第6話

 ベストカップルコンテスト出場が決まったその日のうちに、僕は二条の家に招待された。二条の姉から女物の洋服を借りられることになったから、衣装だけでも早々に決めてしまおうという話だった。

 バレエダンサーに、「今日はちょうどバレエのレッスンがないから」と言われたら断りにくい。今日の配信は遅れるかもしれない、そんなことを僕はぼんやり考えながら「いいよ」と答えた。一応、「用事があるからあんまり長居は出来ない」と付け足して。


 白玖池高校は私立だから、僕みたいに実家がかなり遠い生徒も居なくはない。それと同じように、とんでもない都会の一等地にあるタワーマンションの最上階が実家っていうやつも居なくはない。二条はまさにそんな生徒だった。


 オズワルド、お前の実家ってどんな感じだ? 僕の実家はこう。玄関を開けたらすぐにダサい靴箱、その上にいつもらったのかわからないクマの置物。正面には二階へ続く階段があって、その向こうには台所で料理する母親か父親の背中が……。僕の実家は、一人息子が芸能活動をしていることを除けば、どこにでもある普通の家庭だよ。

 でも、ここは何もかもが違う。洗練されたオートロックのドアを通り、既に僕の家より広そうなロビーを抜ける。エレベーターで三十三階まで進んで、すぐに見える黒い扉を開けばだだっ広い玄関に出迎えられる。

 黒い石張りの床が広がる室内は、リビングの壁いっぱいに広がる大きな窓のおかげで解放感がある。あの窓からは、身震いしそうなくらい高い視点からの街の景色が一望出来る。下手な観光地へ行くより、ここの方がよっぽどいい景色が見られそうだ。


「その辺りに鞄を置いていいし、座りたければどうぞ。今日は家に誰も居ないんだ。まあ、大体いつも誰も居ないけど」

「ああー……。仕事?」


 広すぎて、僕はどこに座ればいいのかわからなかった。だから二条の後について行って、彼が僕ぐらい背の高い冷蔵庫を開ける様子を眺めていた。餌を強請る大型犬みたいな僕が面白かったのか、二条は満足そうに微笑んで続ける。


「ここは日本での家族の拠点なんだ。母は世界中飛び回って二条の物流を仕切ってるし、父は欧州でビジネスをしてるし、姉はどこに居るのかわからないくらい多忙な人でね。ひとところに留まっているのは僕だけさ」


 窓の外にじっと目を凝らせば、小さな小さな空港が見えた。指で潰してしまえそうなコバエみたいな飛行機が、どこか遠くへ飛んで行く。


「ああー……。空港、行きやすいもんな。ここの最寄り駅なら」

「そうそう。車を使えばすぐそこだしね。それだけの理由で選んだ家だって聞いたよ。ここで家族全員が揃うなんて滅多にないんだ」

「じゃあ、二条も一人暮らしみたいなもの?」

「うん。それでも、君よりは楽させてもらっていると思うよ。突然姉が帰って来てバタバタ出て行くこともあるけど、ハウスキーパーが週に三度は来てくれるしね」


 この家にまるで生活感がないのはそのおかげか。黒い石張りの床はぴかぴかで、リビングテーブルの上に置かれた花瓶には生き生きとした白い花が活けられている。そのくせ、花粉や花びらが落ちた形跡がどこにもない。ソファの上のクッションは隅っこにきちんと整えられているし、リモコンはテレビの棚にしっかり収まっていた。


「……こんな広い家にずっと一人で、寂しくないの」

「寂しい? ぼくが?」


 二条は慣れた様子で冷蔵庫から妙にお洒落なパッケージのお茶を取り出し、目を丸くながらこっちを向いた。


「ぼくはいつもバレエと一緒だもの。寂しくないよ」

「……そういうもの?」

「うん。それに、子どもの頃からこんな調子だしね。こういう家で育つと、一人で居るのが当たり前になるんだ」


 二条が棚からグラスを出す仕草は、僕がいつも狭い部屋でしているのと変わらない。立地もハウスキーパーも冷蔵庫の中身の値段も気にしなければ、二条と僕の暮らしぶりは似ているのかもしれない。

 彼は寂しさのことよりも、今日決まったばかりの妙竹林な話題に興味があるらしい。明るい声で続けた。


「姉さんが、好きにクローゼットを見ていいって言ってくれたんでね。お言葉に甘えるとしよう」


 二条の後に続いて、僕はモデルルームみたいな家を歩いて行く。マンションの一室のはずなのに、随分と廊下が長かった。


 姉さんなんて二条は気軽に呼ぶけれど、二条花音かのんは美容系雑誌で顔を見ないことがないくらいの有名人だ。「良く言えば堅実、悪く言えば地味」という二条製薬のイメージが、知性と美貌と家柄を兼ね備えた彼女の登場で一気に塗り替えられた。

 二条製薬の美容関連商品は、僕らが学園祭で売るシンプルなラインだけじゃない。ボトル一本で僕の一人暮らしの部屋の家賃が払えるほどの高級品だってある。それら全部を、どれも等しい熱意を持って二条花音は宣伝した。例えば女性向け美容系雑誌で、SNSで、時には男性向けのインターネットメディアで。彼女が悩める男女の良き相談相手で憧れの的なのは、美貌だけじゃなくその熱意によるんだろう。


「背丈的には、ぼくが女性をやった方がいいんだろうけれどー……」


 そんな有名人の自室に居るなんて、正直言って信じられなかった。ホテルそっくりに完璧にベッドメイキングされた部屋だから、ここが誰かの生活圏であること自体が嘘みたいだ。

 僕の戸惑いは気にしない様子で、二条は姉のクローゼットを何の躊躇いもなく開いた。いわゆるウォークインクローゼットってやつだ。色とりどりの洋服の森の中に、二条は無遠慮に立ち入る。冒険家でさえ、もう少し森に気を遣うだろうに。


「ぼく、着やせするタイプでね。気付かれにくいけど、体格が結構ゴツゴツしているんだ。肩幅が広いし筋肉質だし。下半身はスカートで隠せるけど、上半身がなあ……」


 そう言いながら、二条は森からこっちを向いた。腰に赤いスカートを当てている。


「どう? 似合うかな」

「うーん……」


 僕らは二人とも制服姿だった。紺色のジャケット、白シャツ、ネクタイは紺を基調とした斜めのストライプ、明るい灰色のスラックス……。思えば、僕はそれ以外の格好の二条をほとんど見たことがない。学校指定のジャージや体育着姿ぐらいなら見たことはありそうだけど、そんなのいちいち覚えてる訳がない。だから、二条の女装姿なんか想像出来る訳がなかった。

 すると、いきなり二条はジャケットを脱いだ。それから制服の白いシャツも。


「えっ」

「女性物の服を着るなら、布面積が狭いものの方がサイズが合わせやすそうだけどー……」


 やっぱりこいつは、僕の戸惑いを放置する。グレーのインナーTシャツ姿で、おもむろにクローゼットから洋服を一着引っ張り出した。高そうな黄色のワンピースだ。背中のチャックを開いて、スラックスを履いたままの足を入れて、それから……。


「ほら、やっぱり似合わない。だいたい、チャックが締まらないよこれじゃ」


 こっちを向いた二条は、彼の言葉通りへんてこだった。

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