第33話

 楽屋に戻ると、スマートフォンにメッセージが届いてた。二条からだ。


『お疲れ様でした。隣の空き地で待っています』


 こいつ、今でもメッセージだと敬語なんだよな。不思議なやつ。育ちがいいっていうのは、こういうことなのかな。

 この辺り一帯は、夜になると人気が消えて真っ暗になる。クラブグルーシアから最寄り駅までの道は街灯があるからまだマシだけど、空き地なんか暗いだけで何にもないはずだ。どうしてそんなところに呼び出されるのか見当がつかない。殴り合いで勝負でもするんだろうか。僕は一等星旅団の二人と軽くコーラで乾杯して、スタッフに挨拶をして、誰よりも早くライブハウスを出た。電話を架けながら。


「二条?」

「ああ、葛城くん。見えるよ、君のこと」

「え? じゃあ本当に空き地に居るの? 危ないだろ、一人で」

「正確に言うと一人じゃないから大丈夫。そのまま真っ直ぐ歩いて来て」


 人気のない薄暗がり、じっと目を凝らしていたら何か大きな黒い影が見えた。その前に、二条が立っているのも。誰も手入れしていない草を踏みながら歩いているうちに、段々と夜に目が慣れて来る。


「……は?」


 思わず声が出る。もう電話は要らない。タキシード姿の二条が、夜の女王の使者みたいに暗闇の中に立っている。あいつの表情が見えて来た。夜の空気を吸い込んで、僕の当然な疑問が口から零れ落ちた。


「お前……。それ、どうしたの」

「それって、うちのヘリのこと?」

「ああー……。うん」


 大きな影の正体は一機のヘリコプター。こんなもの、間近で見る機会はなかなかない。埋め立て地の空き地に停まっている状態ならなおさらだ。


「言ったじゃないか、空を飛んででも行くって。せっかくだから、夜景を見ながら帰ろうよ」


 二条はいつも通り笑った。ヘリコプターの中には操縦士の姿が見える。ああ、だから一人じゃないって言ってたのか。

 僕は呆気に取られたまま、二条に導かれてヘリコプターの席に腰を下ろす。久しぶりに柔らかい椅子に座った気がした。体は少し重たい。でも、ずっと纏わりついていた何かが抜け切ったみたいにさっぱりしていた。


「乗っている間は、これをつけていて。マイクは僕らだけにしか聞こえないようになってる。操縦席から連絡がある時だけ、向こうと繋がるけど」


 渡された大きなヘッドフォンはマイクつきで、ヘリコプターの騒音の中でも会話が出来るものらしい。ゲーム配信をする時みたいで、妙な感じがする。でも、ヘッドフォンは無言だ。ヘリコプターの騒音を防ぐためのものだから、そりゃそうか。

 音のない世界に、二条の声だけが響いた。


「クリスマスに夜景観賞なんて、王道過ぎて気恥ずかしいね」

「お前って……。本当に、お坊ちゃんだったんだな」

「そのおかげで、対岸から一気にライブハウスまで来られたんだ。ぼくは運がいい」


 ふわりとヘリコプターが宙に浮く。これは二条のバレエとは違って、本当に空を飛んでる。二条は慣れた様子に見えるけど、こっちはヘリコプターで飛ぶなんて初めてだ。さっきまでライブで「飛べ」って言ってたけど、あれだって高さに限界はある。

 ヘリコプターと一緒に僕まで気持ちが浮かれそうだ。それが二条にバレたら嫌だから、僕は急いで窓の外に視線をやった。二条が、少しだけこっちに近づくのを背中で感じた。僕が覗いているのと同じ窓から、景色を見ようとしているらしい。


