので」
相棒の『右近』を敵の身体から引き抜きながら、橘が忌々しそうに「んなこたぁ分かってるっての」と山本に答える。
「鳥の王に近いフロアであるという可能性をお忘れなく」
ふんと鼻を鳴らし、先遣隊の二人が上階へ向かう。その背中をちらりと見ながら「無駄な動きが多いって分かってなさそうだな」と山本が呟く。程なくして、階段のあたりから戦闘音が聞こえた。
「佐藤さんと出会ったのは、諜報活動の任に就いていた時でしょうか」
それまで沈黙を続けていた高橋が口を開く。
「そうです」
「もしかして貴方がいたのは『VJ』という武装グループですか」
山本は無言こそが肯定と言わんばかりに、何も答えなかった。このまま待っていても山本から説明は得られなさそうだと判断し、俺は髙橋に『VJ』について尋ねた。
「『VJ』は『The Voice of Jibril』の略です。キリスト教において聖母マリアに受胎を告げた天使として知られるガブリエルのことをアラビア語でジブリールと呼ぶのですが、イスラム教では神の啓示を予言者であるムハンマドに伝えた存在がジブリールだと言われていて、聖典の成立に直接関わった者と位置付けられています。この武装グループは自分たちの行いは神の声に従ったものだと謳っていたことから、日本語では『神の声の代理人』と訳されていました」
神の声の代理人とは、何とも大層な名前を付けたものだ。そういう連中は往々にして過激なことをするものだが、ちょっと待て。
「訳されていましたって、過去形使ったよな。てことは」
「今はもう存在しないグループです。内部崩壊によって壊滅したと言われていますが、なるほどそうか、そういうことだったんですね」
納得したような顔で、髙橋はじっと山本を見詰める。俺ひとりが何も分かっていない状況にイラついた。
「おい、自己完結する前に説明してくれ」
「あぁ、すみません」
高橋はわずかに視線を泳がせた後、「何も言わないということは説明しても構わないと受け取って良いですか」と山本に向かって尋ねた。山本はこちらに背を向け、何も言わずに橘とミミックの戦闘をチェックしている。こちらの声が聞こえていない訳がないと考えれば、無言であることこそが質問に対する返答だという意味なのだろう。
説明するのが面倒なのか、言いたくない何かがあるのかは分からないが。
「佐藤さんも良いですね?」
高橋は師匠にも確認を取る。耳にはめたイヤホンから『周囲への注意を怠らない範囲でお好きにどうぞ』と声が聞こえた。
「わざわざ確認を取るってことは、師匠にも関係があることなのか」
「関係あるも何も」
イヤホンの位置を直しながら、髙橋は「『VJ』を潰したのは佐藤さんです」と言った。
参考:『実用日本語表現辞典』『一般社団法人ハラル・ジャパン協会』
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