第31話 会議通訳とススキノ常務 ~ 地雷嬢しおり

     会議通訳とススキノ常務


 その日、こんなことがあった。


 俺は会議通訳のため本社ビルの大部屋に行った。


 予定になかったススキノ常務が突然現れた。


 こちらから自己紹介をすると、すぐにススキノ常務は自分の話を自慢話風に語り始めた。


 アメリカの路上にどれだけ日本車が走っているかなどをこちらに尋ねてきた。


 こちらからの回答を終わると、ススキノ常務は自身のアメリカでの体験を長々と語った。


 話を聞いて分かったのは――

 彼が昔、服部の上司だったってこと。


 彼と話を進めると、俺が服部の直属の部下として今回訪問していると勘違いしているようであった。


「服部なんて、あいつ何言ってるか分からないだろう?」

 とススキノ常務は、あけすけに言った。「あいつが酒を飲んで事故を起こしたときは、俺があれこれ面倒見てやったんだ。あいつ、口は回らねえし、挙動不審だから手がかかったんだよ。ところで、あいつの奥さん知ってるだろ? 今でも派手なのか、あれ? あの女は、俺がキャバレーから引っ張ってきたんだよ。いや、ここだけの話だからな。誰にも言うなよ。いやぁ、しかし懐かしいなぁ!」


「いまだに『あのご夫婦は、どういうなれそめなのかねぇ?』なんて聞く人がいるみたいですけど、アハハ」

 と自分は言った。


「そうなのか?」

 とススキノ常務はうれしそうに大声で笑い、それからこう言った。

「でも、あいつら二人ともいい年だろ、今?」


 こんな話をする間、会議室にいた十名ほどの社員たちは、コの字型の机に向かって真面目な顔で座り、黙々と手帳のページをめくったり、何かを書き込むふりをしたりしていた。


 ススキノ常務はさらに、

「でも服部君にはよく頑張ってもらったよ。夜通し働いてもらったこともある。今では偉くなったみたいが、しかし彼の時代も終わったかもしれないなぁ。ともあれ君の話を聞いて、服部も元気そうだと分かって安心したよ。彼によろしく伝えてくれよ」

 と言った。



     地雷嬢しおり


 服部の過去を知ることはまだなかった。


 現在の彼を知っているのみである。


 服部は、しおりをキャバクラで見出した。


 このしおりという若い女性を商社の社員として採用し、プロジェクトを任せようとしたものの、彼女は地頭の良さが足らず、無能で嘘つきだった。


 自分の存在は軽視され、プロジェクトの進行は滞る一方であった。


 服部と相談の場を設け、彼女の仕事の態度の改善を願い出たところ、

「しおりが可哀相だから言わない」

 と服部は答えた。


 その上で服部は、

「今後、彼女をプロジェクトの中心に据える」

 などと言い出す始末であった。


 そんなものが俺から見た服部である。


 聞けば、地雷嬢しおりはアメリカの大学に留学していたとのことである。


 ただし、無礼な物言いは彼女の元々の性格から来ている。アメリカは関係ない。


 彼女は気分が高まったり、不利な状況に追い込まれたと思うと、無意味に英語を口走る癖がある。


 だが、その英語は聞くに耐えない。

 語彙は貧弱で、発音もおかしく、ネイティブが聞けば首を傾げるような代物だった。


 しかも彼女は、英語で説明されても、結局理解できないことが多い。

 つまり、彼女の英語は"生きた言葉"ではない。


 ところで、強い日本語なまりがあっても、言葉の選び方や語法が適切で、誠実にはっきり発声できれば、立派な英語に聞こえる。


 それが習得に必要かつ十分だと自分は思う。


 英語圏の者が理解できない日本語風の発音があれば、それをどういう日本語発音にし直せば通じるか、それは知識として体系化が可能なはずである。


 英語を母語とする者が目指す完璧な英語と、英語を母語としない者が目指す完璧な英語とでは、アプローチや心構えは異なり、最終的な見栄えも異なる。


 しかし、それらは自然に交わることができる。


 したがって、しおりの英語は坂本のエセ関西弁に及ばない。長野出身の坂本の関西弁の方が習熟度も実用性も高く、言葉が生きていると自分は思った。


 さて、自分はこの商社での仕事に本気で取り組んでいる旨を服部に伝えた。


「そ、それは私も同じだけど、ウ、ウン」

 と服部は真顔で答えた。


 しかし彼の言葉と行動は一致していないのが、ありありと分かった。


 彼が社外で行なっている人身売買のことを思うにつけ、怒りがますます募ってくるのだった。


 服部は目先の利益には飛びつく。

 しかし、利益を損ねるような若い女をそばに置きたがってもいる。


 それで多くのチャンスを逃したり潰したりしていた。

 それを俺ははっきりと見てきている。


 そして、その日の夜の酒の席である。


 彼は、胸の大きい二十歳代の女子社員の前で、突然自分の胸を両手で押し上げながら、

「おっぱいボーン」

 などと俺の前で言って、喜んでいやがった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

高輪プロジェクト @fishcutter

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