ひなまつり
斎木リコ
ひなまつり
我が家には、ひな人形がある。大きなもので、かなり古い。聞けば、祖母が子供の頃に買ってもらったものだという。
我が家には、同居の祖母がいる。ひな人形の本来の持ち主だ。母の母で、父にとっては義母に当たる。
とはいえ、この土地は祖母から母が譲り受けたものだから、父も同居には口出ししていない。
「お婆ちゃんが大事にしているものだから、みさとも大事にしてね」
母には、小さい頃から何度もそう言われてきた。
正直、このひな人形は好きになれない。古くて怖いものという印象しかないのだ。
二月の下旬の休日には、このひな人形を飾る。一部屋を占領する程の大きさで、都内の狭いアパートだったら出すのすら無理だろうなと思う程だ。
今年のひな祭りの時期に、従姉妹が子供連れで遊びに来るという。年が近く子供の頃から交流があった従姉妹は、学校卒業早々に結婚した。
去年生まれた子供は女の子で、今年初節句だという。なのに、余所の家のひな祭りに参加か? と首を傾げたけれど、これには理由があった。
それを知ったのは、彼女が遊びに来て子供が寝た頃だ。
「実はね、今日はお婆ちゃんに呼ばれたのよ」
「お婆ちゃんに?」
祖母もそろそろ認知症が出始めて、日中はデイサービスに行く事が多い。
その祖母が、従姉妹を呼んだという。
「本当に?」
「まあ、実際に話をしてきたのは伯母さんなんだけどさ。何でも、うちの娘をおひな様に見せておけって」
何だそれは。まるでひな人形に意思があるような言い方ではないか。
「おひな様に挨拶しろってか? ばあちゃん、耄碌したねえ」
「でもさ、ひな人形って子供を守るとか、そんな話があるじゃない?」
「そうなの?」
「人形ってね、災いを肩代わりしてくれるっていうよ」
従姉妹の口から出た言葉は、私には信じられなかった。いつの間に、彼女はこんな迷信を口にするようになったんだろう。
驚いて何も言えずにいると、従姉妹が笑った。
「私もさ、本気で信じてる訳じゃないんだけど、うちの子に何かあったらって思うとね。あれよ、溺れる者は藁をも掴むってやつよ」
「いや、あんた溺れてないじゃん」
「じゃあ、転ばぬ先の杖?」
何だそれは。ひとしきり彼女と笑って、その日は解散した。
後日、とんでもないニュースが我が家に飛び込んだ。従姉妹が子供と一緒に事故に遭ったという。乗っていた車が、追突されたのだ。
幸い、従姉妹はシートベルト、従姉妹の子もチャイルドシートのおかげで無傷だと聞いた。
そう聞いてそんな大きな事故ではなかったのかと思ったけれど、とんでもなかった。
乗っていた車に突っ込んだのは大型のトラックで、本来なら従姉妹が乗っていた軽自動車などぺしゃんこになるような事故だったという。
なのに、当たり所というか、上手い具合にぶつかったようで、従姉妹の軽自動車は道路脇にあった広い駐車場に弾かれ無事、トラックは反対車線に飛び出してしまい、これまた大型の対向車とぶつかり運転手は亡くなったそう。
事故の原因は、トラックのスピード超過と脇見運転。おそらく、スマホでゲームでもやっていたのだろうという事だった。
ともかく、従姉妹は運良く無事だった。それはいい。不思議なのは、祖母が私に言った事だ。
「みさと、おひな様の手を拭いておいてあげなさい」
「手?」
「きっと、汚れてしまっているからね」
ひな人形は、ひな祭りの夜にはしまっている。出しっぱなしにしていると、婚期が遅れると言われているからだ。
ただでさえ、同い年の従姉妹は既に結婚し、子供もいる。だからか、私よりも母が心配して、とっとと片付けさせたのだ。私に。
祖母があまり言うものだから、納戸の奥にしまったひな人形の箱を開ける。人形だけでもお内裏様とお雛様、三人官女に五人囃子、右大将左大将、三人上戸……仕丁と開けていく。
「あ!」
仕丁の一体、ちょうど真ん中にいるはずの人形の手が、本当に黒く汚れている。しまった時にはなかったのに。
首を傾げつつも、丁寧に汚れを拭き取った。その汚れは、泥汚れのようで簡単に拭き取る事が出来る。
でも、家から出さないひな人形に、どうして泥汚れがついたのか。
ふと、従姉妹の言葉を思い出す。
『人形ってね、災いを肩代わりしてくれるっていうよ』
災い。確かに、従姉妹は事故に巻き込まれ、もう少しで命を落とすところだった。でも、この場合肩代わりはしていないのでは?
とはいえ、事故とひな人形の汚れを繋げる事は出来ない。ただの思い過ごしと言われて終わりだ。
我が家には、少し不思議な古いひな人形がある。それだけでいいではないか。
ひなまつり 斎木リコ @schmalbaum
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