諸説あり

Alice10009

 階段を上っていた。年季の入った折返し階段で、至る所がひび割れている。各階層には扉があった。統一性のない、多種多様な扉。何故か無性にそれを叩きたくなる。ノックしたくなる。その衝動を必死に抑え、青年は階段を上り続けていた。


 青年には記憶が無かった。自分は一体誰で、どこから来たのか。青年は背が2メートル近い大男であった。青年の手にはペンとメモ帳が握られていた。一階ごとの段数は15。メモ帳には正の文字が増え続け、果てしなく続くかのように思われた。


 青年は沢山の人とすれ違った。彼らの目には生気がなく、瞬きもしない。ただ無心に階段を上っては、扉を三回叩いていた。

「おむかえにあがりました。」

彼らはそう言うと再び階段を上りはじめ、扉からは新たに人がやってきた。


 ある日、扉が唐突に開いた。誰かにノックされずに扉が開くのは今までにないパターンだった。青年は振り向き、その扉の方を見つめていた。そこから出てきたのは、銃と砂時計を携えた子供だった。


「、、、外れかな。」

そう言い残すと、子供は扉を閉めようとした。青年は階段を駆け下りると、閉じようとする扉の隙間に手を突っ込んだ。


 子供は青年の手を掴み、扉の向こう側の世界に引っ張り出した。青年に持っていた砂時計をかざす。砂が光を反射しながら落ち続けている。子供は青年の持つメモ帳にびっしりと書かれた正の文字の数に目を見開いた。

「ここにきて何日経った?」

青年は何も言わなかった。手に持ったメモ帳に何かを書き、子供に見せた。


『だいたい二週』


子供は再び扉を開けた。

「逃げてもいいし、ついてきてもいいよ。」



 青年は子供と共に階段を上っていた。子供の名前はレイン。年齢、性別ともに不明。背は小学生と言われても違和感がないほど小さい。青年との身長差は歴然であった。飄々としていて、掴めない人物だ。どんどん階段を上がっていく。正気を失いノックを続ける人々を通り過ぎる。

「あー疲れた。君、背負ってくれない?」

青年は唖然としたが渋々背負って階段を上った。青年は約二週間階段を上り続けたにもかかわらず、疲れを知らなかった。

「喋れないの?」

『生まれつき会話ができません』

「ふぅん。」


 数時間後。レインの持つ砂時計の砂がいつしか激しく逆流していた。人でない何かが階段を上っていた。少年は激しい頭痛に襲われた。扉を叩かなければならない。階段を上らねばならない。するとレインは青年の手を掴み、目を見つめた。

「自分を強く保とうとするんだ。」

そう言うとレインはコルトパイソン.357マグナムを構えた。放たれた弾丸が言葉では形容しがたい何かを貫く。青年は鼓膜をつんざく発砲音で正気を取り戻した。

「扉に向かって走れ。」

青年はレインを片手で抱え、扉に体当たりした。


 扉の向こうは福島県のとあるサイロに通じていた。初老の男性が訝しげにもみ殻まみれの二人を見ていた。

「な、だ、誰ですか・・・?」

扉はゆっくりと塵になって崩壊していった。



 レインと青年はどこまでも広がるような大豆畑の畦道を歩いていた。日が沈む。これからのことを青年は考えていた。何も思い出せない。二人は暫く何も話さなかった。しかしそれは気まずさを伴った沈黙ではなく、心地の良いものだった。

「記憶が戻るまで、君は私の助手だ。名前はそうだね、、、ナナシ。」

レインは青年の背中を叩いた。

「自分を保つためには、絶対的に信じられるものを決めるのが効果的だ。」

レインは砂時計を夕日に翳した。

「私はこれ。ナナシはただ、私の言葉を信じればいい。」


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