「ヘリコプターって、空き地ならどこでも好きに降りていいの? 駄目だよな?」

「そうだね。あの辺りの土地には多少顔が効くんだ。我儘言わせてもらったよ」

「げ、本当に?」

「ぼくは君の一等星だからね。見事に着地してみせただけさ」


 ヘッドフォン越しに聞く二条の声は、いつも以上に近く感じる。安っぽいマイクのせいで音質が悪いから、がざがざしていて勿体ない。

 ああ、そうだよな。二条が僕に話してるんだから、いい音響で聞きたいって思うのは仕方ないよな。


「君、最後の曲の前まではオズワルドで居られた?」

「うん。……でも、お前のこと見つけたら我慢出来なかった」

「やっぱり。葛城くんがスクリーンを破って飛び出して来やしないかひやひやしたよ」

「だから泣いてたの? 泣いてたよな、お前」

「君の全部を受け取ったんだもの。感極まるのは当然だろ?」


 振り向くと、二条の顔がすぐ隣にあった。分厚いヘッドフォンがぶつかって、僕らは顔を見合わせる。こんなに近くに居たら、すぐに触れ合えそうなのに。僕の視線は自然と二条の唇に落ちた。当然、二条もそれに気付いてる。だけど、僕らの二度目のキスがマイクつきのヘッドフォンをかぶったままなのはなんだか間抜けだ。

 視線が交わって僕らは笑う。ちょっとした下心はきっと二条も同じだったんだろう。真っ白な頬がほんのりと赤らんだ。僕がどんな赤より好きな色。口紅の赤よりずっと綺麗だ。この色に染まった二条の笑顔は、いつだって宝物を見つけた喜びでいっぱいなんだ。

 いつか、一等星が全力で空から落ちて来たとしたら。僕は両腕をどこまでも広げて、彼を受け止めるんだろう。


「来てくれてありがとう」

「どういたしまして」


 二条の腕が僕の腰に回る。僕に触れた真っ白な手を、僕はそっと握った。音楽室の床に座って、指を絡めていた時よりも強く。


「やっと、お前に手が届いた」

「後ろの席まで見えていたから?」

「あー……。ちょっと違うかも」

「違う?」


 二条の茶色い瞳に、都会の夜景がちらちらと輝いている。どこに居たって、二条はスポットライトの中にいる。光の方が彼に寄って来て、たちまち彼を包み込む。でも、今だけは僕だけの一等星で居て欲しい。違うな。今までもこれからも、僕らは二人だけの一等星だ。


「二条のことが好きだから、お前がどこに居ても、絶対に見つけて離さないって決めたんだ」


 タキシード姿の王子様みたいな男の唇に、僕は唇を重ねた。

 せっかくの告白なのに、きっと音質悪いんだろうな。ヘッドフォンも邪魔だし。やっぱり、ヘリコプター降りてから言えばよかった。でも、言いたくなったんだ。しょうがないだろ。

 それに、二条の冷えた体を温めたい。外で僕を待っていてくれたから。ずっと僕から目を逸らさずに居てくれたから。僕の唇の、鼻先の、頬の、肌の。僕の体温が全部、二条に触れて明かりを灯す。僕らの温度が一緒になって、このままなら一つに溶け合えそうだ。


 二条が僕を抱き締める。本当は僕よりもずっと力強い腕なのに、僕の背中に回った力はやけに弱い。壊れないように、大切に作った砂のお城を抱いているような力加減。僕と恋をしたプリンシパルは、僕の肩に頭をうずめた。


「……ありがとう、葛城くん」


 ヘッドフォンで潰れた髪に、僕はそっと触れた。もっと強く抱き締め返してもよかったけど、二条の方こそちょっとでも触れたら壊れてしまいそうな気がした。もし、ここに居るうちは二条が寂しい思いをしないで済むのなら。僕の命なんかいくらでも差し出すつもりだ。


「ぼくは宇宙で一番幸せな星だね。空から落ちても、受け止めてくれる人が居る」


 ライブ終わりで疲れ切った体に、二条の声が沁み込んで行く。大都会の夜景なんかよりもずっと美しい光を抱き締めて、僕らは家路へ向かった。

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