第22話

 それから数日後、僕はクラスメイト全員の前で真っ赤な口紅を塗られていた。教卓をどかして、黒板を背にして椅子に座ってケープをかけられた男子高校生。髪だっていつも通り短いままなのに、今僕の肌の上には化粧水と乳液、化粧下地、オイルブロックなんちゃらかんちゃら、ファンデーション、コンシーラー、チーク、なんちゃら、アイシャドウベース、なんちゃら……と、とにかくあらゆるものが塗られている。ついでに言うと、目にはつけまつげとマスカラも。


 僕の顔面がどうにかなる様を、三十人ちょっとの男性高校生と担任が固唾を飲んで見守っていた。メイクを担当しているのは、二条製薬で社員教育の講師をしている社員。教員を除けば、今この学校に居る唯一の女性ってことになる。


「葛城さん、本当に肌がお綺麗ですね。それに、文句のつけようがないほど顔が整っていて……。メイクの際は、細々した修正をするよりもよさを引き立てる方に意識を持ちましょう」


 で、彼女は最後の研究の授業“メイクとメイク落とし”について僕らに教えにやって来た。あの日僕が二条に電話で頼まれたのは、メイクをされる役割をやって欲しいってことだった。ベストカップルコンテストに出る前に、みんなの前で化粧した顔を見せておくのは悪くないだろうと言って。


 一年B組で顔にきちんと化粧をしたことがあるのは、僕と二条だけだろう。舞台に立つ時は多かれ少なかれ顔に何かを塗って出るものだ。それでも僕には、女性の顔として化粧をする・されるっていう経験はない。僕の唇が真っ赤に塗られて、講師が「出来上がりです」と言った時は肩に入っていた力が一気に抜けた。

 すると講師は、みんなと一緒になって僕を見ていた二条に声をかけた。他のクラスメイトに接するのと同じ口調で。


「二条さん。今度葛城さんとコンテストに出場されると伺いました。メイクをしたパートナーのご様子、いかがですか?」

「とても美しいです。どんなプリンシパルよりもずっと綺麗だ」

「このリップの色、とても素敵ですね。肌が明るく見えます」

「もちろん。ぼくが選んだんだから当然です。葛城くんにはその赤がよく似合います」


 なぜか全員が二条の言葉に拍手した。もちろん、メイクをここまで手がけた講師にも。

 拍手しながら、クラスの誰かが呟く。


「女子、毎朝こんなことしてんの……?」

「職人技じゃん」

「メイクって言うか、絵みたいだよな。影つけて、目立たせてさ」


 僕の顔を眺めながら、彼らは美術館の置物でも見ているような神妙な面持ちだ。化粧以外は制服も髪型もいつもの僕のままだから、どう見たってちぐはぐなはずなのに。もう誰も、でけえ女だおもしれー! なんて言わない。


「こんな時間かけて作っても、昼頃に崩れるんだろ? やべえな……諸行無常ハンパねえ」

「仰る通り、メイクは崩れやすいものです。ですが、念入りに準備をしておくことで崩れは予防出来ます。健康な肌は、メイクを長持ちさせる土台でもあるんですよ」


 男子高校生の嘆きの後に、講師がはきはきと言った。彼女は何度か研究の授業で登壇してくれていたけれど、一貫して僕らに敬語で話す姿勢を忘れなかった。多分、これが接客業のプロ意識なんだ。僕らは、僕らの家族、別の学校の友達、彼女……といった新しい顧客への窓口になる。そのための礼節と距離感を、二条製薬から来た講師全員が保っていた。


「先生、こんな真っ赤な口紅とか、茶色いアイシャドウとか、本当に落とせますか? かなり色が濃いと思うんですが……」


 影が薄い学級委員長が、おずおずと質問した。彼の純粋な疑問は、多分、この教室の全員が抱えていたものだろう。僕だってそうだ。メイク落としを使っても明日まで口が真っ赤だったら、どうすりゃいいんだ。

 それでも講師は動じない。


「いいご質問をありがとうございます。名残惜しいですが、早速メイクを落としていきましょう。その前に、まずはこちらのリップについてご紹介を。私どものメイクアイテムではありませんが、こちらのリップはかの有名なアメリカの歌姫の愛用品と同じラインのものです。以前、『キスしてもビールを飲んでも崩れない』と話題になったものなんですよ」


