第10話 世界の危機と、魔王と、そして奇跡

「所長、なんでここに……? いや、ベルちゃんの意識が戻ったって……」


 驚きと混乱が入り混じる私の反応に、所長は少し楽しそうな顔をしていた。でも、その表情もすぐに消えて真剣な面持ちに変わる。所長がこうやって現場に出てくるのは、本当に緊急事態が起きた時だけだ。


「ベルタの件もあるが……緊急事態だ」


 所長のいつもの冗談を感じさせない口調に、私の背筋が少し凍る。


「何が起きましたか?」

「352世界の異界連絡路に崩落警報が出た。だから緊急避難の為にお前たちを回収しに来たんだ」


 所長の言葉で私も事の重要性を理解する。


「崩落……それって……!?」

「お前の思う通りだ。352世界は……このままだと崩壊する」


 所長は短く肯定する。『異界連絡路』は宇宙に点在する異世界を結ぶ生命線だ。だが、それは繋がっている世界が安定する事で安全を保っている。もし繋がっている世界が崩壊するなどの危険が出ると、異界連絡路はその繋がりも失われて機能を停止し――やがて崩落する。異世界連携機関は通路の安全性を常に監視していて、崩壊の兆候が見えれば警報を出す仕組みだ。


「崩壊までの時間は?」

「はっきりとは分からん。すぐには崩壊しないだろうが、悠長にしている余裕もない」


 ウラヌスの問いに所長は曖昧な答えを返す。それもそうだ。世界の崩壊なんて、正確に予知できるはずがない。


「ならさっさと退散しましょう? 崩壊に巻き込まれたら、私たちも終わりよ」


 レルワさんも危険である事を分かってるようで、大鎌を掌サイズに戻していつでも動けるようにしている。世界の崩壊に巻き込まれれば、その世界の住民と共に消滅してしまう。世界の崩壊は即ち、宇宙に存在する魂の減少も意味する。それは宇宙を流れる魂の流れにも影響を与えてしまい、宇宙のバランスすら揺るがしかねない。

 私もこの世界崩壊の危険性を知っているので急いで避難の準備をしようとするが、その前に聞いておきたいことがあった。


「世界崩壊の原因はなんですか?」

「……その転生者だ。そいつが転生してからの、過剰な干渉で世界として維持できなくなった……機関はそう言っている」


 所長は一瞬だけ躊躇したが、予想通りの答えを言ってくれた。アイクがこの世界で何をしてきたかは、さっきまでの戦闘で分かる。世界そのものに干渉を続ければその分安定性を失い、やがて世界自体を狂わせる。


「俺が……世界を壊したのか……? 俺が……間違っていたばかりに……」


 膝を付いたままでアイクが頭を抱えている。いきなりあなたの所為で世界が壊れましたなんて言われたら、誰だってショックを受ける。でも、今は悲しんでいる場合ではない。


「時間が無い。あんたは、これからどうするの?」


 私はアイクに問いかける。さっきの望みを叶える為に、ここから一緒に逃げるか、もしくは世界と心中するか。どうするかは、彼自身が決めなくてはいけない。

 しかしアイクは頭を抱えたまま黙っている。私たちも悠長に待つ余裕はない。


「このまま世界と心中するか、逃げて元の世界への希望を繋ぐか……選べるのはひとつだけ。今決めないと、あんたはずっと後悔する事になるよ!」


 私は喝を入れるように叫ぶ。今はそれが限界だ。避難通路も緊急用だから、長くは保てない。私は答えを出せないアイクに背を向けて通路に向かう。


「どんなに逃げても、結局これかよ……でも、俺はここでは魔王だ……世界に干渉する力を逆に使えば……世界を救うことだってできるはずだ!!」


 アイクは自分を奮起させるように叫んで立ち上がった。そして持てるだけの魔力を自分の元に集め始める。


「ちょ……待ちなさい! そんな事したらあなたどうなるか分かってるの!?」


 レルワさんが焦ってアイクを止めようとしている。しかし、アイクは止まらない。レルワさんが何を止めようとしているのかは分からなかったが、私がそれを考える前に、アイクが魔力を全て解放したのか彼を中心に光の渦が巻き起こった。その光は私たちを巻き込んで、そして世界を包み込んでいく。


 私は一瞬世界が崩壊したのかと焦った。でも、その光はとてもやさしい雰囲気で、暖かな感覚があった。


「やってくれたわね……暴走する力を取り込んで、なんて……ただの人間ができる芸当じゃない……何者なの!」


 レルワさんが目元を光から守るように手をかざしながら声を上げている。あの人がこんなに驚く声は初めて聞いたと思う。確かに、世界を書き換えるなんてただの人間にはできない。でも、あいつは転生者で、勇者で、魔王で、そして友達想いの優しい人間だ。それなら、奇跡のひとつくらい起こせても不思議じゃないだろう。

 光は更に広がっていき、私もその眩しさに耐えられずに目を閉じた。


  ●


 空気が穏やかになっている。何かが変わったのは間違いない。でも、それが何なのかはまだ分からない。大地が震えるわけでもない。空が裂けるわけでもない。

 ただ、確かに何かがいた。


「どうなった……の?」


 私は少しずつ目を開けていく。私はまだ352世界の城に中に居る。しかし、窓から差し込む光は、とても綺麗な朝陽だった。


「崩壊警報が解除されている……? とんでもない事をやりやがったな」


 所長も警報解除を知らせる端末を見ながら、信じられないといった顔で辺りを見回している。警報が解除されたという事は、この世界はまた安定したという事だ。アイクは、本当に奇跡を引き起こしたのだ。こんなの、今まで経験した事が無い。


