どなたか「縺、縺九>縺代d縺吶∩」という文字が読めますか?

鋏池穏美

ひなまつり


 地方には「奇祭」と呼ばれる変わった祭りがあります。「ひなまつり」と呼ばれるものもその一つで、私がこの東北地方の●●という村に嫁いで来た際、はじめて知った祭り。(※村の名前を出していいのか分からなかったので、伏字にしました)


 私はその祭りに参加し、奇妙な体験をしました。そうして今、とても困った状況に陥っています。誰かに聞いて欲しくて、怖くて……。


 とりあえずまずは、「ひなまつり」で経験したことを書いていきます。



 ひなまつりに関して村の人達が口を揃えて言うのが「ひなまつりの日は絶対に声を出しちゃダメだよ」という決まり。私がよそ者だからか、それ以上の詳しいことは教えてもらえませんでした。夫も「君が村に受け入れられるまで詳しくは話せない。ただ、ひなまつりの日は絶対に声を出すな」と。


 迎えた三月三日、ひなまつりの日。村の広場には櫓が立てられ、村人全員がお面を付けてひなまつりに参加します。太鼓の音に合わせ、櫓の周りをぐるぐると無言で踊る。それが祭りのやり方だと聞きました。


 私に渡されたのは狐のお面。笑っているような、泣いているような、どちらとも言えない表情のお面。他の参加者もそれぞれのお面をつけ、誰が誰だかわからなくなってしまいます。


 村中が息を潜める日。たとえ転んでも、痛くても、声を出してはいけない決まり。太鼓の音が響き、大人も子供も無言で踊る。動きは盆踊りのように単調で、簡単な説明だけで私も踊ることができました。


 ですが祭りの終盤、ふいに山の方から声が。


「おーい」


 聞こえた野太い男性の声に、ざわりと肌が粟立ちました。


 ただ聞こえたのは私だけなのか、周りは誰も反応していません。重く単調な太鼓の音に合わせ、夫も黙々と踊り続けています。なんだか怖くて、気のせい気のせいと私も踊りに集中しました。


「おーい」


 またも聞こえた声。


「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」


 男性の声、女性の声、老人の声、子供の声。響く度に変わっていく声、声、声。


 正直怖くて声を出しそうになってしまいますが、声を出してはいけない。もし呼びかけられても返事をしてはいけない。もし返事をしてしまったら──


 が迎えに来る。そう聞きました。


 その年はなんとか声を出さずに祭りを終えることができました。ただ「おーい」という声は耳にこびりついてしまい、家に帰ってからも頭の中で「おーい、おーい」と反響し、眠れぬ日々が。夫にも相談しましたが、「気にしたらダメだ」としか言ってくれません。



 翌年、二回目のひなまつり。村の子が踊りの輪の中で転んでしまいました。痛そうに膝を押さえていたけれど、なんとか声は出さずにこらえている様子。そんな中、またあの声が聞こえました。


「おーい」


 去年よりも近い気がする声。まるで山のふもとではなく、櫓のすぐ近くから呼んでいるような……。


 返事をしてはいけない、声を出してはいけない、分かっているはずなのに、なんだか喉が勝手に声を出そうとぞわぞわとしてしまいます。


「おーい」


 私の隣にいた子が声に反応し、びくっと肩を揺らしました。その子にも聞こえているのでしょう、泣くのを我慢しているように見えます。その年も何とか声を出さずに祭りは終了。ただ昨年よりも近付いているように感じた「おーい」という声に、来年はどうなってしまうのだろうかと、不安が募りました。


 

 そうして翌年、三回目のひなまつりの日、いつものように狐のお面をつけて広場に向かいました。村中がしぃんと静まり返り、太鼓の音だけが響く異様な雰囲気。


「おーい」


 やはり聞こえた私を呼ぶ声。気のせい気のせいと無言で踊り続けますが、声はどんどんと近付いていました。


「おーい」


 耳元ではっきりと聞こえた声。もちろん見回しても、誰もいません。


「おーい」


 震えながら踊る私に、声は無遠慮に投げかけられます。


「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」

「おーい」


 私は声を出さないようにぐっと唇を噛みました。声を出したら、が。


 ですが声を出してはいけないと知っているのに、我慢しなければならないと分かっているのに、私はその場にうずくまり、「もうやめてぇ……」と声を出してしまいました。もう、限界だったんです。


 太鼓の音が止まりました。


 踊りも止まりました。


 村中の人の視線が私に集まっています。みんなのお面の下の目が笑っているようで、怒っているようで──


 その日から、どこにいても「おーい」という声が響くようになりました。昼も夜も関係なく、ふとした瞬間に聞こえる私を呼ぶ声。夫に相談しましたが、「声を出したお前が悪い。もうどうしようもない」と言って、とくに何もしてくれません。耐えられなくなった私は、離婚届を置いて家を出ました。ですが村から逃げても、どこへ行っても、声はどこまでもどこまでも私を追いかけてきます。


 私はいずれあの声に連れ去られるのでしょう。声を出してはいけない祭り、否鳴祭りひなまつり。声を出した者がどうなるのか、怖くて怖くて私はすがる思いで夫に電話をかけました。ですが夫は「どちら様ですか」と。私は「悪い冗談はやめてよ!」と叫びましたが、夫の態度は変わらず。


 ですが私の必死さが伝わったのか、否鳴祭りに関しては簡単に話してくれました。三月三日の否鳴祭り。声を出した者は「否名ひな」となる。名前が否定され、この世から否定され、徐々に周囲の人から認識されなくなり、いずれ跡形もなく消える。残るのは否鳴祭りで声を出し、消えた人がいるが誰かは分からないという記憶だけ。


 そういえば最近ですが、私は名前を間違えられることが多くなっていました。そもそも「誰でしたか?」と問われることも。つまり私は名前を否定され、存在を否定され、そのうち──


 そこでみなさんに質問です。「縺、縺九>縺代d縺吶∩」という名前、読めますか? 私の名前なんですが、「なんて書いてあるか読めない」と言われることが増えたんです。これまで字は綺麗だと褒められてきました。


 あれ、今私、なんて書きました?


 縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩縺、縺九>縺代d縺吶∩


 書いても書いても書いても書いても書いても書いても書いても書いても……。


 私の名前、私の名前。私の名前!


 誰か!


 誰か私の名前を呼んで下さい!

 

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どなたか「縺、縺九>縺代d縺吶∩」という文字が読めますか? 鋏池穏美 @tukaike

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