 彼女が口にした歌姫の名前は、洋楽に明るくない僕でも知っていた。彼女の象徴と言えば、金髪と真っ赤な口紅。確か少し前に、彼氏が所属するアメフトだかバスケットボールだかの試合を観戦している姿がネットで話題になっていた。ゴシップ記事には、優勝祝いのパーティー中の写真や動画もあったと思う。ビールを飲み干してから彼氏と熱烈なキスを交わした彼女の唇は、確かに赤いままだった。


「葛城さん、手の甲と唇を合わせてみて下さい。ちょっとやそっとでは口紅は落ちないはずです」


 講師に言われて、僕は手の甲を何度か唇に押し付けた。言葉通り、口紅の色は残っていない。クラスメイト達も、僕の手を覗き込んでは「おー」だの「すげえ」だの言っている。その間に、講師はポンプ式の容器からコットンにメイク落としを何度かプッシュした。プッシュ、っていう表現が出てくる時点で、僕もなかなかの化粧品販売員だと思わないか? オズワルド。


「ですが、こちらのメイク落としで一度優しく拭うだけで……」


 僕は導かれるがまま半分だけ口を開く。コットンが唇の上をさっと通り過ぎて、何が起きたかわからないままぽかんとしているとどよめきが起こった。


「落ちてる……」

「手品だ」

「買います!」


 誰かのおちゃらけた発言で笑いが起きて、講師もまんざらではないといった様子で笑みを返す。彼女の手元にあるコットンには、真っ赤な色が落ちていた。鏡をのぞいてみたら、僕の唇はいつもと変わらない味気ない血の色に戻っている。


「みなさん。このように、強く擦らずにメイクを落とせるということは、どんなメリットがあると考えられますか?」

「ええと、摩擦がかからないので肌に優しい」

「その通り!」


 講師は、顔の部位に合わせてどのようにメイク落としを使うのがいいか、一つ一つ説明しながら僕の顔を元通りに戻して行った。あれだけ時間をかけたメイクが、みるみるうちに落ちて行く。諸行無常、誰かが言った通りかもしれない。

 化粧を落とした後の僕の肌は、化粧前よりもつるりとしていた。僕の顔を眺めながら、誰かが言った。


「オレたち、すげえモン売るんだなあ……」

「ええ。是非とも、皆さんの周りでメイク落としにお悩みの方がいらしたら、ご紹介下さい」


 僕らの最後の研究の授業は、こうして幕を閉じた。

 二条製薬の講師たちは一度も、「肌とトラブルやメイクに悩む“女性”」とは口にしなかった。



 帰りのホームルームが終わってから、すっかり男に戻ってしまった僕の顔を眺めながら二条が言った。


「いくら落ちなくても、キスするなら口紅はない方がいいよね」

「……なんだよ、いきなり」

「口紅の味ってなんかこう、化学製品って感じで苦手で」


 もしかしたらこいつ、「もうぼくはキスを経験したことがあるんだよ」ってマウント取って来たのか? 「まだぼくたちは若かったからね。彼女が安物の口紅をつけていて、その時の味が……」ってか? オズワルド、行け。僕がこいつを羽交い締めにするから、お前が全部聞き出すんだ。僕はいい、聞きたくない。


「知らないよ、そんなの。僕はお前みたいにモテたことないし」

「いやいや、違うよ。公演の時に使う口紅が、今日君が塗ってたものより落ちやすいんだよ。公演中、しょっちゅう口をゆすげる訳じゃないだろ? だから我慢してる時がある」


 なんだ、そういうことか。安心した。

 オズワルド、待て。お前、今僕が何に安心したかわかってるだろうな? 僕は、こいつが僕より先にキスとかそういう経験を済ませてなくてよかったって思っただけだ。これは男の意地ってやつ。別に、二条が誰かとキスしたなんて嫌だなっていう意味じゃない。

 本当だよ。なんて顔してんだ、お前。お前も二条みたいに綺麗に笑えよ。悪意無き透明感のある笑顔でさ。


「学園祭、もうすぐだね。楽しみになって来た」

「ああー……。うん。やることがあるってのはいいよな」


 学園祭は来週末。十一月最後の土曜日だ。

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