流されて、紙雛
時輪めぐる
流されて、紙雛
穢れを負う紙雛を乗せた笹船が、清らかなせせらぎにそっと浮かべられた。
遠ざかる小さな緑の船に手を合わせ、見えなくなるまで見送る者。川辺には同じように、紙雛を流す者達が後から後から訪れては、笹船を流していく。
三月三日のその日、それぞれ身代わりになった紙雛が、頼りない笹船に乗せられて、海を目指した。
清らかなせせらぎは、やがて川幅を増し、護岸工事を施された街中を流れる川となり、河口に達した。
あれだけ沢山だった紙雛の船は、途中で沈んだり、枯草や枯れ枝に引っ掛かったりして、随分と数を減らしている。
辛うじて海に辿り着いた紙雛は、此処まで来られたことが、誇らしくも嬉しく、眼前に広がる大海原を眺めた。
沖に出てしばらく行くと、青い海亀に出会った。
「やあ、紙のお雛様。少し、お話ししないかい。ずっと一人で退屈していたんだ」
「こんにちは、亀さん。私でよろしければ」
「じゃあ、行くよ。そもさん」
「そもさんって、何ですか?」
「質問するけど、答えられるか? という意味さ」
「そうなんだ」
「言われたら、こう答える、『せっぱ』ってね」
「それは、どういう意味?」
「君は、何も知らないんだな」
「恥ずかしながら、私は殆ど何の知識もなく、穢れだけを移され、流されたものですから」
「そうか。それなら知らなくても仕方ないね。答えてやる! という意味さ」
「分かりました。では、せっぱ」
海亀は、ふふと笑う。
「年を取るとは何か」
何だろう。難しい。私達、紙雛は年を取るほど寿命が無い。
「亀は万年生きるそうですよ」
隣の笹船の紙雛がこっそり教えてくれる。
長い時を過ごす亀にとって年を取るとは。
海の中で様々な事に出会い、知識を得るだろう。経験と知識の海は、年を取るたびに広がって行く。しかし、得るものもあるが、失うものもある。体力や記憶、機会。それはまるで、泳ぎ疲れるように失われて行く。
「海を泳ぐが如し」
「亀の甲より年の功だよ」
海亀は、のんびりと口にすると、ゆっくりと泳ぎ去った。
日が傾く頃、冷たい海で巨大な鯨に出会った。
「やあ、紙のお雛様。少し、お話ししないかい。ずっと一人で退屈していたんだ」
「こんにちは、鯨さん。私でよろしければ」
「じゃあ、行くよ。そもさん」
「せっぱ」
鯨が、よく知っているなというような顔をしたので、紙雛は少し嬉しかった。
「生きるとは何か」
紙雛は、紙としての寿命はあるが、生きてはいない。生きるとは何だろうと考える。此処に辿り着くまでに、様々な生き物に出会った。彼等は呼吸をし、食べ、排泄して、成長する。泳いだり、遊んだり、学習したりしていた。
それが生きることなのだろうか。鯨もまた彼らと同じであろうが、「何か?」と問うからには、答えは、そうした目に見えることではないのかもしれない。紙雛は考える。考える。
そして、考える自分に気が付いた。自分は考えている。考えている自分が存在する。
自分の存在を確認できてこそ、生きる意味も分かるのではないだろうか。
「貴方が今ここに居ること」
「コギト・エルゴ・スムか」
大きな尾びれで海面を打つと、しぶきが夕日に輝いた。鯨はゆったりと泳ぎ去った。
気が付くと辺りは、いつの間にか夜の
一人ぼっちで見上げる星空の深い処から、金色の光に包まれた何かが降りて来た。
「トリの降臨!」
自ら厳かに告げるその姿は、茶色で真ん丸っちい体。黄色い嘴と頭に三本のツンツンを持っていた。
「そもさん」
「せっぱ」
「書く意味とは何か」
紙雛は書かれることはあっても、書くことはない。書かれることといえば人々の願い。人は何故、書くのだろう。ああ、私を流した人は小説というものを書いていた。このトリのサイトで。
書くことは、自己を表現し、他者と共有し、コミュニケーションを図ること。存在の証であり、自由と創造の手段の一つであり、永続性を持つものだと語っていた。
「貴方がいる意味は何か」
トリは、しばし沈思した後、深く頷くと海の彼方に飛び去った
紙雛は、ホッと安堵の吐息を漏らした。
随分と遠くまで来た。負った穢れは浄化されただろうか。自分は使命を果たすことができただろうか。
殆ど何も知らなかった自分は、此処に至るまでに見聞きし、問答をして、少し賢くなれた。
「そもさん……、せっぱ……」
満天の星と細い月、暗い海に笹船は沈み、波間に漂いながら、紙雛は静かに溶けて行った。
流されて、紙雛 時輪めぐる @kanariesku
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