最後の贈り物

わんし

最後の贈り物

 あかねは毎日、病室に向かって歩くのが習慣になっていた。


 まだ高校生の彼女にとって、学校と祖母の病院を往復する生活は、最初こそ疲れを感じていたが、今ではそれが日常の一部となっていた。


 祖母、千鶴子ちづこは長い闘病生活を送り、余命宣告を受けてからは、どこか儚げで、しかしなおも強さを感じさせる目をしていた。


 茜はそんな祖母を見守りながら、どうにか少しでも元気を与えようと、毎日会いに行くことにしていた。


 病室の中は、白く冷たい壁に囲まれ、窓の外から見える景色もどこか寂しげだ。茜が病院に到着するたび、祖母はその薄い笑顔で彼女を迎えてくれた。


 言葉は少なく、静かな時間が流れるが、それが何よりも茜にとって心地よかった。


「茜、元気にしてるか?」


 祖母がふと、弱々しい声で問いかける。


「うん、元気だよ。学校はどう?」


 茜は答えながら、祖母の手を取る。少し冷たくなったその手は、昔の温かさを思い出させる。


「私はね…、元気だよ。でも、もうすぐお別れの時が来るのかな。」


 祖母の目が一瞬、遠くを見つめた。茜はそれを見逃さなかったが、どう返事をしていいのかわからなかった。余命宣告からもう数ヶ月が経ち、祖母は日に日に弱っていく一方だった。


「おばあちゃん…」


 茜は言葉に詰まった。何を言えば、祖母に少しでも安心してもらえるのか分からなかった。


「大丈夫、茜。」


 祖母は静かに微笑みながら言った。


「君は強い子だ。私がいなくても、きっとちゃんとやっていける。」


 その言葉に、茜は涙を堪えることができなかった。どうしても、祖母に頼ってばかりの自分が情けなく感じた。


「おばあちゃん…私、もっとおばあちゃんと過ごしたいよ…」


 涙が頬を伝う。


 祖母はその涙を見つめながら、何も言わずにただ茜の手を握り返す。その握り方が、少しだけ力強く感じられた。


 茜はその日から、祖母との時間をさらに大切にしようと決意する。毎日、学校から帰るとすぐに病院へ向かい、祖母と一緒に過ごす時間を何よりも優先した。


 祖母は静かに微笑み、茜の手を握りながら、何度も「ありがとう」と言った。


 それでも、時間は容赦なく過ぎていき、茜は心の中で少しずつその別れが近づいていることを感じ取っていた。


 ある日、茜は祖母の部屋でふと古びた箱を見つけた。病室の机の上にひっそりと置かれていたその箱は、白い布で包まれており、今まで目にしたことがないものだった。


 茜はその箱を手に取ると、少し迷いながらも布を外した。箱の中には、祖母が書いたと思われる小さな手紙や古びた日記が入っていた。


「これは…?」


 茜は箱の中身をじっと見つめながら、心の中で祖母に問いかけるように呟いた。手紙の文字はすべて祖母の美しい筆跡で書かれており、何十年も前に書かれたものだろうが、まだその文字には温もりが感じられる。


 手紙には、若き日の祖母が過ごした日々の思い出や、大切にしていた人々への想いが綴られていた。茜はその一つ一つを読むたび、祖母の過去が少しずつ見えてきて、驚きとともに深い感動を覚えた。


 祖母の若い頃、彼女は茜が想像していた以上に活発で、自由な心を持った女性だった。


 自分が最初に抱いていた「優しくて静かな祖母」というイメージは、どこか狭い枠にとらわれていたことに気づかされる。


 祖母は恋をし、夢を追い、人生を謳歌していたことが分かる。


 その中でも、特に印象に残ったのは、祖母が若いころに書いた日記の一節だった。


「愛する人との別れが、どれほど辛いものか、今、私は痛感している。」


「でも、彼が教えてくれたことが私の中に生き続けている。私の愛する人がくれた想いを、大切にして生きていきたい。」


 茜はその言葉を読んだ瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。祖母が一度愛し、失った人がいたこと。


 どれほど深い悲しみを抱えながらも、それでも生きてきたこと。祖母が抱えた痛みを知らなかった自分が、今更その深さを感じ取ったことに、茜は何とも言えない気持ちになった。


