後編

『事故起こしたの小坂未尋こさかみひろで草。しかも彼氏と一緒』


 何が起こったのかを短くまとめるなら、炎上の発端となった投稿をそのまま読み上げるのが早い。季節が冬に向かおうとしている真っ只中、一日だけ夏を思い出したように陽気となったその日に、ドライブ中の私たちは事故を起こした。私たちに過失はなくて、信号待ちの停車中に後ろから軽自動車に追突された。怪我人もいない、軽い事故だった。


 現実では些細な事故であったそれは、SNSの世界では大火事を引き起こした。誰かが撮影した私とレイくんの写真はすぐさまSNSを駆け巡り、反響を呼んだ。


『裏切られた』『説明してください』『ドルオタ発狂で草』『ファンやめます、〇ね』


 私の最新のSNS投稿に対するリプライは、たちまち罵詈雑言に埋め尽くされた。


 すぐにマネージャーに事務所まで来るように言われ、事実関係を確認された。事故は私たちの過失ではなく、レイくんとはデビュー前からの関係だと正直に話した。


「この写真だけで未尋さんと断定することは難しいですし、ほとぼりが冷めるまでは反応しないようにしましょう。それから言うまでもないことですが、この人とは別れてください。絶対に会わないでください」


 マネージャーの堺さんは厳しい顔つきで言った。写真は助手席から車窓越しに撮影されたようで、うっすら白んでいた。堺さんの言う通り、私に似ている人程度の判別しかつかない。私は神妙に頷いた。堺さんの言う通りだ。炎上してしまったら、もう当事者にできることは何もない。しばらくレイくんと会わないことも約束できる。しかし、別れることはできなかった。



******



「僕、自分のことを話してもいいよ。そしたら、この炎上も少しはマシになるんじゃないかな」


 電話越しに聞くレイくんの声は優しかった。きっと私の耳に届くまでに、たくさんの情報がデジタルの世界に落ちてしまっているのだろうけど、優しさだけは残っていた。


「大丈夫だよ。炎上しちゃったら、もうその時点でできることなんてないんだから」


 不安がないと言えばウソになるけれど、本心だった。


「そっか」


 レイくんの声も、どこか安心したように聞こえた。きっとレイくんも、すごく怖かったのだ。


 写真が証拠として十分かということは炎上とあまり関係がないらしかった。収まらない火の手は私のデビュー前の生活に及んでいた。



******



 卒業アルバムの写真というのは、現在においてはすっかりネガティブイメージを伴うものになってしまったような気がする。それは誰かの不祥事のタイミングで、あるいは不祥事なんてなかったとしても、まるで前科かのように公開される。私はゴシップ動画のサムネイルに乗っかった写真を呆然と見つめていた。四角く切り取られた、濃紺のセーラー服姿の上半身。眉のあたりで切りそろえられた前髪と、柔らかく内側に巻かれたボブカット。肉が削ぎ落されて、直線的なフェイスラインだけが今と変わらない。写真の下には、はっきりと名前があった。


 佐久間玲さくまれい、と。


「ミヒロンと同乗してたの、女の子らしいんだよねぇ。同じ学校通ってた人からタレコミありましたぁ。でも安心するのは早くて、この佐久間玲ってコ、心は男の子らしいのね。そそ。トランスジェンダーってやつ。彼氏じゃなくて彼女だったってオチね。オタクどんまい」


 レイくんと同じ配信プラットフォームとは思えない、下品な音がスマホから流れ続けていた。


******


 私への言葉は、一方的な中傷という構図ではなくなった。女友達だなんてウソで、あれは彼氏なのだと言う人、そもそもあの写真は小坂未尋ではないと言う人、二人がカップルだというなら尊いという人。事前には想像もしなかったような反応にあふれていた。


 しかし飛び散った火の粉は柵魔レイを燃やしていた。レイくんはその頃には個人勢としては有名な配信者になっていて、名前が同じだったことが命取りとなった。名前と声が同じなのだ。佐久間玲を知る誰かが、柵魔レイにたどり着くことは不可能ではない。SNSの世界に確証なんて必要ないのだから、なおさら簡単だ。数打てば当たる連想ゲームをみんながやっている。レイくんへ投げつけられる言葉の中には、令和の時代とは思えない差別的な表現も、数多く含まれていた。

 

 レイくんからの連絡が途絶えて何日か経った頃、柵魔レイは活動休止を報告した。私は一も二もなく、レイくんの家に向かった。堺さんとの約束を守っている場合ではない。幸い、ドアロックはかかっておらず、合鍵で部屋に入ることができた。部屋はいつも通りに整頓されていたけれど、どこか時間が淀んでいるような空気で、レイくんはベッドの上で膝を抱えていた。


「大丈夫?」


 レイくんの目はベッドの淵をまっすぐに見つめたままだった。


「柵魔レイは僕が男でいられる唯一の場所だった」


 言葉はぽつりと部屋に落ちた。


「レイくん、私がいるよ。私はレイくんのこと、わかってるよ」


 レイくんは首をゆっくりと横に振った。


「未尋の前にいるのは本当の僕だ。ありのままの僕だ。そいつは男じゃない」


 言葉には少しずつ涙が混じった。感情がこもればこもるほど、レイくんの声は悲しいくらいに女の子だった。



******


 私は帰りのタクシーの中で、レイくんの活動休止報告についたコメントをひとつひとつ読んだ。レイくんの不在を惜しむ声もあれば、「裏切られた」「顔も見たくない」と言う人もいた。所詮はネット配信者で、プロ意識のかけらもないと言う人もいた。性的マイノリティに対する抑圧について論じている人もいたし、似非トランスジェンダーと罵る声もあった。レイくんのファンもいれば、騒動になるまでレイくんのことなんて知らなかったような人もいた。


 自分の都合の良いところを自由に切り取ることができるのが、インターネットのいいところ。そう言ったレイくんは、みんなに都合の良いようにバラバラに砕かれてしまった。サイケデリックな虹色に輝く破片も、砂利みたいに転がった破片も、どれもレイくんではなかった。それでもご丁寧に、どれも先端だけは鋭利に尖っていて、レイくん目掛けて同心円状に広がっていた。



 騒動は事務所からのコメントによって、一つの区切りがついた。「事故における小坂未尋の過失はなく、同乗者は女友達」という趣旨だと、堺さんから聞いている。その事務所の投稿にも、たくさんのコメントがぶら下がっている。ぐるぐると回るグロテスクなミラーボールだ。

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