「あいつは……?」


 私はアイクの姿が見えない事に気付く。ほんの少しだけ、不安がよぎった。


「ちゃんと居るわよ。でも……だいぶ変わってしまったわね」


 レルワさんがそう言いながらアイクが立っていた場所に歩み寄る。そこには、ひとりの少年が横たわっていた。胸が上下しているから、生きているのは分かる。


「これが……アイクなの?」


 私は目を疑う。月光で輝いていた金髪は茶色に変質し、私よりも高かった背丈も縮んでいる。これはもう――。


「転生した……?」


 そう言うしかなかった。こんなに姿が変わるのは、転生でしか成し得ない。でも、『逆転生した魂は、転生のルートを外れる』と、レルワさんが言っていた。なら、この転生はどういう事なんだろうか。


「エコーソナーの反応パターンは変わっていません。つまり、この少年がアイク・ナルバスと同一の存在であることは疑いようがありません」


 ウラヌスがそう言うのであれば疑いようがない。転生者の魂に付く傷はそれぞれ違う。なら、同じ傷を持っている以上、彼は間違いなくアイクだ。


「世界の書き換えで魔王という定義が消えて、普通の人間として再生した……でも、死神並行組合が黙ってるわけ……いや、ルートを外れたイレギュラーだからこそ……」


 レルワさんはぶつぶつと呟きながら推理しているが、目の前の少年がアイクなのであれば、私は理由なんてどうでもいいと思う。こいつは、私が思っていたよりも強い心を持っている。私がこれまで見てきた転生者の誰よりも、強い覚悟を見せてくれた。

 それなら、彼には十分な資格がある。


「所長……ひとつ頼みがあるんですが」

「言わなくていい。今どんなコネが使えるか考えてるところだ」


 所長は私の考えなどお見通しの様だ。私はアイクが配想員としてやっていけると確信している。そして、その気持ちを察してくれた所長に感謝の笑みを送った。


「だがなチノン……お前はそれで良いのか? お前と同じ重みを背負うかもしれないんだぞ」


 所長はそこまで心配してくれるのか。本当に、人の心を読む天才だ。


「それに耐えられないなら、世界を書き換えるなんてできないですよ。私だって……使の重みは、いつも感じてるんですから」


 私はニッと笑って見せる。そうだ。私も転生者で、想いを届けないといけない相手が居る。その人の世界は何処なのか分からない。だから、私は配想員をやっている。そうすれば、どんな世界へも探しに行けるから。


「そうか……なら俺は何も言わん。一応本人の意思確認はしとけよ……さて、機関の連中をどう言いくるめるか……」


 所長はそれ以上追求しない。引き際を弁えてるところは本当に好感が持てる。


「所長。一体どんなにコネを持ってるんですか?」

「企業秘密だ。これくらいないとお前を庇うこともできん。少しは感謝しろよ?」


 やはり所長はどこまで行っても所長だ。そんな所長を尻目に、私はまだ眠っているアイクの額を軽く指で突く。するとゆっくりと目を開いた。悲しみと後悔の色に満ちた蒼い瞳は、今は深く優しい紺色に輝いている。


「俺は……どうしてここに……?」

「さあね。でも、あんたは世界を救ったよ。こんなとんでもない事をやらかす転生者なんて、あんたが初めてだ」


 アイクの問いに答えられる者は居ない。でも、彼はまだここに居る。命懸けで救った世界に、こうして存在している。


「それじゃあ、もう一度聞くわ。あんたは元の世界への希望を繋ぎたい? それとも、あんたの救ったこの世界で、平穏に過ごしたい?」


 私は改めて選択肢を提示する。今度はさっきよりも希望のある選択肢だ。それを提示できるだけで、私の心も少し軽くなる。アイクはまだ意識がはっきりとはしていないが、その目にはもう決意の色が見えていた。


「俺は、配想員になりたい。それで……あいつの世界に行って謝りたい……!」


 アイクの言葉が、小さくも力強く聞こえる。その言葉だけで、彼の決意は十分に伝わった。

 

「じゃあ、これからは同僚だね。よろしく頼むよ」


 私はそう言ってアイクに笑ってみせる。思えば、笑顔を向けるのはこれが初めてかも知れない。そして、生身の左手で握手を求める。折角の新人に、冷たい義肢で握手するのは失礼だろう。

 アイクもそれに応えて手を握ってくれた。人の温もりが私の手から身体へと伝わっていく。義肢じゃない手で、こうして人の温もりを感じるのは悪くない。


「よろしく頼みますよ……先輩」


 アイクもそう言って微笑んでいた。これで、本当に仕事は終わったように感じる。配想は、ただ想いを届けるだけじゃない。思ってくれている人のために、転生者に可能性を示すことだってあるのだ。


「よし、話がまとまったところで帰るぞ。支所を開けっぱなしにすると、ベルタが心配するからな」


 所長の号令で私たちは帰り支度を始める。私も意識が戻ったベルタに早く会いたいと思い、足早にポータルへ向かう。アイクはまだ満足に動けないから、ウラヌスが抱えて運んでいる。

 レルワさんはアイクを時折見ているが、それは特殊な転生故の探究心だろう。所長は私たちを待つ間もぶつぶつとコネについて考えている。


 皆が思うところはそれぞれ違う。でも、今は同じ場所に帰ろうとしている。もしかすると、これも一種の家族なのかも知れない。そう思いながら、私は世界を後にした。

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