「おばあちゃん…こんなにも深い想いを持っていたんだ。」


 茜は思わず呟きながら、さらに日記を読み進めた。


 その日記の中には、祖母が茜に伝えたかったこと、そして茜にとって大切なことが書かれているように感じられた。


 祖母が茜に伝えたかった「生きる力」「愛することの大切さ」「前を向いて歩む勇気」


 それらのメッセージが、彼女の人生を通じて茜に向けて語りかけられているように思えた。


 茜はその日、祖母の過去に触れ、またひとつ大切なことを学んだ。祖母がこれまでの人生で培ってきたもの、その一つ一つが茜に受け継がれていくのだと実感した。


 祖母が残した日記や手紙を手に取りながら、茜は心の中で誓った。祖母の想いを大切にし、これからも前に進んでいこうと。


 日が経つにつれ、祖母の容態はさらに悪化していった。茜は日々、必死に祖母のそばに寄り添い、何もできない自分に無力感を感じることが増えていった。


 しかし、祖母は時折、かすかな微笑みを見せることがあり、その表情は茜にとってかけがえのないものとなった。


 ある日、祖母の部屋で静かな時間が流れる中、茜はまた一つの手紙を見つけた。


 それは、祖母が病院に入院する前に書かれたと思われる、封をされた封筒だった。茜は不安を感じながらも、その封筒を開けた。中には短い言葉が綴られていた。


「最後の贈り物」


 その言葉に、茜は胸が締め付けられるような気持ちを抱えながら、その内容を読み進めた。


「茜へ。私の一生で最も大切にしたいことを、あなたに託したいと思います。」


「私が歩んできた道、喜びも悲しみも、あなたに知ってほしい。」


「あなたはまだ若いけれど、この贈り物があなたにとっても大きな意味を持つことを願っています。」


 その手紙には、祖母がこれまで大切にしてきた「秘密の場所」について書かれていた。


 それは、祖母が茜に伝えたかった、ある大切な想いが込められた場所だという。茜はその言葉を読むうちに、思わず涙がこぼれそうになった。


 祖母が生きてきた中で、茜に伝えたかったもの。それがどれほどの価値を持つものだったのか、茜は感じていた。


 しかし、その贈り物を受け取る準備ができていない自分を、少しだけ怖く感じた。


 その後、祖母はついに静かに息を引き取った。茜はその瞬間、自分の手をぎゅっと握りしめた。心の中で「ありがとう」と何度も呟きながら、祖母の最期を見守った。


 祖母がいなくなったことに、茜は深い喪失感を抱えていた。誰もがそうであるように、大切な人との別れは痛みを伴うものだ。


 けれど、祖母が残した「最後の贈り物」の意味を知った今、茜はその贈り物を受け取るべきだと強く感じていた。


 祖母が伝えたかった「秘密の場所」—その場所に向かう決意を固めた茜は、祖母が愛した場所を訪れることを決めた。


 茜は祖母の「秘密の場所」へ向かうため、重い足取りでその場所を探し始めた。


 祖母が生きていた頃、その場所には一度も行ったことがなかった。祖母が伝えてきたその場所がどこか、茜は手紙の一部を手にして考えた。


 手紙には、祖母がよく話していた川のほとりにある古びた小さな橋の近くに、祖母がずっと大切にしていたものが埋められていると書かれていた。


 その場所が、祖母の思い出の全てを象徴するような場所だったのだろうと、茜は思った。


 茜はその川のほとりに到着すると、静かな流れに耳を傾けながら、祖母が生きてきた時間を想像した。


 やがて、祖母が言っていた場所を見つけ、茜は手を伸ばして地面を掘り始めた。


 しばらくすると、古い木箱が見つかった。茜はその木箱を静かに開けると、中には祖母が若いころに書いた手紙、古びた写真、そして一枚の小さなピアスが入っていた。


 ピアスは、祖母がかつて愛していた人物から贈られたもので、彼女が最も大切にしていたものだった。


 茜はそのピアスを手に取ると、祖母が伝えたかった言葉がふと頭に浮かんだ。


「人生は、どんなに小さなものでも、愛するものと共に歩んでいくことが大切。」


 祖母の言葉は、茜にとって何よりの教えとなり、心に深く刻まれた。


 涙がこぼれた。その涙は、悲しみだけではなく、祖母が残してくれた愛と希望への感謝の気持ちが込められていた。


 茜はそのピアスを胸に抱きしめ、祖母の遺した言葉とともに歩んでいこうと心に誓った。


 祖母が教えてくれた愛の深さと、その贈り物が示してくれた人生の大切さを、茜はこれからの自分の人生の中で実践していくことを決めた。


 時間はゆっくりと流れ、茜は祖母が愛していた川の音を聴きながら、祖母の笑顔を思い出していた。


 今、祖母が茜に伝えたかったその全てが、少しずつ茜の心に温かく広がり、未来への希望となっていった。


 茜は歩きながら、祖母との日々を胸に、新しい一歩を踏み出していった。


 それは、祖母からの最後の贈り物を受け取った証であり、茜自身がこれからの人生を歩んでいくための強さとなるのだった。

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